「ぐるくん」のひとりごと

大好きな海のこと、沖縄のこと。 また今関心を持っている韓国語の学習、韓ドラ・レビューなど気ままな雑記

<240> クッキ考察 反共

2006年07月18日 | クッキ
 『クッキ』15話で、サンフンのつらい過去が弟分キム・ジョンシンによって語られた。

 北側となったに海州(ヘジュ)で赤い腕章をした共産党員(たぶん)に煽動された集団が「人民から奪った金を返せ~」と質屋の資産家キム・マンボクの家(チュテの元家)を襲撃し、壮絶なリンチを加える。

 金のありかを自白させる為、息子サンフンは父親の目の前で首を吊られた・・・


 1945年の解放以後、48年南北単独政府が樹立。

 更に50年6月25日、北朝鮮が南侵開始。

 朝鮮戦争=ユギオ勃発の日となる。

 奇襲だった為、あっという間の28日にはソウルは陥落してしまう。


 国連安保理決議で(ロシアは欠席のまま)北朝鮮の「侵略」が確定し、アメリカを中心とした国連軍(16ヶ国の軍隊が参加)が韓国に派兵された。

 これにより戦況が変わり、同年9月半ばには38度線を越える勢いとなる。

 しかし、10月に入り中国から志願軍が参戦して北朝鮮を援護する。

 こうして38度線付近でにらみ合う状態のまま、1953年7月27日、停戦を向かえる。


 こうして歴史を振り返ると、最近の新聞紙面を賑わしてる「北朝鮮のミサイル問題」と酷似しているので、半ばあきれるやらおかしいやら、なんとも複雑な気持ちになった・・・orz


 この戦争で南北の分断は一層明確となり反目を強めた訳だが、双方の犠牲者は民間人も含め400万人を超した。

 また1000万人にのぼる離散家族を生み出した。

 この混乱の中の悲劇の一つが海州でのサンフン親子の過去と言える。

 この事件に象徴されるように、韓国では「反共(反共産主義)」の意識は高く、李承晩政権時には徹底的な反共政策を断行し、日本でも「アカ」などと蔑称されていたのと同様に「빨갱이/パルゲイン(赤い人)」と呼び、激しい弾圧を行った。

 軍事クーデター後、第5代大統領朴正熙もまた「反共」を国家の方針と定め、教育の世界にも「反共」の思想は及んだ。

 また関連の映画やアニメなども盛んに制作された。

 『水戸黄門』のように勧善懲悪、誰が見ても分かりやすい正義の味方(韓国軍)vs冷酷非常な悪の集団(北朝鮮軍)の図式で描かれたそうだ。

 韓国でも北進統一、つまり北に攻め入って民族統一をなしえようとした時代があった。

 「北の脅威」を前面に徹底した「反共」方針の韓国で1998年発足した日本でも有名な金大中政権は和解姿勢に方向を転じる。

 「太陽政策」と言われた北朝鮮との交流を推し出した政策を採り、2000年には南北首脳会議開催の実現に至った。

 こうしてみると・・・韓国の現代史は結構身近で大きく動いていた事に驚く。

 この流れの中で平和的統一の気運が現在では高まっている事が分かる。

 韓国拉致被害者のキム・ヨンナムさん家族と横田めぐみさん家族が対面し、北朝鮮の拉致問題に力を併せ活動をしていこうと言う時も、韓国政府の対応は冷ややかなものだった事が思い出される。

 また渦中の「北朝鮮のミサイル発射問題」についてもノ・ムヒョン大統領が「日本政府の騒ぎすぎ」的な発言していたように、同胞との協調路線が主流となった今では「反日」なの?と・・・

 一つの「敵」を作っておくと、確かに国=国民をまとめやすいのは確かだ。

 韓国の過去の歴史がそうだったように・・・


 パルゲインとレッテルを貼られたら、その周りの家族・友人までもが連座して社会的制裁や差別を受けたと言うが、4年前の日韓共催ワールドカップで韓国は「大韓民国(テーハミング)」のコールと共と真っ赤な大集団だった事を思い出す。

 不幸な歴史を乗り越えて、敵視する「反○○」の存在のない歩みは無理なのだろうか? 

 敗戦後、戦争を知らない、歴史も知らない子供達を育ててきた日本と未だ緊張したままの問題を抱えている韓国との温度差を考えずにはいられない。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
板門店 (ruko)
2006-07-18 23:46:18
ぐるくんさんこんばんは。



南北対立の最前線の最も安全な?ショウケース、板門店に行ったときのことを思い出します。何かあっても責任とらないからね、っていう免責同意書を書かされるんですよ~。



行くまでは私もあまりイメージがなくて「JSA」の現場を見に行く、くらいの軽い気持ちでいました。でも、空港からソウルに向かう迎えの車のなかでソウル自体が国境に近いんで、インチョンからの高速にはいざというときに爆破して戦車が通行不能になるためのコンクリート構造物がさりげなくある、と説明受けたり、実際の板門店に行ったりして、つくづく日本の「平和ボケ」に思いを致した次第です。



「クッキ」の"終点"はどこなのかわかりませんが、長い間軍事政権だったり「民主化運動」があった国でもある、ということも忘れちゃいけないなーということも、思いました。



URLにそのときのことを書いた旅ブログのエントリ入れといたので、よかったらドゾー。



そうそう、旅ブログには例の漂流事故についてもちょっと書いてあるので、よかったらそっちも読んでみてくださると、うれしいっす。
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平和ボケ・・・ (ぐるくん)
2006-07-19 00:24:26
 rukoさん、コメントありがとう!



 早速、旅ブログ、板門店シリーズと鹿児島宇治群島ダイバー漂流のエントリにお邪魔してきました~。

 明日、改めでゆっくりそれぞれのお部屋に足跡残そうかとw

 ご案内ありがとうございました!!





 クッキを見るたびに、解放後の朝鮮半島の歴史を意識するのですが、知れば知るほど驚きの連続です。



 朝鮮日報の記事にも「南北分断の起因は日本統治・・・」なんてのも出てたり、小学生が描いた日本バッシングのたくさんの絵が公共施設に展示されてたりと、「反日」感情は笑い事じゃすまされない状況だと思います。

 文化レベルや民間でこれほど交流が生まれているのに、国策に利用する為の仮想「敵」に仕立てられつつあるのでは?と言う不安もあります。



 ドラマで知る、あそこまで家族思いの韓国の人々が祖国の為に同胞と睨みあう悲劇も充分承知の上ですが・・・

 争いは新たな悲劇を生むだけなのに、人類は繰り返す歴史の中で、痛いほど知り尽くしているのにと、虚しい気分になります。
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