ともすると…
介護業界(医療福祉業界でもいい)にいる職員は、「いいことをしている」と思い込み・勘違いする可能性が常にある。
それを戒めてくださるのが(してくれなくてもいいのだけれど)何かと困難なケースといわれる方々かもしれない。
もちろん「ありがとう」とか「いつもすまないね」などという言葉は、とてもうれしい。
それが続くと「あたしってば、ちょっとすごい」と勘違い甚だしい状況になってしまうかもしれない。
その困難ケースでありますが、
たしかに困難。
本当に困難。
何度涙を流したことか…
何度叫んだことか…
しかし、時々は考えを変えることは必要かもしれないと思う。
(ここまでは、昨日と同じ)
北九州の東八幡で『ホームレス支援機構』という活動をしている、奥田知志氏はこう言う。
>たとえば炊き出しで路上を回りますよね。「おじさん、大丈夫ですか?」「何かあったら電話してね」と言って。でも私は家へ帰ってちゃんとベッドへもぐりこんでる。何なのかなぁと。
>本当にホームレス支援というのは罪人の運動でね、よかれと思ってやっていることが本人を傷つけていたり。
だから炊き出し終わった夜はベッドの中で申し訳ないと思いながら寝ているという…。でもそういう活動だからこそ、多少裏切られてもね、まぁお互いさんやろうと(笑)。
奥田知志氏はボンヘッファー研究もしております。
ボンヘッファーは、「人間の行為というのは悪と悪との選択だ」
これは、この業界にいる人が、意外に感じているのではないでしょうか?「結構、悪人」と感じていませんか?そんなこともない?
自分は高齢者では、ない(若くないと体力持たないし)。
認知症の方に対し関わっているけれど、自分は認知症ではない。ましてや家族にいる(場合もあるけれど)こともない。
右麻痺でもなければ、ストーマーをつけているわけでもなく、独居でもなければ、生活保護でもない、神経難病もないし、統合失調症でもない…
つまり、「当事者」というポジションにはいない。もちろん、おられる場合もあるとは思う。
でも、支援する側は、ぬくぬくとお布団に包まって寝られる。
そこで、2つある。
1つは、支援者側が充実=自己実現に限りなく近づいていないと、支援は難しい、という現実。メンタルな部分が強いものです。
もう1つは、当事者でないがゆえに、「なんだか申し訳ないかも」的な気持ちを持つことも、必要かもしれない。
当事者も支援者も全能ではなく、天使でもない。
だから、そこには、まぁお互いさんやろう、という感覚は持った上で、
なんとかクオリティを高めて、いい関係を保ちたい…という思考も必要と考える。
さぁ、今日も、たくさん、いたぶられましょう。
そして、帰宅したら1杯飲んで、好きな人に抱きしめてもらって、ゆっくり布団に包まりましょう。
ある意味、支援者の方が、「困難ケース」なのかもしれない。