今年も様々な方々が亡くなりました。
森繁、円楽、南田洋子、マイケル・ジャクソンさんなどは他の方々にお願いして、個人的に悲しい方々のご冥福をお祈りしつつ、独断に満ちた追悼を。偶然にもほとんど日本人になってしまった。
1月22日 - 三浦洋一、ピアニスト(* 1933年)
プロの合唱団(というものが日本に存在するか否かは別として)のピアノ伴奏といえばこの方。でしゃばらず、しかし主張のある音はとても印象的で、レコードを聴くときは合唱よりもピアノの音を聞いてしまった。
2月17日 - 今井壽惠、競走馬写真家(* 1931年)
競走馬の女性写真家としては先駆者。とても愛着のある瞬間を捉える才能がすばらしく、こういう美しい写真を撮りたいと思う。ニジンスキーという競走馬が凱旋門賞で負けたとき「泣いたように見えた」という話は「もしかすると競走馬にも悔しさがあるのかも」と感じた。
3月29日 - モーリス・ジャール、フランスの作曲家(* 1924年)
フランスの作曲家。映画音楽が有名(「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバコ」など)だが、実は実験音楽と呼ばれるものも作っている。こちらのほうが魅力的。
4月3日 - 蛯名信広、日本中央競馬会美浦トレーニングセンター所属調教師(* 1952年)
騎手時代は乗り馬に恵まれなかったけれど、それでもホワイトフォンテンやニッポーテイオーに乗っていた。時々万馬券を取らせてもらった。調教師としてはタイキヘラクレスでG1勝利。調教中に馬に蹴られて亡くなるというのが悲しくもあり、同時に本望でもあったかな…自分もそういう生き方がしたいと思う。
4月20日 - 清水由貴子、元歌手(* 1959年)
「欽ちゃんバンド」が懐かしい。何よりも介護疲れで自殺は、とても悲しい。
5月2日 - 忌野清志郎、ロックミュージシャン(* 1951年)
省略。「トランジスターラジオ」が大好き。個人的に幼少の頃は、あこがれのヒーロー。
5月3日 - 小池和夫、湖池屋創業者(* 1927年)
ポテトチップといえばコイケヤでした。いまやカルビーに席巻されていますが。
5月5日 - やまだ紫、漫画家(* 1948年)
「性悪猫」を残してくれてありがとう。絵に、柔らかさと神経質さが同居しているのがとても魅力的。
6月13日 - 三沢光晴、プロレスラー、プロレスリング・ノア社長兼選手(* 1962年)
三沢が自分よりも先に亡くなるとは思っていなかった。川田との主導権争いが全日本プロレスの全盛期だった気がする(馬場さんは別)。
7月5日 - 土居健郎、精神医学者、元東京大学教授・国立精神衛生研究所所長(* 1920年)
省略。「甘えの構造」の著者。思考するにあたって、とても影響を受けた。
7月21日 - 若杉弘、指揮者(* 1935年)
子どもの頃、ケルン放送交響楽団を率いて、日本でコンサートをしたときのNHK番組が忘れられない。曲は、ブラームスの交響曲第1番だった。たぶん、ドイツ語圏で初のアジア人・日本人指揮者ではないかしら…
7月22日 - 高久進、脚本家(* 1933年)
「Gメン75」の脚本家として覚えていた。スタイリッシュかつドライな内容が、70年代には新鮮であった。
7月28日 - 川村カオリ、歌手(* 1971年)
省略。幼い子どもを残して亡くなるなんて、母としてはとても残念でならないだろう…と思うと、悲しい。
9月27日 - 永井秀樹、オートレース選手(* 1973年)
競走中に、事故で亡くなった。まだ伸びると思っていただけにとても悔しい。
10月10日 - 江畑謙介、軍事評論家(* 1949年)
湾岸戦争のとき、CNNの映像を観ながら滔々と解説していたのが初認識。髪形が、爆発実験で失敗した博士みたいで印象深い。簡単に言えば軍事オタクのおっさんだろう。後継者はいるのだろうか。
こうやってみると、やっぱり、生きていることは奇跡的なんだ、としみじみ思う。
来年も、よいことが、みなさまにありますように。そして、生きていきましょう。
年内、ありがとうございました。
森繁、円楽、南田洋子、マイケル・ジャクソンさんなどは他の方々にお願いして、個人的に悲しい方々のご冥福をお祈りしつつ、独断に満ちた追悼を。偶然にもほとんど日本人になってしまった。
1月22日 - 三浦洋一、ピアニスト(* 1933年)
プロの合唱団(というものが日本に存在するか否かは別として)のピアノ伴奏といえばこの方。でしゃばらず、しかし主張のある音はとても印象的で、レコードを聴くときは合唱よりもピアノの音を聞いてしまった。
2月17日 - 今井壽惠、競走馬写真家(* 1931年)
競走馬の女性写真家としては先駆者。とても愛着のある瞬間を捉える才能がすばらしく、こういう美しい写真を撮りたいと思う。ニジンスキーという競走馬が凱旋門賞で負けたとき「泣いたように見えた」という話は「もしかすると競走馬にも悔しさがあるのかも」と感じた。
3月29日 - モーリス・ジャール、フランスの作曲家(* 1924年)
フランスの作曲家。映画音楽が有名(「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバコ」など)だが、実は実験音楽と呼ばれるものも作っている。こちらのほうが魅力的。
4月3日 - 蛯名信広、日本中央競馬会美浦トレーニングセンター所属調教師(* 1952年)
騎手時代は乗り馬に恵まれなかったけれど、それでもホワイトフォンテンやニッポーテイオーに乗っていた。時々万馬券を取らせてもらった。調教師としてはタイキヘラクレスでG1勝利。調教中に馬に蹴られて亡くなるというのが悲しくもあり、同時に本望でもあったかな…自分もそういう生き方がしたいと思う。
4月20日 - 清水由貴子、元歌手(* 1959年)
「欽ちゃんバンド」が懐かしい。何よりも介護疲れで自殺は、とても悲しい。
5月2日 - 忌野清志郎、ロックミュージシャン(* 1951年)
省略。「トランジスターラジオ」が大好き。個人的に幼少の頃は、あこがれのヒーロー。
5月3日 - 小池和夫、湖池屋創業者(* 1927年)
ポテトチップといえばコイケヤでした。いまやカルビーに席巻されていますが。
5月5日 - やまだ紫、漫画家(* 1948年)
「性悪猫」を残してくれてありがとう。絵に、柔らかさと神経質さが同居しているのがとても魅力的。
6月13日 - 三沢光晴、プロレスラー、プロレスリング・ノア社長兼選手(* 1962年)
三沢が自分よりも先に亡くなるとは思っていなかった。川田との主導権争いが全日本プロレスの全盛期だった気がする(馬場さんは別)。
7月5日 - 土居健郎、精神医学者、元東京大学教授・国立精神衛生研究所所長(* 1920年)
省略。「甘えの構造」の著者。思考するにあたって、とても影響を受けた。
7月21日 - 若杉弘、指揮者(* 1935年)
子どもの頃、ケルン放送交響楽団を率いて、日本でコンサートをしたときのNHK番組が忘れられない。曲は、ブラームスの交響曲第1番だった。たぶん、ドイツ語圏で初のアジア人・日本人指揮者ではないかしら…
7月22日 - 高久進、脚本家(* 1933年)
「Gメン75」の脚本家として覚えていた。スタイリッシュかつドライな内容が、70年代には新鮮であった。
7月28日 - 川村カオリ、歌手(* 1971年)
省略。幼い子どもを残して亡くなるなんて、母としてはとても残念でならないだろう…と思うと、悲しい。
9月27日 - 永井秀樹、オートレース選手(* 1973年)
競走中に、事故で亡くなった。まだ伸びると思っていただけにとても悔しい。
10月10日 - 江畑謙介、軍事評論家(* 1949年)
湾岸戦争のとき、CNNの映像を観ながら滔々と解説していたのが初認識。髪形が、爆発実験で失敗した博士みたいで印象深い。簡単に言えば軍事オタクのおっさんだろう。後継者はいるのだろうか。
こうやってみると、やっぱり、生きていることは奇跡的なんだ、としみじみ思う。
来年も、よいことが、みなさまにありますように。そして、生きていきましょう。
年内、ありがとうございました。