小うつな人・ケアマネな人、を応援する日記

小うつな方・ケアマネな方、どっちでもある方のために捧げる、ネタのたわごとです。めざそう癒し人!?

譲る

2012-03-12 08:41:57 | 弱さへの思考
twitterを見ていたら、H・G・ウェルズ(作家)が言った言葉として以下のものがあった。

「愛する気持ちを、憎しみや怒りよりも強く保ちなさい。妥協する知恵を学びなさい。なぜなら、少しぐらい譲歩したほうが、すべてを失うよりずっといいから。」

本当か否かは別として、なかなか考えさせられる。
それは、妥協や譲歩とは、あきらめや敗者の行動のように見えるから。

でも、もしかすると、これはちょっとした日常では有効のような気がした。

それは、とある利用者の一言から。
彼は、原因は不明だが両下肢が不自由である。でもなんとか歩行はできる。

杖をついてなんとか歩いていると、さまざまな人々と出会うそうだ。

クラクションを鳴らす車。

猛スピードで追い越していく、ママチャリ。

すれ違うまで待ってくださる人。

さらに一声(たとえばお大事にとか気をつけてとか)掛けてくれる人。


そのとき、彼は、基本的に、一歩待つ、そうだ。
相手に道を譲る。

そのとき、相手の行動を見るのが、とても興味深いと話す。

道を譲って…
まったく無視。
頭を下げる人。
「すみません」と言う人。

もし、ここで、インネンをつければ、すべてを失う可能性がある。
そこで、譲歩することで、それを避けることができる。

これを聞いて、自分も実験をしてみた。実に面白い。

たいていは、「無視」だ。

チャライい若者が意外にも「すみません」と言ったりする。→うれしい。

高齢者は「当然」という顔をした。

一番ひどいのは、保育園送迎時の母親の自転車だ。急いでいるのはわかるのだが、スピードを上げて、さも「譲るのは当然」という態度は腹立たしい。

というように、人は千差万別であることを見ることができる。そして、「譲る」というある種の美学もなくなりつつあることがよくわかる。

みなさんも実践してみてください。細い道で、相手が来たら譲ってみましょう。

しかし、
譲れないものもある。

それは、すべてを失う可能性のあるものには、断固として戦いを挑んでいく必要が、ある。
その区別をつけて、生きていたいと思う。