人は、社会は、いつから強さをよいものとしたのだろうか。
仮にダーウィンの進化論が正しいとするならば、全ての生物は弱いものを淘汰して、強いものが生き残る、と考えられる。
しかし、それならば現在ある多種多様な種を、ダーウィンはどう説明するのだろう?
自然淘汰された結果であるとするならば、弱さを抱えたものは生まれてこないはずではないのか?
突然変異はなぜ起こるのか?
一定の割合で脳卒中や認知症や統合失調症が発症したり、ダウン症が生まれたりするメカニズムをどう説明するのか?それとも現在進行形で自然淘汰がなされており、その過程であるのか?
疾病や障がいを抱えた人々、貧困で困難な状況にある人々、現在の社会構造に疑問を抱いたり不適応であったり強さを持てなかったりする人々…などを「弱さを抱えた人」とする。
弱さを抱えた人々は、実は大半を占めるはずである。
にも関わらず、一部の強さを抱えた人々を神のように奉信し、そのようになろうと「強さ」を求めるのはなぜなのだろう?だれもが目に見えぬ競争というレースに参加しているのだろうか。よく考えてほしい。亀田興毅のようにボクシングが強いだろうか?ビル・ゲイツのようにOSを世界中に売りさばけるだろうか?競走馬ウォッカのように世界を相手に勝てるだろうか?石川遼のように賞金王になれるだろうか?
なぜ弱さを抱えていながらも、競争して勝とうとするのだろう。
レースに参加することを降りるという選択肢もあるはずだ。
勝負をしない人生のほうがたくさんあるはずだ。
勝ち負けにこだわらず、生きてことが可能なはずだ。
これから、「弱さ」というものを考えていきたい。飽きないように考察するので、当分の間、共に考えてもらえると幸いである。
仮にダーウィンの進化論が正しいとするならば、全ての生物は弱いものを淘汰して、強いものが生き残る、と考えられる。
しかし、それならば現在ある多種多様な種を、ダーウィンはどう説明するのだろう?
自然淘汰された結果であるとするならば、弱さを抱えたものは生まれてこないはずではないのか?
突然変異はなぜ起こるのか?
一定の割合で脳卒中や認知症や統合失調症が発症したり、ダウン症が生まれたりするメカニズムをどう説明するのか?それとも現在進行形で自然淘汰がなされており、その過程であるのか?
疾病や障がいを抱えた人々、貧困で困難な状況にある人々、現在の社会構造に疑問を抱いたり不適応であったり強さを持てなかったりする人々…などを「弱さを抱えた人」とする。
弱さを抱えた人々は、実は大半を占めるはずである。
にも関わらず、一部の強さを抱えた人々を神のように奉信し、そのようになろうと「強さ」を求めるのはなぜなのだろう?だれもが目に見えぬ競争というレースに参加しているのだろうか。よく考えてほしい。亀田興毅のようにボクシングが強いだろうか?ビル・ゲイツのようにOSを世界中に売りさばけるだろうか?競走馬ウォッカのように世界を相手に勝てるだろうか?石川遼のように賞金王になれるだろうか?
なぜ弱さを抱えていながらも、競争して勝とうとするのだろう。
レースに参加することを降りるという選択肢もあるはずだ。
勝負をしない人生のほうがたくさんあるはずだ。
勝ち負けにこだわらず、生きてことが可能なはずだ。
これから、「弱さ」というものを考えていきたい。飽きないように考察するので、当分の間、共に考えてもらえると幸いである。