小うつな人・ケアマネな人、を応援する日記

小うつな方・ケアマネな方、どっちでもある方のために捧げる、ネタのたわごとです。めざそう癒し人!?

マスコミの大罪-「大往生したけりゃ医療とかかわるな「自然死」のすすめ」を読んで(その5)

2012-08-31 08:43:11 | 弱さへの思考
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日本人は、医療に期待しすぎる。でも、それは幻想であることを認識する必要がある。

これはマスコミの影響が大きい。
「世界で初めての成功!」というのは、「1000回目にしてやっと成功」とかであった場合、決してそうは言わない。
マスコミが取り上げるのは、特別なこと・珍しいこと・突出したことを取り上げてニュースになる。
普通で何の変哲もないことは取り上げない。ここを間違ってはいけない。いつも起きていることはニュースにならないのだ。

人間は生き物である限り、「老いて死ぬ」は取り外しようがない。
年老いたものを若返らせること、死ぬことを止めることも不可能、という限界がある。
よって、医療技術は所詮「中間技術」と言われる。

医療には「やってみないと、結果がどう出るかわからない」という不確実性がある。
時々「あなたは確実にこうなる!」と断言する医者がいるが、そんなことは誰にも分からない。とんでもないハッタリだ。治療法も数々ある。
本当に「医療は発達した」ならば、治療法は1つで十分。それがいくつもあるということは、どれもこれも「決定打に欠ける」のだ。

そして、日本人は「科学」という言葉にひれ伏す。弱い。
「エビデンス」(科学的根拠)とか持ち出されると、日本人は弱いので、疑問の余地のないものと思ってしまう。
でも、「エビデンス」は「統計学上意味のある差」=つまりは有効でだった(過去形)にすぎない。
有効グループの全員に効いたのではなく、効かなかった人もいるのだ。集団で比較した場合、「効あり」といえるだけである。
「特定の個人」「あなたにも有効」とは一切言っていない。
よって、「あなたの場合、あくまでも試してみないとわからない」のです。

「エビデンス」と言う介護職の方々がいるが、ここをよく考えて欲しい。
全員に共通の介護は、ありえない。介護は個別なのだ。共通の概念とは、「介護は(人のかかわりとは)個別的なものである」なのです。
それを忘れて「エビデンス」などといっている。間違ってはならない。

元に戻して。
そもそも、本人に治せないものを他人である医者が治せるはずがない。
病気や怪我を治す力の中心をなすものは、本人の「自然治癒力」。
本来医療は、本人の身体の反応する力を利用するもので、
例えば、最期の場面において、血圧が降下するので上げようと昇圧剤を使っても上昇しなくなる。
これは、本人の身体が薬に反応しなくなったためなのです。

そして、免疫学にインネンをつけるかもしれないが、
ワクチンを打ってもインフルエンザにはかかる。
この部分は、本書をお読みください。どれだけの人間がなくなっているか。
小児肺炎球菌ワクチンも同様です。これを打って亡くなった子どもがたくさんいます。
親としては「打たせなければ」と悔やむ。そして、ワクチンを打たないで小児肺炎球菌に感染して亡くなっても悔やむ。
全面的に、信頼できるものではないことは、みなさんもご存知でしょう。

このように、テレビやラジオを信じて止まない日本人。
考えましょう。
あなたの人生です。

次回は「医療も介護も拷問」を。

穏やかな死を邪魔する奴ら:続-「大往生したけりゃ医療とかかわるな「自然死」のすすめ」を読んで(その4)

2012-08-30 08:52:37 | 弱さへの思考
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本書の
p.17「治療に関する思い込みテスト」(治療に関する信頼度テストとも言う)の続き。


ちょっと飛んで
⑦よく検査するのは熱心ないい医者だ。
検査するのは、おそらく病院経営のためです。検査をたくさんすると、その分、保険で、病院にお金が入ってきます。
精査検査をすればたしかに詳しくは分かるでしょう。
その結果を踏まえて、好転させる手立てがあるかどうかが重要なのです。
わかりさえすればなんとかなるというのは、誤解です。
辛い・苦しい・恥ずかしい検査がたくさんあります。なのに、「ただわかっただけ」で「なにも手立てはない」としたら、
何のために耐え忍んだのでしょう?よく考えてください。

⑧医者にあれこれ質問するのは失礼だ。
自分の身体のこと・病気のことなのです。十分に納得いくまで聞きましょう。
嫌な顔をしたり、「自分を信用できないのか!」と怒鳴るようなら、即刻医者を変えましょう。
何度かお伝えしていますが、こういう医者、多いです。私などはケアマネジャーで医者とかかわったとき、あれこれ質問したところ「じゃ!お前が治せ!」と怒鳴られました。
こういう医者はヤブです。

⑨医者はプロだから、自分に一番いい治療法を教えてくれるはず。
そんなわけはありません。プロとしては、最善と信じる方法を勧めるでしょう。でも、治療法は唯一無二、1つとは限らなくなっています。
例えば、がん。
手術・放射線・化学、と各療法があります。
しかし外科医であれば切りたい。よって手術を勧める。しかも「放射線もいいかも」とは言わないのです。
よって。
紹介状を書いてもらい、意見を聞き、それぞれの長所・短所をはっきりさせること。
その際、同じ大学出身の医者に聞くことはやめましょう。
外科医が先輩の場合、異を唱える後輩は考えにくい。ここでも、ヒエラルキーは作用するのです。
あなたの身体と病気ですよ。にもかかわらず、「先輩後輩」という縦の関係は、続いており、それが治療に影響を及ぼすのです。これが、現実です。

医療は、針を突き立て、切ったり、はったりする「傷害行為」
なでたり、もんだり、妙なところに指を突っ込んだりする「強制わいせつ行為」
なのです。
これが許されるのは、目的が診断・治療にあり、患者が理解し、納得し、同意しているからにすぎません。
だからこそ患者は、辛さも恥ずかしさも耐えられるのです。もし医者であろうとも「趣味」でやっていたら逮捕されます。

内容を理解した上で、自分の生き方に照らして、治療法を選択しましょう。

飛んで
⑮リハビリすればするほど効果が出る。
酷ですが、そんなことはありません。
どんな状態でも、リハビリすれば元の状態に戻れる…というのは勘違いです。
どの程度まで回復するかは発症時点で決まっています。
よく「がんばったおかげで、こんなに回復した」などとマスコミ報道がありますが、
あれは「よくなるものが、がんばって、よくなっただけ」です。そして、報道するということは「極めてまれ」であるからです。
そうでないと、よくならないのは「本人の努力が足りない」という誤った自助論=差別につながります。

中国では「再建医学」と呼んで、残存機能や潜在機能をフルに活用し、補助具や用具や住宅改修をして、
病前の姿にこだわらず、病気や障害によって失われた「生活」をもう1度立て直すこと、と定義しています。


いかがでしょう?
これまで医療は全能だと思っていませんでしたか?
違います。医者は神さまではありません。
医療は、人が考えてやっていることです。

考え方を変えない限り、医者の思うツボです。

穏やかな死を邪魔するやつら-「大往生したけりゃ医療とかかわるな「自然死」のすすめ」を読んで(その3)

2012-08-29 10:11:46 | 弱さへの思考
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著者の考える「医療の鉄則」がある。これは「介護の鉄則」でもあると思う。

①死にゆく自然の過程を邪魔しない。
②死にゆく人間に無用の苦痛を与えない。

そこで、本書の
p.17に「治療に関する思い込みテスト」(治療に関する信頼度テストとも言う)がある。
いくつかをピックアップしてみる。

①ちょっと具合が悪くなると、すぐに医者にかかる。
安価な保険も悪因とは思うが、すぐに受診します?
原因療法があるため、受診したほうがいい病気は、そんなにはない!病気を治す中心をなすものは、本人の自然治癒力です。
○薬は援助物質であり、医者・看護師は援助者にすぎない。風邪などのウイルスである場合は、安静・保温・栄養の下、発熱の助けを借りて、自分で治すしかない。医者にかかったからといって早く治るわけはない!

②薬を飲まないことには、病気はよくならない。
○症状は早く治ろうとする身体の反応・警戒サインであります。
○無闇に抑えるのは「自然治癒力を邪魔する」こととなり、治るのが遅くなります!
○よほどしんどければ治りが遅れるのを覚悟の上で、苦痛の軽減、症状の緩和のために、ごく短期間、薬を服用するのがよい。

③病名がつかないと不安。
○この背景には「医療がこんなに発達したのだから、病名さえつけば必ずなんとかなるはず」という、医療に対する、重大な誤解・錯覚がある。よおく考えてください。病名がついても「難病」と呼ばれるものの、なんと多いことか。それに対し、対処療法しかないのが現実です。
○感染症と異なり、難病・生活習慣病は、その原因が体質や素質(遺伝子に問題があるなど)、悪い生活習慣、老化…など多岐に渡り、特定できません!
○よって、除去・撃退不能のため、完治ということは、ない!なのに「病名がついただけでほっとする」のはおかしいでしょ?

④医者にかかった以上、薬をもらわないことには気がすまない。
病気を治すのは薬ではない!
○元来化学物質である薬は異物であり、からだにいいもの・必要なものではない!
○あくまで、利益と不利益を天秤にかけて、利益が上回ると思えるときのみ、使用すべきものです。

⑤医者は病気のことは何でも分かる。
○身体や病気のことはいろいろわかってきているものの、まだ、わからないことの方が多いのです。
○わからないことをわからないと言える医者はヤブかめちゃくちゃ勉強しているかのどちらか。

と、こんなところですが、いかがでしょう?
思い込みというものは、習慣化されるので、概念を変えることは難しいのですが、
介護職の皆様、医療職のかたがたにいじめられているかもしれませんが、
じつは、このレベルなのです。
ある方向性=医療が病を治す・良化させると「信じる」ことが、かれらの信条ですから。
そこは、汲み取ってあげてください。

続きます。

お年寄りの勘違い-「大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ」を読んで(その2)

2012-08-28 08:54:30 | 弱さへの思考
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病院通いのお年寄りが多いのは、国と医者どもが、「健やかに老いなければいけない」と脅しをかけてきたせいもある。
本来、お年寄り(に限らず、年をとっていくということは)どこか具合が悪いのが正常。不具合のほとんどは老化がらみである。
医者にかかって薬を飲んだところでよくなるわけはない。
昔のお年寄りのように「年をとればこんなもの」とあきらめることが必要。
ところが、「年のせい」を認めようとせず「老い」を「病」にすりかえる。
なぜなら、「老い」は一方通行でその先には「死」がある。
しかし「病」ならば、回復が期待できる。
同時に、医者も儲かるというシステムになっている。

人間は生き物である。
「老いて死ぬ」という運命は免れない。
最先端医療も再生医療も、所詮「老いて死ぬ」枠内での話である。永遠に生きることは、絶対にありえない。
よって、このエリアにはお年寄りは近づかないほうがいいのだが、あがいて、近づく方々がいる。
これまた医者が儲かるベルトコンベアーシステムに乗っている。

「逝き方」は「生き方」である。
今日は昨日の続き。昨日と違う「今日」はありえない。よって、「今日=今」の生き方が問われる。


そういえば、本書に著者の見解が出ていた。「認知症」と言う言葉である。
この言葉、著者は嫌いである。
介護現場では「認知が進んで」とか平然とのたまう。
これだと、「良くなっている」という意味になる。
だれだ?認知症とかいう言葉を作って普及させたのは?
核心がぼけて、なんだかわからんだろう。

ちゃんと言おう。「認知症の周辺症状である○○(物忘れとか奇行とか弄便とか)が著明で…」などと言おう。
これ、言わないから「介護のやつらは…」って永遠に医療側から言われるのだ。

ということで、次回は「医療が穏やかな死を邪魔している」です。


「大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ」 中村仁一著 幻冬舎新書刊 を 読んで(その1)

2012-08-27 08:45:15 | 弱さへの思考
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今生きている方々、全員に読んで欲しいと願うほど、実に明確な本だった。特に、家族に要介護者がいたり、病者・要介護高齢者にかかわる職業の方々にはぜひとも読んで欲しい。
図書館にも蔵書していると思われるが、予約数でいっぱいのはず。新書で安いので、購入したほうがいいかもしれない。

著者は、京都大学卒業、医者となり、現在は特養の医者をしている。もう、高齢者の域だが、考え方は独特の価値観を持つ。

本書の内容をざっくりと説明すると、死生観の構築である。
加えて、医療の不手際の指摘。その医療と、この国の人びとはどのようにかかわりを持つか=距離感の取り方、を著したものである。


「はじめに」のところで、すでに、blogするには内容が濃すぎる。

○医者には序列がある。大学病院の医者が頂点で、以下、国立病院→日赤→済生会→県立・市立の「税立病院」と続き、次が、民間の大病院→中小病院→一番下が町医者(開業医)→その下に老人ホーム等福祉施設の医者。

もう、ここで、すでに、コメントしたい。
医者はヒエラルキーによって成り立っている。それはまるで大会社のようだ。同じ「医者」を名乗っていても、確実に序列が生まれている。ところが、大学病院の医者は一番最下層の「町医者(開業医)、老人ホーム等福祉施設の医者」より「腕が良くて、病気のことは何でも知っている。絶対に治してくれる」と思ったら大間違いである。逆もある(経験上、開業医さんの方が、レベルが高い。特に在宅医療専門の医師はピンキリではあるものの、少なくとも「生活」を視点に、医療を行ってくれる)。

実にくだらない世界でしょ?

以下、引用を継続。

○病院では最後まで、何かと処置をする。いや、しなければならないところが「病院」。よって、「自然死」はありえない。在宅における死も、ふつうは、病院医療を引き継ぐ(在宅酸素とかリハビリとか投薬とか)。よって、ほとんど「自然死」はない。

○また、医者も、何もしないことには耐えられない。しかし、それは、「穏やかに死ぬのを邪魔する行為」なのだ。

○よって、ほとんどの医者は「自然死」を知らない。人間が自然に死んでいく姿を見たことがない。だから「死ぬのにも医療の手助けが必要」と信仰している。

○「死」という自然な営みは、本来穏やかで安らかだったはず。医療が濃厚に関与することで、より悲惨で、より非人間的なものに変貌させてしまった。世の中で、一番の怖がりは医者だろう。それは、悲惨な死ばかりを目の当たりにしてきたせいでもある。


病院での死が、如何に悲惨であるか、そして自然死をするためには、この国では結構大変なことがわかる本書です。
あなたは、苦しんで死にたいですか?それとも、安らかにこの世を去りたいですか?
共に考えて生きましょう。

こんな感じで、おそらく長期連載をします。