「誰のための仕事 労働vs余暇を超えて (鷲田誠一著)」(岩波新書) を読んで その4
「遊び」…この言葉には、それ自体が持つ意味と同時に構造体の「すきま」という意味がある。
この遊びを内蔵してこそ、構造体が作動し始める。例えば、歯車というものがそれだ。
きっちりとはまっていては動かないし、ゆるすぎると空回りする。ちょうどよい「遊び」=「すきま」がないと歯車は動かない。
人間の体も、(知っている人はご存知とは思うが)すきまがあってこそ、ホメオスタシスが維持されている。
結局、うまく作動するか否かは「遊び」がいかに設置されているかにかかっている。
人間の活動について言えば、「遊び」こそ、アイデンティティを揺さぶるような、その根拠を賭けるような真剣さがあり、厳粛さすらある。
あらゆるギャンブル…スポーツ…海外旅行…読書…音楽の演奏…根拠を賭けているのでは?
しかし、こわばりをほどく力…これこそが「遊び」ではないだろうか。
「遊び」…この言葉には、それ自体が持つ意味と同時に構造体の「すきま」という意味がある。
この遊びを内蔵してこそ、構造体が作動し始める。例えば、歯車というものがそれだ。
きっちりとはまっていては動かないし、ゆるすぎると空回りする。ちょうどよい「遊び」=「すきま」がないと歯車は動かない。
人間の体も、(知っている人はご存知とは思うが)すきまがあってこそ、ホメオスタシスが維持されている。
結局、うまく作動するか否かは「遊び」がいかに設置されているかにかかっている。
人間の活動について言えば、「遊び」こそ、アイデンティティを揺さぶるような、その根拠を賭けるような真剣さがあり、厳粛さすらある。
あらゆるギャンブル…スポーツ…海外旅行…読書…音楽の演奏…根拠を賭けているのでは?
しかし、こわばりをほどく力…これこそが「遊び」ではないだろうか。
…人生を長い目でみて、肩の力をぬいてみること
…ぼくはぼくの人生の主役なんだって、自分におしえてあげること。
…もってる力をうまくいかせば、前に進んでゆけるんだって気づくこと。
…金メダリストだって、ぼくらとおんなじふつうのひとかも、って考えてみること。
こども哲学「人生ってなに?」(オスカー・ブルニフィエ)より
…ぼくはぼくの人生の主役なんだって、自分におしえてあげること。
…もってる力をうまくいかせば、前に進んでゆけるんだって気づくこと。
…金メダリストだって、ぼくらとおんなじふつうのひとかも、って考えてみること。
こども哲学「人生ってなに?」(オスカー・ブルニフィエ)より
「誰のための仕事 労働vs余暇を超えて (鷲田誠一著)」(岩波新書) を読んで その3
とはいうものの「遊び」もコントロールされつつあるのを、実感するだろうか。
気持ちいいこと・楽しいことこそしなければ!という意識が煽りたてられている。
「絶えず何かをしていないと不安になる」という「病」が生産される。
なぜ、そうなったのか?考察して見よう。
「労働フェティシズム」のように執着することで自己保持を構成するかの如く、休みの日にも「何かしなければ」という意識が芽生える。労働フェチの延長である。
それを煽るように、すべてのメディアは、構成されている。
「旅に出よう」とか「これはお買い得」とか「こうするのが正しい余暇の過ごし方」のようなアプローチだ。
それに乗せられて、騙されてはいけない。いや、満たされれば騙されてもいいのだが…
結果、仕事も遊びも、手を抜くことなく全力投球…というきまじめなメンタリティが形成されてしまう。
「遊び」について、もう少し考えてみたい。
とはいうものの「遊び」もコントロールされつつあるのを、実感するだろうか。
気持ちいいこと・楽しいことこそしなければ!という意識が煽りたてられている。
「絶えず何かをしていないと不安になる」という「病」が生産される。
なぜ、そうなったのか?考察して見よう。
「労働フェティシズム」のように執着することで自己保持を構成するかの如く、休みの日にも「何かしなければ」という意識が芽生える。労働フェチの延長である。
それを煽るように、すべてのメディアは、構成されている。
「旅に出よう」とか「これはお買い得」とか「こうするのが正しい余暇の過ごし方」のようなアプローチだ。
それに乗せられて、騙されてはいけない。いや、満たされれば騙されてもいいのだが…
結果、仕事も遊びも、手を抜くことなく全力投球…というきまじめなメンタリティが形成されてしまう。
「遊び」について、もう少し考えてみたい。