小うつな人・ケアマネな人、を応援する日記

小うつな方・ケアマネな方、どっちでもある方のために捧げる、ネタのたわごとです。めざそう癒し人!?

おむつ交換

2010-03-23 20:47:18 | 思考ツール
これを読まれておられる方々は、排泄ということについてどうお考えだろうか?
これはたぶん、人間の、個人の、最後の尊厳の1つと考える。
それを他者の手、ましてや、なんのかかわりもない人にゆだねざるを得ないという状況について考えたことはあるだろうか?
そこのあなた。ケツの穴までみられて、きれい(または適当、またはあんまりきれいではない)にされることをどうお考えか?
そういう趣味をお持ちの方ならばよい。
しかし、「致し方ない」ととらえ、余儀なくされている人も多いだろう。

忘れてはいけない。
おむつ交換が本人にとって、適切、かつ、快適に行われるには、信頼関係が重要であることを。
もし、交換する側のあなたが、交換すべき人に対して嫌悪感を抱けば、それはすぐに伝わる。そしてそれは快適ではない。
しかし、交換する側のあなたが、「この方は私に、一番大切な部分(身体のパーツやそのシーンも含めて)を見せてくださっている」と考えを変えることは、交換する側のあなたにできることだ。
それは、とても重要な思想であり、それによりコミュニケーションが成立すると考えられる。
交換する側のあなたは、普段から、「交換される側」の人々に、そういう気持ちを持ってもらうにように関わっているだろうか?

もし、排泄介助がうまくいくとしたら、それは技能ではない。
「愛情」という問題なのだ。「信念」や「哲学」や「信仰」かもしれない。

何よりも「交換される側」は、「交換する側」を選んでいる。
もし、適切に快適に交換できるあなたであれば、それは、あなたは、その人から「選ばれている」のだ。

そういうことで「ヘルプマン!」14巻が発売になった。
借りてもいいから、読んで欲しい。

私たちは、高齢者や障がい者に関わる際に、何かを忘れているような気がして、それを思い出させてくれるマンガだと思う。

現実療法(5)

2010-03-22 20:55:05 | 思考ツール


前回は、クライアント側に必要な資質について伝えた。

関わりを持とうとする意思の大切さであった。それがあるからセラピーを受けに来ていると思われがちだが、その力を発揮するためにはセラピスト側に「伝える力」がないとならないと考えた。
今回は、セラピストの条件を定義してみる。

セラピストの条件
○ タフで関心が強く
○ 人間的で
○ 感受性豊かな極めて責任ある人間でなければならない。
○ 自分のクライアントに対する苦闘について喜んで討論しなければならない。
○ 自分の振舞い・表現・評価といったものは「たいして重要ではない」とほのめかしてはいけない。
○ 関わり合いを継続できる強さ。
○ 自分の価値をクライアントに吟味してもらう強さ
○ クライアントの強烈な批判に耐える強さ

これらを持たなければならないと思われる。
セラピスト、大変…たぶん、どのカウンセラーも全ては持っていないだろう。
だからこそ、日夜勉強が必要で、全ての体験はセラピストにとって重要なセンテンスとなりうると思われる。

セラピストはどのような誤りや欠陥もクライアントから攻撃される。セラピストは完全ではない。しかし、どんなに大きな努力が必要になっても、「人は責任ある行動が可能なのだ」ということを示してやらなければならない。ご都合主義であってはならない。クライアントの無責任な行動に対して、決して容赦はしないが、それにより苦しむ姿を、ある種、喜んで見守らなければならない。セラピストは責任ある生活を送る力だけではなく、クライアントが無責任さを認めて欲しいという現実に立ち向かうときや、クライアントがいかに苦しんで現実と闘っているときも、その現実を指摘し続ける力を「付け加える」必要がある。

○ 欲求充足ができないために孤立した、または、変則的な特異な状態にある人のことを十分に知り、理解しなければならない。
○ あるがままに受容する。
○ その行動を理解する。
これらの実行には能力が必要である。驚いたり、批判したりしてはならないと考える。

次回は、セラピーの状況において、クライアントの行動を考えてみる。

現実療法(4)

2010-03-19 22:25:25 | 思考ツール
現実療法適用の条件
① 関わりがあること。
② セラピストは非現実的行動を拒みつつ、クライアントを受容し、関わりを維持する。
③ 現実の限界内での欲求充足の、よりよい方法をクライアントに伝えなければならない。

もっとも、困難であるのは①である。非行者や病識のない人には、これが難しい。関わり合いの成立の仕方を理解しようという方法の1つは、クライアントに必要な資質を伝えること。持てば持つほど、十分な関わり合いを発展させることが可能となる。

セラピストの条件
○ タフで関心が強く
○ 人間的で
○ 感受性豊かな極めて責任ある人間でなければならない。
○ 自分のクライアントに対する苦闘について喜んで討論しなければならない。
○ 自分の振舞い・表現・評価といったものは「たいして重要ではない」とほのめかしてはいけない。
○ 関わり合いを継続できる強さ。
○ 自分の価値をクライアントに吟味してもらう強さ
○ クライアントの強烈な批判に耐える強さ

これらを持たなければならない。

どのような誤りや欠陥もクライアントから攻撃される。セラピストは完全ではない。しかし、どんなに大きな努力が必要になっても、「人は責任ある行動が可能なのだということを示してやらなければならない。ご都合主義であってはならない。クライアントの無責任な行動に対して、決して容赦はしないが、それにより苦しむ姿を、喜んで見守らなければならない。セラピストは責任ある生活を送る力だけではなく、クライアントが無責任さを認めて欲しいという現実に立ち向かうときや、クライアントがいかに苦しんで現実に闘っているにせよ、現実を指摘し続ける力を付け加える必要がある。

○ 欲求充足ができないために孤立した、または、変則的な特異な状態にある人のことを十分に知り、理解しなければならない。
○ あるがままに受容する。
○ その行動を理解する。
これらの実行には能力が必要である。驚いたり、批判したりしてはならない。

現実療法(3)

2010-03-19 06:12:54 | 思考ツール
長らく、頓挫していた「現実療法」について再開。

前回は

現実療法の根本について。
○誰かが真にクライアントに関心を持ち
○その人がクライアントのことを気遣ってくれる
○思っていてくれる
○そしてクライアントもその人に関心を持ち
○その人を気遣い
○その人のことを思っている
という関係の構築について伝えた。

今回は「責任」という問題について考えてみたい。

「責任」とは何か?
それは「欲求を充足する能力であり、しかも他人の欲求充足能力を、その人から奪わないような方法で充足する能力」と定義できる。
例えば、一発だけヤリたいオトコが、そのためだけにオンナの心を操り、つけ込む行為(その後オンナは傷心し自殺などしようものなら)は「無責任」と言える。

他人のために、ある行動を遂行する、という時、要求されたことを他人のためにだけでなく、自分のために自己価値の尺度を得ようとして行うこと。
無責任な人は言ったこと・印象・しなければならない努力などが、自分にとって利益になるかどうかによって行為に移したり、移さなかったりする。こういう人は他人の尊敬も自尊心も得られない。それは自らも他人をも苦しめる原因となる。

しかし、責任を身につけることは、生涯にわたる複雑な問題である(私が思うに、これはエリクソンの「発達心理学」にも通じると思う)。生涯にわたり学習されなければならない。ということは、大変困難である。自他共に無責任に行動した結果が、現代の社会となっているような気がする。そして、なぜか、そういう人々が、この国や世界を仕切っているような気がする。
市民がちゃんとしなきゃ、ダメな時代になりましたなぁ。

そこで、こう、定義づけよう。
責任ある人=精神的健康
無責任な人=精神的な病気

と定義する。こうすると、わかりやすいかもしれない。周りを見渡して、自分自身も振り返って、考えてみましょうか。

不安は変わらない

2010-02-12 20:00:20 | 思考ツール
「独身にとって不安なのは親の介護」とファイナンシャルプランナーの金子裕子氏が言っていた。

がしかし、独身に限らず、親の介護は、未婚・既婚問わず課題であると思う。

ファイナンシャルプランナーが言うように経済的に加え、
生活面(具体的に衣食と排泄に入浴、家事全般)と、本人らしさの生き方継続(それまで行われていた「自分」な生き方継続)
がある。

経済面で切るならば、ファイナンシャルプランナーではなくてもできる。人は生き続ける限り、金は必要なのだから。
それより問題なのは、日々の具体的生活だろう。

誰が、
掃除・洗濯・買い物・布団干し・インフラの支払い…をしながら、食べて、着替えて、風呂に入って、トイレに連れていけばいいのか。
家族が中心となり、できねば、介護サービス利用しかない。ここで初めて、ファイナンシャルプランナーの出番かもしれない。または地域包括支援センターの出番だろう。

金という面で切る前に、「自分たち家族はどのような形態なのか」を検証すべきだと思う。心配しているあなたは、親をどう考え、関わろうというのか?
そして、親自身の生き方を、どのように継続できるのか。

人は金のみに生きるにあらず。