小うつな人・ケアマネな人、を応援する日記

小うつな方・ケアマネな方、どっちでもある方のために捧げる、ネタのたわごとです。めざそう癒し人!?

お年寄りの勘違い-「大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ」を読んで(その2)

2012-08-28 08:54:30 | 弱さへの思考
blog転居移行中!

http://psalm098.blogspot.jp/

お手数ですが、ブックマークの方は、変更を願います。

-----


病院通いのお年寄りが多いのは、国と医者どもが、「健やかに老いなければいけない」と脅しをかけてきたせいもある。
本来、お年寄り(に限らず、年をとっていくということは)どこか具合が悪いのが正常。不具合のほとんどは老化がらみである。
医者にかかって薬を飲んだところでよくなるわけはない。
昔のお年寄りのように「年をとればこんなもの」とあきらめることが必要。
ところが、「年のせい」を認めようとせず「老い」を「病」にすりかえる。
なぜなら、「老い」は一方通行でその先には「死」がある。
しかし「病」ならば、回復が期待できる。
同時に、医者も儲かるというシステムになっている。

人間は生き物である。
「老いて死ぬ」という運命は免れない。
最先端医療も再生医療も、所詮「老いて死ぬ」枠内での話である。永遠に生きることは、絶対にありえない。
よって、このエリアにはお年寄りは近づかないほうがいいのだが、あがいて、近づく方々がいる。
これまた医者が儲かるベルトコンベアーシステムに乗っている。

「逝き方」は「生き方」である。
今日は昨日の続き。昨日と違う「今日」はありえない。よって、「今日=今」の生き方が問われる。


そういえば、本書に著者の見解が出ていた。「認知症」と言う言葉である。
この言葉、著者は嫌いである。
介護現場では「認知が進んで」とか平然とのたまう。
これだと、「良くなっている」という意味になる。
だれだ?認知症とかいう言葉を作って普及させたのは?
核心がぼけて、なんだかわからんだろう。

ちゃんと言おう。「認知症の周辺症状である○○(物忘れとか奇行とか弄便とか)が著明で…」などと言おう。
これ、言わないから「介護のやつらは…」って永遠に医療側から言われるのだ。

ということで、次回は「医療が穏やかな死を邪魔している」です。


最新の画像もっと見る