小うつな人・ケアマネな人、を応援する日記

小うつな方・ケアマネな方、どっちでもある方のために捧げる、ネタのたわごとです。めざそう癒し人!?

社会学の基礎の基礎(8)

2009-08-31 21:56:52 | 日記
社会学の基礎の基礎(8)

台風は、どうやら過ぎ去ったようで、ほっとしました。
今夜は卵納豆ぶっかけごはんを食べました。
やはりうまいです。

今回は、相互行為と社会についてです。

相互行為とは社会学の基本単位です。
相互行為のセットが社会と考えられます。つまり、社会は相互行為によって形成されます。行為(目的合理的行為も価値合理的行為も)は常に相互行為の1部です。

そこで、相互行為の規則を考えたいと思います。
不安定のように見えて、安定している社会(そういえば、自民党は民主党に政権を譲りました。奪われた?)。
シナリオがないのに現実の相互行為が予想に違わず形成されることが多い…(同上)
これは相互行為の形成を制御する規則があるのです。

相互行為のパターンはだいたい、決まっています。ナンパという行為を思い浮かべていただければわかりやすいでしょう。(男性からみた場合のパターン)

声をかける→①大反応(超好みのタイプ)②ちょいと反応(何かが嗜好に反応)、③無視(興味なし)、④拒絶(大嫌い)

わかりやすいと思いますが…どうでしょうか。女性側としても、この4つの反応以外はないかと…

取り急ぎ、ネットワークと相互作用について考えたいと思います。
社会学は「つながりの科学」です。心理学や哲学は、どちらかというと、内向きな科学といえると思います。自ら思考を深めるのが哲学で、心理学は、相手(精神科医やカウンセラー)と共に(通して)自分の思考を深めます。

社会学の見地からは、ネットワークとは、繋がっている当事者間におけるクモの糸であり、コンセプトは「つながりの量」と「方向」などに注目する際に用いられる「物理的側面」であると言えます。
ずっといい続けていまする「相互行為」とは「当事者たちの『意味内容』を対象」としているのです。
どちらも、「つながり」であり、ネットワークは「物理的側面」で相互行為は「意味内容」と考えられます。

う~ん、難しいかしら…
基本は「つながり」であり、ネットワークといった場合、それは「物理的」であり(例えば、インターネット・メール・手紙・人と人とのつながり・人脈っていうやつ…など)、相互作用といた場合は「意味」(愛しているとか好きとかよろしくとか嫌いとか)を表していると考えると分かりやすいかもしれません。

で、実は、この後、社会学は「プロセス」とか「マクロ」とか「統計学」とか、そのような視点で展開したいと思ったのですが、あまりにも、膨大なので、一旦休止します。
それは、私たち「小うつでケアマネな人々」に必要なことは「生きるためにどのような考え方を持てば、楽であるか」がテーマであると思うからです。

そこで、次回から、「家族社会学」を考えていきたいと思います。
「家族」という響きはあまりにもこっ恥ずかしく、懐かしく、必要なものであると思いながらも、形成することが難しくもあり、簡単でもある、なんだか嫌な・不思議なものであると思います。「ファミリー」というとまた、違う意味になったりします。

でも、人は皆、1人では生きていけないとするのであれば、「家族」という概念を捨てることは出来ないと、私は考えます。

家族とは「血がつながっている」ものなのか?(え?!じゃぁ夫婦は?)
親族だけなのか(え?!じゃぁ、ものすごく親しい人たちで1つ屋根の下で生活しつつある高齢者たちは『家族』ではなのか?)
バツイチ同士が家族を形成することは?(え?!それは現状にfitしていないじゃない?!)
子どもを産んで保育する(え?!じゃぁ、同性愛者の家族で養子を迎えた場合、その関係性は家族ではないのか?しかもチョー仲が良いのだけれど)
ホームレスなんだけど、世界中の人が家族である、と考えている人は、家族の一員なのか?誰の家族の一員なのか?


こういう疑問を持ちつつ、「家族」を考えて生きたいと思います。
それは、
「小うつな人」「ケアマネな人」にとって、とても重要なファクターだと思うからです。

共に、家族を、考えていきませんか?フィードバックはいりません。それぞれが答えを持って下されば幸いです。
○「サザエさん」よりは「ちびまるこちゃん」の方が、もしかすると現代に近いことを、ちょっと意識しつつ。
○ホームレスの人や孤立無援の人が、何らかの形で、人々と関わっているとする(と思うの)ならば、それは家族である、ということを意識しつつ。
○今、パキスタンやガサ地区で起こっていることは、私たちと関係があるのか?ということを意識しつつ。

小休止-「フューチャー・イズ・ワイルド」読書感想文

2009-08-30 20:30:23 | 日記
小休止-「フューチャー・イズ・ワイルド」読書感想文

「フューチャー・イズ・ワイルド完全図解」クレアー・パイ著 疋田努監修 土屋晶子訳を読みました。というよりは見ました、が正しいかもしれません。この本は、ずばり絵本になっています。楽しく見ることが出来ます。

これまで、地球は変化し続けていました。大陸の変動、気候変化、理由不明な大量絶滅(カンブリア紀や恐竜時代は、すべて突然に終わっています)。そして人類の時代は、それらに比べると短いのですが、おそらく人類も大量絶滅するのでしょう。そして、その後、厳しい世界の中で、これまでの生物たちが進化を遂げて生き残った空想の生き物世界を、この絵本は描いています。

500万年、1億年、2億年後と年代を分けての、それぞれの陸・空・海での生き物はとても奇妙であり、狡猾であり、厳しい環境に生きていくことの大変さを感じます。
進化を続け、生存競争を勝ち抜くためには、「大きいからだ」(大きいとおそれるべき敵がいない)「仲間との協力」(アリとか。人類もこの部類)「スピード」(捕食者につかまらない速度を持つことが生き延びる)「たくさんの子ども」(多くの子どもが死んだとしても次の世代をつくっていけるくらいの数は、必ず生き残る)がファクターとしてあります。

ふと我に返ると、大きい体は無いし、スピードもないし、たくさんの子どももないし(というかできないし)…そうすると「仲間との協力」しか、生存競争に残る方法しか残らない…自分は立派な人類?なのだなぁ…と同時に、「仲間」がいなかった場合、私は、確実に種を残せない…などとも考えました。それ以前の問題もあるのですが…まぁ、生き残らなくてもいいかぁ。

話を元に戻して。
上記に加えて、化石の分析や遺伝子の研究を通して、未来の生き物を空想することができます。みなさんもお時間があったら考えて見ましょう。
○生命は海で誕生し、その後、海から陸にと上がる動物たちが現れた。
○生息環境を選ばない動物は、生き残る可能性が高い。
○どんなものでも食べられるほうが(好き嫌い無し、雑食)、食べ物が少ない時には都合がいい。
○寒いところで暮らす動物は体温を保つために体の脂肪層や毛皮が発達する。
○体が大きい動物は、捕食者に簡単にはおそわれない(でかいほうが生き延びる可能性がある。食べ物のこともあるけど)。

この絵本には、これらを考慮した生き物たちがそれぞれの時代について想像されています。

500万年後:大陸はプレートの移動により、アフリカとヨーロッパがくっつく。地球全体の気温は下がり(温暖化となるという説もあるが、ここでは気温が下がることとする)地表が氷で覆われる。人類は絶滅するが、生き残った動物たちは寒い環境に適応していく。

氷原では…シャグラット(げっ歯類の巨大化したもの。カピバラより大きいねずみのような生き物。毛皮でおおわれている。群れで生活する。)スノーストーカー(いたちのような生き物で、シャグラットの天敵。)
盆地では…スクローファ(いのししの子孫。なんでも食べる。大きい。)やグライケン(いたちのような生き物。スクローファより小さいがスクローファの子どもをえさにしている)。
草原では…バブカリ(地上に降りた最後のサル。群れて、智恵を使って生活する。でも滅ぶ)など。
砂漠では…デスグリーナー(1.3mのこうもり)


1億年後:地球の気候は暖かくなり、それまであった氷がとけて海水面が高くなる。暮らしやすい環境と気候が成立する。様々な生き物が誕生する。

暖かい海では…オーシャンファントム(カツオノエボシという現代の生き物が巨大化したもの)
沼地では…スワンパス(水陸両用のタコ)トラトン(亀から進化した地球史上最大の草食動物)


2億年後:大陸はさらにプレート移動をして、1つになる。「第2パンゲア大陸」ができあがる。強い風が吹く海岸沿いは気温がそれほど上がらないが、大陸の内側はおそろしく暑く乾燥している。厳しい環境で生き延びる生き物がいる。

…もう、すごいです…絶句。ぜひ見て下さい。ちょっとだけヒント。イカが陸も海も支配します。


ということで、こういう本を読んでいると、現実逃避ができて。
かつ、日々のくだらないことが、ますますばかばかしくなって、ちっちゃいことは気にしない…となれるといいなぁ。

明日は社会学に戻ります。

選挙速報見なきゃ。あと、台風も気をつけましょう。

社会学の基礎の基礎(7)

2009-08-29 22:47:06 | 日記
社会学の基礎の基礎(7)

今日の昼ごはんはペペロンチーノを作って食しました。
おいしかったです。
夕飯は洋風ちらし寿司でした。酢の変わりにレモンの汁を使いました。
これまたおいしかったです。

今夜の「レッドカーペット」はU字工事とコラボカーペットが面白かったです。「スターウォーズ エピソード2」も観ています。

「記号とシンボル」についてお話します。

記号とは、情報を担う、知覚の対象であり、例えば、音・色・デザインです。文章というものはデザインと音の合成です。アルファベットやカナは記号です。
シンボルとは、意味を担う記号のことです。言語がそれにあたります。これには約束事が含まれます。例えば、漢字です。それぞれに意味があります。また、絵や写真なども「アイコン」として意味を持ちますからシンボルといえます。言語で「うれしい」と表記したり発語すれば、それは喜びの気持ちと対応しています。

シンボルと相互行為についてさらに深めましょう。
相互行為とは、複数の人間の間で取り交わされる、「行為」のやりとりです。かみ合わないのではなく、インタラクティヴでありますが、無視・拒絶も相互行為です。ある物事に対して無視や拒絶すれば、それは行為のやり取りとして成立します。これを可能にするのが「シンボル」です。たいていは言語で行われますが、絵や写真などのアイコンもなりうるのです。音楽もなるかもしれません。

次回、相互行為と社会についてお話します。

社会学の基礎の基礎(6)

2009-08-28 21:54:48 | 日記
社会学の基礎の基礎(6)

まとめは、本日は割愛しまして、「行為」の細分化を致します。

「目的合理的行為」と「価値合理的行為」というのがあります。

前者は「ある目的を実現するための行い」のことであります。

その行為自体が目的ではなく、別の目的のための手段であることです。
例えば、音楽教室に通う→楽器がうまくなる→演奏者として有名になる→スターになる→実力と名声を得る。→スターダムにのし上がる→金持ちになる→幸せな生活(に思える)。

これは「目的合理的行為の連鎖」と呼べると思います。

ふだんの行いは、このタイプであると考えられます。

「価値合理的行為」とは
「行為そのものが、そのひとにとって、意味のあること」であります。

例えば、「行為そのものに価値があること」です。

例えば、「クラリネットを吹くのが好き」→「楽しい・幸せ」ということです。
連鎖の無い自己完結的な行いと呼べます。好きなことをすること、とも言えそうです。

実は、「目的合理的行為」と「価値合理的行為」がたいていの場合、ほとんどでることは、間違いないというのが基本です。
みなさんの生活を振り返ってみて、いかがでしょうか?

次回は、ちょっと飛んで、「記号とシンボル」についてお話します。

おやすみなさい。

社会学の基礎の基礎(5)

2009-08-27 21:41:06 | 日記
社会学の基礎の基礎(5)

社会学の基礎の基礎へ戻ります。
この4回をまとめますと、社会は「規範」というもので、成り立っています。
「規範」は「社会のため」に存在します。
同時に「価値」という概念もあり、
それは「自分のため」にあります。

しかし、規範と価値の摩擦と対立が起こることがあります。どちらも大切なものであるにもかかわらず対立が起こることがあります。
これらが「心」の働きです。

心の動きとは別に「行為」というものがあります。
行為とは「社会の中で意味を有した行い」であり「エネルギーを使って集団や社会に関わること」です。
そして、なされた行為から、その背景となる「規範」と「価値」を推し量ることができます。

今回は「行為」と「行動」の違いについてです。

「行為」は「その行いがどのような規範と価値によって行われたのか、『内面』からみた場合」であります。
「行動」は「その行いがどのようなものであるか、『外から』の観察によってみた場合」であります。

つまり、外から見た物理的動作が「行動」とみなされると思います。
行動の視点は、行為の視点に比べると、「意味理解が不十分」である反面、「大勢の人たちの動きを系統的に観察する」のに適しています。

これらを踏まえて、次回はもう少し掘り下げていきたいと思います。