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http://psalm098.blogspot.jp/
お手数ですが、ブックマークの方は、変更を願います。
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「社会保障費」について。
アーミッシュは社会保障税を払っていない。(!)
社会保障税は「世界」である「アメリカ政府」の保険、と捉えている。
高齢者・病弱者・老人・精神障害者・身体障害者たちは、拡大家族ネットワークの中で、可能な限りケアされる。ここにも「相互扶助」の哲学が色濃く反映されている。
社会福祉が必要な人々の世話を「国家」に託すならば、「教会が兄弟姉妹の面倒を見る」という信仰の根本的教義に反する、と考えている。
アーミッシュの人びとは、社会保障税も払わなければ、給付金も受け取らない。
そして、このように言う。
「給付を受けずに社会保障税を支払うことは、死んだ馬を買うようなもの」社会保障制度を無視しているので、退職金=年金はもらえない。医療と福祉制度も受け取らない。
アーミッシュには「自分たちで面倒をみる」という長い歴史がある。
公的福祉をほとんど(というか、ほぼ)必要としない。
裏を返すと、公共の福利にも、実質的に多大な貢献をしているといえる。イマイチな社会保障を利用していないのだから。それは公費捻出をしないのだから、国家とってはよい。
よく
「社会保障費を払っているのだからもらわなければ」という人びとがいる。
無駄な医療(いやご本人にとっては無駄とは思っていないけれど=医者にとっては絶好の餌食)、
無駄な介護サービスの使用(いやご本人にとっては無駄とは思っていないけれど=事業所にとっては格好の餌食)
高額所得者の年金の受給→制度自体が崩壊しており、年金受給額も年々下がる。でも、現役世代の徴収は増える一方。この9月からも上がることはご存知ですか。
こうやって、社会の「税」を使っている限り、負のスパイラルに入っているのだ。
確かに、受給しなければ「死んだ馬を買うようなもの」なのだ。それはわかるが、この国の法律では選択肢は、ない。
何度も言うが、
この国は、国民1人ひとりを守ろうという気は、さらさらない。
311以降の国の対応。
消費税増税決定。加えて社会保障については何も決まっていない。
尖閣諸島・竹島の問題を見てもわかるとおり。
福島原発事故において、疎開しないことをみてもしかり。
要は、「養分」である「国民」に名ばかりの「主権」などといっていい気にさせといて、「どうやったら税金取って国庫を潤し、自分たちは高給取りになれるか」しか、考えていない。
そんな「世界」=「国」に税金・保険料を払う必要があるのか?考える必要がある。
もし、この国がアメリカのような医療制度(医療保険への加入は自己決定)を導入していれば、間違いなく、払わないだろう。
そのシステムにしなかったのは、「国民皆保険」などというもっともらしいことを言って、
医者と国を潤すためのシステムを構築したに過ぎないのだ。
アーミッシュの生き方は、とても興味深い。
質素・簡素であり、自主性・精神性・信仰を固持し、現代技術との折り合いをつけながら、他者を尊敬しつつ、なんとか現代を生き抜こうとしている。
そこでひねり出された考えや技術は、私たちにも活用できるものなのかもしれない。
311以降、
考え方が変わった人々がいる。
例えば、
国家は、徴税するばかりで、何もしない・うそばっかりであり、
経済状況が好転する兆しもない中、
消費行動ではなく、資源を上手く使うことが求められ、
そして、大切なことは、お金ではなく、人であること=相互扶助であることが
徐々に広がりをみせている。
そんな中、アーミッシュの生活は、有効なのかもしれない。
それは、宮崎学氏の「自己啓発病」社会で語られた「自助は他助になり、他助は自助になる関係」=「他人を助けるのは自分のため。」と通ずるものと思える。
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「社会保障費」について。
アーミッシュは社会保障税を払っていない。(!)
社会保障税は「世界」である「アメリカ政府」の保険、と捉えている。
高齢者・病弱者・老人・精神障害者・身体障害者たちは、拡大家族ネットワークの中で、可能な限りケアされる。ここにも「相互扶助」の哲学が色濃く反映されている。
社会福祉が必要な人々の世話を「国家」に託すならば、「教会が兄弟姉妹の面倒を見る」という信仰の根本的教義に反する、と考えている。
アーミッシュの人びとは、社会保障税も払わなければ、給付金も受け取らない。
そして、このように言う。
「給付を受けずに社会保障税を支払うことは、死んだ馬を買うようなもの」社会保障制度を無視しているので、退職金=年金はもらえない。医療と福祉制度も受け取らない。
アーミッシュには「自分たちで面倒をみる」という長い歴史がある。
公的福祉をほとんど(というか、ほぼ)必要としない。
裏を返すと、公共の福利にも、実質的に多大な貢献をしているといえる。イマイチな社会保障を利用していないのだから。それは公費捻出をしないのだから、国家とってはよい。
よく
「社会保障費を払っているのだからもらわなければ」という人びとがいる。
無駄な医療(いやご本人にとっては無駄とは思っていないけれど=医者にとっては絶好の餌食)、
無駄な介護サービスの使用(いやご本人にとっては無駄とは思っていないけれど=事業所にとっては格好の餌食)
高額所得者の年金の受給→制度自体が崩壊しており、年金受給額も年々下がる。でも、現役世代の徴収は増える一方。この9月からも上がることはご存知ですか。
こうやって、社会の「税」を使っている限り、負のスパイラルに入っているのだ。
確かに、受給しなければ「死んだ馬を買うようなもの」なのだ。それはわかるが、この国の法律では選択肢は、ない。
何度も言うが、
この国は、国民1人ひとりを守ろうという気は、さらさらない。
311以降の国の対応。
消費税増税決定。加えて社会保障については何も決まっていない。
尖閣諸島・竹島の問題を見てもわかるとおり。
福島原発事故において、疎開しないことをみてもしかり。
要は、「養分」である「国民」に名ばかりの「主権」などといっていい気にさせといて、「どうやったら税金取って国庫を潤し、自分たちは高給取りになれるか」しか、考えていない。
そんな「世界」=「国」に税金・保険料を払う必要があるのか?考える必要がある。
もし、この国がアメリカのような医療制度(医療保険への加入は自己決定)を導入していれば、間違いなく、払わないだろう。
そのシステムにしなかったのは、「国民皆保険」などというもっともらしいことを言って、
医者と国を潤すためのシステムを構築したに過ぎないのだ。
アーミッシュの生き方は、とても興味深い。
質素・簡素であり、自主性・精神性・信仰を固持し、現代技術との折り合いをつけながら、他者を尊敬しつつ、なんとか現代を生き抜こうとしている。
そこでひねり出された考えや技術は、私たちにも活用できるものなのかもしれない。
311以降、
考え方が変わった人々がいる。
例えば、
国家は、徴税するばかりで、何もしない・うそばっかりであり、
経済状況が好転する兆しもない中、
消費行動ではなく、資源を上手く使うことが求められ、
そして、大切なことは、お金ではなく、人であること=相互扶助であることが
徐々に広がりをみせている。
そんな中、アーミッシュの生活は、有効なのかもしれない。
それは、宮崎学氏の「自己啓発病」社会で語られた「自助は他助になり、他助は自助になる関係」=「他人を助けるのは自分のため。」と通ずるものと思える。