1995年1月17日。
私は中学3年生でした。
ちょっとやそっとのことじゃ起きない私でさえ、思わず飛び起きたあの朝。
グラグラ揺れる部屋の中で、でもまだその瞬間は、事の重大さに気付いていませんでした。
私が住んでいた地域は、幸い大きな被害を受けることなく。
その日も、揺れがおさまった後はいつも通り、学校に行く準備をしていました。
ところがまず、先にうちを出た父が、電車が止まっていると言って引き返してきて。
止まってるなら仕方ないと、その後何気なく見ていたテレビが映し始めた光景が、今でも鮮明に思い出されます。
まるで空襲を受けたかのような壊れたまち。
あちこちから立ち上る黒い煙。
折れた高速道路から半分落ちかけているバス。
これはただ事ではない、と段々動悸が激しくなっていきました。
失ったものは帰ってこないけれど、すべてを失ったわけじゃない。
失った悲しみは癒えなくても、生まれる喜びを味わうことはできる。
時の流れは平等で、早くもなく遅くもなく、誰にとってもあの日から今日で12年。
忘れるということと。忘れないということと。
私達に備わった、相反する二つの機能を愛おしく思いつつ。
私は中学3年生でした。
ちょっとやそっとのことじゃ起きない私でさえ、思わず飛び起きたあの朝。
グラグラ揺れる部屋の中で、でもまだその瞬間は、事の重大さに気付いていませんでした。
私が住んでいた地域は、幸い大きな被害を受けることなく。
その日も、揺れがおさまった後はいつも通り、学校に行く準備をしていました。
ところがまず、先にうちを出た父が、電車が止まっていると言って引き返してきて。
止まってるなら仕方ないと、その後何気なく見ていたテレビが映し始めた光景が、今でも鮮明に思い出されます。
まるで空襲を受けたかのような壊れたまち。
あちこちから立ち上る黒い煙。
折れた高速道路から半分落ちかけているバス。
これはただ事ではない、と段々動悸が激しくなっていきました。
失ったものは帰ってこないけれど、すべてを失ったわけじゃない。
失った悲しみは癒えなくても、生まれる喜びを味わうことはできる。
時の流れは平等で、早くもなく遅くもなく、誰にとってもあの日から今日で12年。
忘れるということと。忘れないということと。
私達に備わった、相反する二つの機能を愛おしく思いつつ。