宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

宝満山略史

2007-10-25 | Weblog
いまさらながら・・・
例会を重ねるたびに
一度はちゃんとした山の歴史をと思いつつ
今日までなにもいたしておりませんでしたが・・・

その準備も兼ねてランダムになりますが、
小出しにメモを残してみたいと思います。

宝満山略史(平安~鎌倉時代)

神社史としての宝満山
848年(承和7年) 太宰府竈門神に従五位上を授く(続日本後記)
850年(嘉祥3年) 太宰府竈門神に正五位上を授く(文徳実録)
859年(貞観元年) 太宰府竈門神に従四位下を授く(三代実録)
879年(元慶3年) 太宰府竈門神に従四位上を授く(三代実録)
896年(寛平8年) 太宰府竈門神に正四位上を授く(日本略記)
1105年(長治2年) 太宰府竈門宮上宮焼亡す(中右記ほか)
1155年(久寿2年) 太宰府竈門宮焼亡す(台記)
1160年(永暦元年) 都で延暦寺僧徒日吉神社の輿を報じ竈門宮・大山寺につき強訴す
(百錬抄)

寺院史としての宝満山
803年(延暦22年)最澄が太宰府竈門山寺に薬師仏を造る(扶桑略記ほか)
847年(承和14年)天台僧円仁が入唐に際し大山寺に参籠す(入唐求法巡礼行記)
933年(承平3年) 沙弥證覚が太宰府竈門山に宝塔(安西塔)を造立す(石清水文書之二)
1003年(長保5年)大山寺僧景雲阿闍梨が皇慶らに両部大法を授く(名匠略伝)
1068年(治暦4年)内山寺僧安尊が山内の争いを避け筥崎宮にて逝去(後拾遺往生伝上二)
1102年(康和4年)大宰府条坊内の宇佐八幡宮領に大山寺押妨に及ぶ(平安遺文2657号)
1104年(長治元年)延暦寺大衆の悪僧が大山寺庄園に濫妨す
1105年(長治2年)大山寺は天台の末寺とされる(中右記)
1243年(寛元元年)有智山寺衆徒争論を起こす(元亨釈書)

つづく(いつかまた・・・)