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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 276

2024-06-20 14:13:31 | 短歌の鑑賞
     2024年度版 渡辺松男研究34(16年1月)
       【バランスシート】『寒気氾濫』(1997年)115頁~
        参加者:S・I、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放
   

276 釜山の火口を覗ききたる目はバランスシートを読み取れぬなり

        (当日意見)
★前の歌からすると難しいお仕事を韓国との間でされているのではないですか。
  (M・S)
★韓国と貿易をされていて出張に行かれた。仕事の前に観光に行かれて火口を覗いて来
 られた後なので経済取引のバランスシートが読みとれないという場面なのでしょう
 ね。(S・I)
★いや、私は火口を見てきたのと、バランスシートが読み取れないの間にはタイムラグ
 があると思います。つまりバランスシートが読み取れないのは帰国後で、作者がそう
 いう父の様子を端から観察している。もっともどこにも主語は出てこないですが、前
 の歌からすると父でしょうね。火口を見て、世界の深淵に触れたのですね。そういう
 昂揚した精神状態で、急にはシビアーなビジネス社会の現実、ありていにいえば損得
 勘定に対応できない状態をバランスシートが読み取れないと言っているのでしょう。
 まあ、タイムラグはあっても無くても内容的には同じです。(鹿取)
★では、火口は比喩でもいいと。(慧子)
★いや、ダイナミックな宇宙の活動の一端を覗いたという意味では現実の火口の方がよ
 い。しかも釜山だから、異文化というのも大事かなあ。(鹿取)
★この頃は韓国の方が経済的にまだ貧しくて、それを見てきた。そのことを火口という
 比喩で言っている。だからバランスシートが読み取れない。(鈴木)
★いや、慧子さんとも鈴木さんとも違う意見です。むしろバランスシートの方がビジネ
 ス社会の比喩でしょうね。火口を見た目が慣れないから細かい字のバランスシートが
 みにくい訳ではないのです。だからこれは、レシートとか値札とか他のものには替え
 られない意味があります。それから、火口とバランスシートの対比は韓国の貧しさと
 かでは無くて、(たぶんお父さんの)個人の精神の深淵と現実世界とのバランスなの
 だろうと思います。(鹿取)




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渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 275

2024-06-19 09:53:10 | 短歌の鑑賞
     2024年度版 渡辺松男研究34(16年1月)
       【バランスシート】『寒気氾濫』(1997年)115頁~
        参加者:S・I、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:渡部 慧子  司会と記録:鹿取 未放
   

275 商工会会長渡辺巳作氏が巨大茶碗で茶を飲む朝

     (レポート)
 商工会会長渡辺氏が、茶を飲むというその状況、人物像などを含めて「巨大茶碗」が実に多くを語っている。責務上、何かの決断が腹にあった朝なのだろう。結句からそんなことを思う。戦いの場で武士が茶をたしなんだという歴史的事象が頭をよぎった。(慧子)


        (当日意見)
★「渡辺巳作氏」は作者のお父さんという設定なのでしょうね。朝、お茶を飲む姿を見
 てるわけだから。(鹿取)
★経済が下降気味の時代、経済成長の時代には会員を束ねてきたという自負があって、
 そこで商工会会長の渡辺さんが巨大茶碗で茶を飲んでいるわけでよく分かります。
  (鈴木)
★朝で終わっているので、やはり会長という公の仕事の上で大きな決断をしないといけ
 ない場面かなと思いました。(S・I)
★私は商工会会長の毎朝の習慣を描写した歌と思っていました。いつもそうするし、今
 日もそうだという。まあ、慧子さんやS・Iさんのような取り方もできますね。それに
 しても、エロチックな雰囲気を漂わせた観音菩薩から、いきなりリアルすぎるリアル
 な現実が提示されて、ちょっとくらくらとします。(鹿取)


     (後日意見)
 『寒気氾濫』冒頭の「地下に還せり」の章に〈土屋文明さえも知らざる大方のひとりなる父鉄工に生く〉がある。(鹿取)

  
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馬場あき子の外国詠 270、271 韓国②

2024-06-18 13:33:17 | 短歌の鑑賞
 ※今日の2つめの投稿です。

 2024年度版馬場あき子の外国詠 35(2011年1月)
    【白馬江】『南島』(1991年刊)P78
    参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、
        藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:佐々木実之 まとめ:鹿取未放
                  

270 韓(から)にして日本はにがきにがき国帰り来ていかに何を語らむ

    (レポート)
 大意としては、「韓国にとっては日本はあるいは日本人としては(罪悪感で)日本は不愉快な国と思った。その思いはあまりに複雑なので土産話に困る」というあたりであろう。「韓にとっては」と解すべきではあるが「帰り来て」という句があるために「韓にいたときに」とも読める。「いかに」「何を」という疑問詞をふたつかさねているが、これは何かを話したいが何から話していいか分からないもどかしさを伝えている。その内容は曰く言い難い「にがきにがき」と書かざるを得ないような感情である。
   (実之)


     (当日発言)
★一つ前の269番歌(白馬江美しすぎて歴史より長き命をうたたやさしむ)に書い
 た『南島』あとがきに尽きています。特に最後の「妖しいまでの淡彩の優美な景の川
 に船を浮かべて、長い長い歴史の告発を受けているような悲しみを感じていた」と。
 佐々木さんはそれを曰く言い難いと表現されましたが。だから、自分が味わっていた
 苦い感情を、心用意のない人に向けてはとても語ることができなかったのでしょう。
    (鹿取)
 

271 くねりつつテレビにうたふものはゐてわが帰り来し日本文化圏

     (レポート)
 現在、韓国のアイドルグループである「KARA」や「少女時代」などは日本の歌手よりもくねっているが、この時代に韓国であまりくねっていなかったのであろう。「にがき国」ではテレビでくねりながら歌っているのである。その場所を「日本文化圏」と呼ぶことで、諸々の両国の文化の差を想起させることに成功している。(実之)


    (当日発言)
★馬場あき子の韓国の旅は、1987年11月です。ほぼ四半世紀前ですね。(鹿取)
※この発言をしているのは2011年1月のことなので四半世紀と言っているが、現在
 からすると37年前になる。                                   
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馬場あき子の外国詠 269追加版 韓国②

2024-06-18 13:04:36 | 短歌の鑑賞
 ※昨日の投稿の追加版です。後ほど、今日の分をアップします。

追加版 2024年度版馬場あき子の外国詠 35(2011年1月)
    【白馬江】『南島』(1991年刊)P78
     参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、
        藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:佐々木実之 まとめ:鹿取未放
                  
                                   
269 白馬江美しすぎて歴史より長き命をうたたやさしむ

      (レポート)
 普通「美しい」ものを「美し」と詠んでは、おもしろくない。この一連は白村江の戦を詠んでいる。そして「我」が白村江古戦場に旅したという設定である。しかしながら白馬江は白村江の戦以前から流れていて、その戦の後も今にいたり美しく流れている。白村江も日清戦争以来の日本の諸々も朝鮮戦争をも放下して「うたた」と呼び、大自然の美しさを、「美しすぎて」といいきってしまっているところが潔く心地いい。
    (実之)


      (当日発言)
★「うたた」は「程度がはなはだしくなる様。ますます。いよいよ。」の意味。人間の
 誕生以前から在り、国家間の戦争や憎しみなどを超えたところで悠然と美しく流れて
 いる白馬江を「うたた」やさしむのである。「やさし」の原義は「こちらの身が痩せ
 細るような思いだ、恥ずかしい」なのだが、この「やさしむ」をどう解釈したらよい
 のかむずかしい。やはり悠久の白馬江の美しさを褒め称えているのであろう。
   (鹿取)
 

       (後日意見)
 『南島』あとがきにこんな一節があります。「詞書きにもかいたような事情で、私は白馬江に特別な感情をもっていた。美しく、明るい豊かな流れが、夕日の輝きの中をゆったりと蛇行していた景観は忘れがたい。妖しいまでの淡彩の優美な景の川に船を浮かべて、長い長い歴史の告発を受けているような悲しみを感じていた」(鹿取)
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馬場あき子の外国詠 269 韓国②

2024-06-17 09:48:40 | 短歌の鑑賞
 2024年度版馬場あき子の外国詠 35(2011年1月)
    【白馬江】『南島』(1991年刊)P78
     参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、
        藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:佐々木実之 まとめ:鹿取未放
                  
                                   
269 白馬江美しすぎて歴史より長き命をうたたやさしむ

      (レポート)
 普通「美しい」ものを「美し」と詠んでは、おもしろくない。この一連は白村江の戦を詠んでいる。そして「我」が白村江古戦場に旅したという設定である。しかしながら白馬江は白村江の戦以前から流れていて、その戦の後も今にいたり美しく流れている。白村江も日清戦争以来の日本の諸々も朝鮮戦争をも放下して「うたた」と呼び、大自然の美しさを、「美しすぎて」といいきってしまっているところが潔く心地いい。
  (実之)


      (当日発言)
★「うたた」は「程度がはなはだしくなる様。ますます。いよいよ。」の意味。人間の
 誕生以前から在り、国家間の戦争や憎しみなどを超えたところで悠然と美しく流れて
 いる白馬江を「うたた」やさしむのである。「やさし」の原義は「こちらの身が痩せ
 細るような思いだ、恥ずかしい」なのだが、この「やさしむ」をどう解釈したらよい
 のかむずかしい。やはり悠久の白馬江の美しさを褒め称えているのであろう。
    (鹿取)
 
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