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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

清見糺の一首鑑賞 114

2021-03-16 16:55:05 | 短歌の鑑賞
   清見糺鑑賞18         鎌倉なぎさの会  鹿取 未放

114 今朝着いたばかりの燕鳴き交わし憑かれたひとのように働く
      「かりん」97年7月号

 渡ってきたばかりの燕であるのに、子孫を残すためせっせと働いている様を「憑かれたひと」に例えている。生きとし生けるものの本能であるが、その本能に〈あわれ〉を感じたのであろう。
 ★けなげさ、命のかなしさ(渡部慧子)

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清見糺の一首鑑賞  113

2021-03-15 17:32:52 | 短歌の鑑賞
   清見糺鑑賞18         鎌倉なぎさの会  鹿取 未放


113 万緑のどよめきのなか差し切った栗毛の娘の尻おどりゆく

 112番(あおあおと馬日和なり 馬見んと人を誘えば歯をみがくこえ)と対の歌。「差し切る」は競馬用語で、後方から追い抜くこと。その余勢をかって牝馬がゴールした後もしばらく走っている様を、「栗毛の娘の尻おどりゆく」と表現した。「娘」も効いている。万緑という大きな景の捉え方、どよめきという臨場感、そして躍動感ある下句と上手に構成された歌である。
 余談だが一回だけ競馬を観に行ったことがある。さっぱり分からないので、毛並みつやつやがいいとか、勝手に見た目で馬券を買ったが全て外れ、最後に身内の名前に似た人気の無い馬に賭けたら、それが番狂わせで一着になり、帰りにお寿司屋さんに寄ったのだった。ビギナーズラックというのだろうが、競馬はその時一回きりだった。(鹿取)

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清見糺の一首鑑賞 112

2021-03-14 17:18:34 | 短歌の鑑賞
   清見糺鑑賞18         鎌倉なぎさの会  鹿取 未放


112 あおあおと馬日和なり 馬見んと人を誘えば歯をみがくこえ

 「馬日和」という造語が端的に気分のよさを示している。競馬を見にゆこうよと誘ったら、相手はのんびりと歯を磨いていたというのである。「こえ」だから電話で誘ったのだろう。(鹿取)

☆ 馬に歯という取り合わせがよく合っていて面白い。(07/9 日高堯子)

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清見糺の一首鑑賞  111

2021-03-13 20:22:25 | 短歌の鑑賞
   清見糺鑑賞18         鎌倉なぎさの会  鹿取 未放

111 西行は思いのほかにちいさくて松ならぬ杉の根かたに坐る
              「かりん」96年11月号

 作者が「かりん」に発表した「白峯」と題した歌の並びは次のようになっている。
  夏草のしげき参道蛇ぎらいの連れのひるめば自動車道ゆく
  涼をとる風の道なく喉しめす自販機もなきアスファルト道
  振りむけば男山女山は手弱女の乳房のように触れがたく見ゆ
  存在のつかれのように瀬戸かすみ橋のかげさえこころもとなし
  白峯は札所なれどもエンドレステープの御詠歌かなりうるさい
  西行は思いのほかにちいさくて松ならぬ杉の根かたに坐る
  西行の像の縁起を寺おとこに問えばつれなくわからぬという
  側頭部欠けたる石の西行にならびて汗のひくまでをおり

 111番は白峯寺(香川県坂出市・四国霊場第81番札所)にある西行像である。お地蔵様ではないのになぜかよだれかけをしている。三〇~四〇センチといったところだったか、周囲には確かに杉の木があった。作者が文庫本の西行歌集を手にして西行像と並んで座った写真を撮ったが、この歌で「坐る」と詠まれているのは西行の方である。
 寺男が分からぬと言った西行像の縁起だが、ネットによると崇徳上皇が亡くなって三年後に御陵を訪ねた西行が歌を奉ったことを記念して文政の頃べつの場所に建てられたらしい。しかし、この寺に安置されるに至った経緯はよく分からないようだ。現在、白峯寺にある西行像の隣には西行の歌「よしや君昔の玉の床とてもかからむ後は何にかはせむ」が刻まれた石碑が立つ。玉座にあった時の全てを忘れて死後は平安であられるようにというのだ。ちなみに、上田秋成は『雨月物語』で、怨霊となった崇徳上皇と西行との出会いをおどろおどろしく描いている。なぜ怨霊かというと、崇徳上皇は皇位争いに敗れ、保元の乱に敗れ、讃岐に流され一〇年近い幽閉の後失意のうちに亡くなったからだ。
 西行は白峯寺で崇徳上皇の霊を弔った後、弘法大師が修行したという善通寺(香川県善通寺市・四国霊場第75番札所)の裏山に仮の庵を結び、しばらく滞在したらしい。その折りの歌が『山家集』では白峯の歌に続けて載っている。一首目は、松に向かってわが後生を弔ってくれと呼びかけている歌で、西行はああ言っていたが松ではなく杉に見守られているじゃないか、というのが「松ならぬ杉の根かた」の意味だろう。
  久に経てわが後の世をとへよ松跡しのぶべき人もなき身ぞ
            西行
  ここをまた我れ住み憂くて浮かれなば松はひとりにならんとすらん
 ところで、馬場あき子の「白峰」の一連から、文庫版では削られているが私は好きなので西行に関する歌を一首のみ引いておく。西行のつれない歌とは白峯寺の歌碑にある「よしや君……」を指すのであろう。
  西行の白峰の歌つれなきを草生下りになりて思へり   馬場あき子
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追加版 清見糺の一首鑑賞 103

2021-03-12 17:31:58 | 短歌の鑑賞
  追加版 ブログ版清見糺の短歌鑑賞  15 モロッコ見聞録  
                       鎌倉なぎさの会

103 あかあかのトドラ渓谷のけぞりてこれはこれはと人はいうなり
                「かりん」96年12月号

  バスを降りて天を仰いだ馬場あき子は、「これはこれは」といって絶句した。
  何しろ聳え立つ赤い岩の壁に限られて空が狭い。日本では層雲峡が絶景だが、
  これはまったく質の異なった、和歌にはなりそうにもない絶景である。
  あかあかのトドラ渓谷のけぞりてこれはこれはというばかりなる
                      (清見糺「モロッコ私紀行」)

 上記は清見糺の紀行文より引用した。「これはこれはと」の部分は、江戸前期の俳人安原貞室が吉野の千本桜を見て詠んだ句「これはこれはとばかり花の吉野山」を下敷きにしているのだろう。句は感動の余り絶句している様子である。馬場はもちろん貞室の俳句は知っているだろうが、ここでは意識せずにあげた感嘆の言葉だろう。それを聞いた作者が貞室の句を思いつつ歌に仕立てたのだろう。そういう意味では推敲前の「これはこれはというばかりなる」という素朴な描写が生きているのだろうが、「これはこれは」は本人の発言ではないので客観的な「人はいうなり」に改作したのだろう。(鹿取)
 
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