goo blog サービス終了のお知らせ 

かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 185

2021-03-21 16:53:48 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究23 【眉間】『寒気氾濫』(1997年)79頁
  参加者:泉真帆、かまくらうてな、渡部慧子、鹿取未放、石井彩子と鈴木良明は紙上参加
  レポーター: 泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放
            
    
185 土がにおい汗ぼうぼうの扇状地 農に痩せいし祖父の鳩尾(みずおち)

         (レポート)
 扇状地を農地として使うには、想像を超える苦労があるのだろう。農業を営む作者の祖父は、鳩尾がくぼむほど痩せている。そんな姿を上句の「土がにおい」「汗ぼうぼう」が引き出す。作者は群馬県に住む。ここは大間々扇状地かもしれない。(真帆)


       (紙上意見)
★農作地としては厳しい扇状地を開拓しつつ、農業を営んだ祖父を、鳩尾に滴り落ちる汗や、褪せた姿
 と視覚で捉えている。「ばうぼう」という濁音が、草が茫茫と生え乱れている様と、汗が滂沱の如く
 流れ落ちる様と,二重に用いられ、農に塗れた無骨な祖父の姿を浮かび上がらせる。(石井)
★「扇状地」は川が山地から平地へ流れる所にできる地形である。祖父は痩せて、「土がにおい汗ぼう
 ぼうの扇状地」と形容されるような鳩尾をしつつ、苦労して長く農業を営んできた。(鈴木)


        (当日意見)
★扇状地のイメージを鳩尾に転換したテクニックが面白い。ただ3句と結句で体言止めになっていて違
 和感を感じる。私は前登志夫のファンで、こういう構造の歌があるかどうか彼の6冊の歌集を調べま
 した。そしたら1首か2首しかなかった。他の人の歌集にも極めて少ない。だからこの構造の歌はや
 らない方がよい。でも逆にいうとこうして並べることで扇状地と鳩尾が自分の言いたいポイントだと
 いうことがよく分かる。ここはポイントが明瞭に伝わるので成功していると思う。(うてな)
★確かに一般的には3句と結句で体言止めにすると、ぶつ切れになってなめらかな律を損なうし失
 敗することが多いですけれど、これはいい歌だと思います。扇状地と鳩尾という形態的にイメー
 ジの似たものを衝突させて、しかも抒情性を保っているし、祖父への思いも滲んでいる。余談だ
 けど、松男さんの造型したおじいさん像というのが私はどの歌をとっても好きです。(鹿取)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清見糺の一首鑑賞 118

2021-03-20 14:10:51 | 短歌の鑑賞
   清見糺鑑賞18             鎌倉なぎさの会  


118 窓際のアクアリウムに朝の光さしあなきらきらの金魚のうんこ
「かりん」98年2月号

 幸福感か倦怠感かで意見が分かれた。さまざまに解釈できるということは歌の大きさの故かもしれず、疵ではないだろう。清見氏は常々、その歌がいちばんよくなる解釈をしてあげるべきだ、と言っていた。さらには、作者が異を唱えても、より歌が活きる方の解釈をとるべきだとも言っていた。もっとも、どの解釈がよりよいものかの判断も難しい。
 同月発表の117番歌(美しい地球も明るい核家族もCMに見ゆ いきどおろしも)と並んでいるので、私は倦怠感ととりたい。この歌、もし手放しの幸福感なら「あな」という感動詞は入らないのではないか。私の意見の反論として、「あ」の音、「き」の音の言葉遊びだという意見があったのを付け加えておく。(鹿取)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清見糺の一首鑑賞 117

2021-03-19 19:15:41 | 短歌の鑑賞
   清見糺鑑賞18            鎌倉なぎさの会  


117 美しい地球も明るい核家族もCMに見ゆ いきどおろしも
       「かりん」98年2月号

 CMにだけあって、実在しないもの。少なくとも「明るい核家族」など自分には無縁である。そういうものをへらへらと垂れ流しているCMへの怒り。自分の中に忸怩としたものがあるからだろう。(K)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清見糺の一首鑑賞  116

2021-03-18 15:31:20 | 短歌の鑑賞
   清見糺鑑賞18            かりん鎌倉なぎさの会  


116 濡れ蓮に飛ぶ蜂、蜻蛉ほのくらくのほほんと血は蟆に吸はれぬ
                1997年かりん全国大会

★「芸は身を滅ぼす」(田村広志)
★全国大会に出された回文の歌。「蟆」はだから「ぶと」と読む。「のほほんと」のあ
 たりが少し苦しいが回文と気付かないほどさりげなく作られている。作歌には厖大
 な時間を要したに違いない。蓬莱さんの会場発言どおり、ほの暗い諦念を感じさせる
 歌だ。(鹿取)
*回文としての試み・挑戦。ほのくらい地平に立っている自分の人生的位置。
    (米川千嘉子)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清見糺の一首鑑賞  115

2021-03-17 20:38:47 | 短歌の鑑賞
   清見糺鑑賞18            鎌倉なぎさの会  

115 「新世紀エバンゲリオン」観てみんと筍ごはんを食べてでかける
                       「かりん」97年7月号

 何でも新しいものに興味を示す作者の進取の気性がよく出ている歌だろう。季節の筍ごはんは食べたし、よしこれから若者に流行しているアニメを老年にさしかかった俺も観に行くぞという弾んだ気分のように思われる。
 ちなみに「新世紀エヴァンゲリオン」は私も一緒に観た。「エヴァンゲリオン」とは、「福音」の意味だそうだ。SFと宗教と哲学と科学がごったまぜになったようなアニメでよくは理解できなかった。一四歳の少年・少女が人型の兵器のパイロットとして登場し、人類の命運をかけて闘うのだが、全体に暗いトーンで話が進行する。登場するのは明るく前向きの無敵のヒーローではなく、トラウマの塊のようなネクラだったり、感情をそぎ落とされたような者ばかりでおよそ人間的な暖かみやふくらみをもっていない。そもそも彼らは人間ではないのかもしれないし、おそらくクローンであろうと思われる何度も死んでいる少女が登場したりもした。もっともアニメとしてはそこが現代的で新しく人気を博した理由だったのかもしれない。(K)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする