かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 273

2024-06-09 11:13:50 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 2024年版 渡辺松男研究33(15年12月実施)
   【全力蛇行】『寒気氾濫』(1997年)112頁~
    参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、藤本満須子、鹿取未放
    レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放


273 立ったまま枯れているなんてわりあいにぼんやりとしているんだな木は

        (レポート)
【解釈】(地に根をはり、天に枝をひろげ、朝の光も夜の闇も、黙だし見続けている長老のような樹木だと常々思っていたが、してみると)木というヤツはあんがいぼんやりとしているなんだなあ、という歌か。
【鑑賞】このうたの新味の源泉に、詠う対象物のうちがわに入り、そのものになって抒情してゆける渡辺松男の才能がみてとれる。なんど読んでも滋味深いうただなあと思う。(真帆)


      (当日意見)
★からかっているようでいて木のことを慈しんでいる。(曽我)
★木を枯れていると思ったことはないので、どんなに裸になっても生きていると思って
 いるから、ぼんやりとしているとはどういうことでしょう?恥ずかしげもなく裸に
 なっているということでしょうか?(M・S)
★この歌の「枯れている」は皆さんと解釈が違って、ほんとに枯れている、立ち枯れて
 いる、もう死んじゃっている、そういう木のことをうたっている歌だと思っていま
 す。春になったらまた芽吹いてくる、そういう木じゃないんです。春に再生する木
 に向かって、「わりあいにぼんやりとしているんだな」とは言わないと思います。
 立ったまま枯れている木って、高い山なんかにあるじゃないですか。だから自分が
 死んでいることにも気がつかない、そういう木に向かって感慨を述べている訳で
 す。ぼんやりしたままで自分の死をやりすごしてしまうすごさっていうようなもの
 に、むしろ敬愛のようなものを感じているのでしょう。ひらかなの多い表記で口語
 調のとぼけた言いまわしが、慈しみにみちて優しいと 思います。(鹿取)
★落葉しきって針のようになっている木を私は想像していたんだけど、枯れていてもま
 た再生するから「わりあいにぼんやりとしているんだな」って思っているのだと。鑑
 賞が浅かったですかね。(藤本)
★葉を落としきって枝だけになっている木を、枯れているとはいわないと思いますが。
 私は立ち枯れて死んでいる木が対象と思いますが、作者の意図は知りません。まあ、
 様々な鑑賞があっていいんじゃないですか。私は大好きな歌です。(鹿取)



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