かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 中欧 378

2021-12-12 17:22:17 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠52まとめ(2012年5月実施)(2021年12月改訂)
     【中欧を行く ドナウ川のほとり】『世紀』(2001年刊)P100~
      参加者:I・K、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放


 ※379番歌「ドナウ川クルーズもややに夕暮れてハンガリー舞曲奏でられたり」の関連で一連 
  の歌の鑑賞を一分アップします。

378 くらしの時間はすみやかに何かを忘れしめ孤独なり老いて静かに肥ゆる

     (レポート)
 「くらしの時間」とは、日常の何気ない生活のことだろう。日常性に埋没するということか。サルトル流に言えば、「自由と不安から目をそらしながら生きている自己欺瞞」。こういった生活の中では、政治や思想、社会との関わりなどが忘れ去られ、「モノ」的存在として孤に還る。作者の当時の感慨であろうが、ハンガリーの人々の思いも重ねているのだろう。(鈴木)


      (当日発言)
★この歌もサルトルとからめて考えないと読めないだろう。(鈴木)
★「老いて静かに肥ゆる」の主体はむしろハンガリーの人だろう。以前の歌にあったハンガリー動
 乱も彼方となって虹を見ていたおばあさんも太った人のイメージ。人は忘却しないと生きていけ
 ないから〈日常性への埋没〉は致し方が無いが、サルトルはそこを踏みとどまってアンガージュ
 マンすることを説いた。ハンガリー動乱の当事者は革命や愛する人の死を忘れ果てて生きている
 わけではないが、日常の表面からはうすらいでいるであろう。そして時折、忘れていることの罪
 の思いがきりきりと胸を刺すのだ。老い、肥えて孤独であることにハンガリーの人も、それを見
 る作者も胸の奥に痛みをしまっているように感じられる。(鹿取)

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