かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞  255

2021-07-02 17:24:15 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究31まとめ(15年9月)
    【はずかしさのまんなか】『寒気氾濫』(1997年)107頁~
     参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放


255 歩かなくなりし手のひら日に透かす 日に透かされし恒河沙の手

       (レポート)
〈解釈〉人類の祖先が直立歩行をはじめたときから、手は歩くための器官ではなくなった。そんな手のひらを日に透かしてみていると、そこには遥かに遠い恒河沙という時をあゆんで来た手があるようだ。
〈鑑賞〉上の句でまず手のひらを日に透かしている景を出し、一字アケの間をもたせたあと「恒河沙の手」が出ることによって、手がすすきのようにブレて無数にみえるようでもある。連作のなかでシーンを次へ移して行くときの、巧みな映像とも感じる。(真帆)


      (当日意見)
★恒河沙って、ガンジス川の砂のことで、数が多い、無数ってことよね。だからヒトが
 直立歩行を始めてから今まで無数の人間が物思いやら何やらしながら手を日に透かして
 きた。無数の人のひとりひとりの人生の積み重ねを思っているのかなあ。(鹿取)
★恒河沙は多い数だから、遙かな年数かと思って。(真帆)
★そうか、でもどっちみち同じ事よね。遙かな年数を無数の人間達が手を日に透かしてき
 たっていうことだから。(鹿取)
★過去から続いてきた無数の人間達だから、時間も数も両方に意味がある。(鈴木)
★真帆さんの鑑賞の最後の一行はいいですね。無数の人間が日に透かす手から次の歌の揺
 れ動くすすきの映像に移行するんですね。ところで「歩かなくなりし手のひら」って何
 でしょうね。ずっと考えているけど分からなくて。「歩けなくなりし」ではなく「歩か
なくなりし」だから病気で歩けないのでは無く意思して歩かないのよね?文明が発達し
たから?ここが読めないと本当に読めたことにならないんだけど。(鹿取)

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