かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一首鑑賞 201

2022-12-06 09:54:04 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 渡辺松男研究2の27(2019年9月実施)
     Ⅳ〈蟬とてのひら〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P133~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆、渡部慧子    司会と記録:鹿取未放

201 われひそと糞石(ふんせき)つぶしおりたればなにごとならん遠きやまの火

         (レポート①)
 糞石(ふんせき)とは生物の排泄物が化石になったもので、それをひっそり潰していたとき、遠き山の火を見たという内容。意外な二つを感性によってとりあわせ、詠う手法があるが、掲出歌では4句に「なにごとならん」とつないでいる。遠き山の火を見ながら自分の行為に立ち止まって何かを思ったのだろう。いやしくもかつての生物の命にかかわったものをつぶしていて山のしずかな怒りにふれたのかもしれないと。(慧子)


         (レポート②)
 「糞石」は人間や動物の糞の化石。作者は一九八六年から四年間、群馬県庁林務部保護対策室に在席し、自然保護のための調査をしたという。山林に落ちている石の塊を見て「糞石」だと思える人は少ないだろう。歌のモチーフとして新鮮で、踏みつぶすと、カシャっと音が立つような気さえして、妙なリアリティーも伝わる。そんなとき、何事なのか、遠くの山に火が見えるという。結句で一気に不穏な気配が立ち上る。糞石と山の火の取り合わせの意外性といい、視線と心情を、地面から遠くの山の「火」にすっと持って行かせ、不穏な「火」に集中させるてゆくところも巧みだ。(真帆)


         (レポート③)(紙上参加意見)
 「ひそと」がポイントだろう。作者は生態観察か研究の為に、糞石をつぶしている。そしてそのことに後ろめたさか恐れのようなものを感じている。だから、その時に遠くの山で火事が起きたらしいことに何か因縁めいた感じを抱いたのだろう。人間が他の生き物や自然の世界へ無遠慮に踏み込んでゆくことへの恐れの感覚は、今や多くの人々から失われていて、作者はそのことにも心を痛めているのではないかと感じさせられた。(菅原)


          (当日意見)
★菅原さんの意見に近いですが、糞石をつぶす行為にちょっと後ろめたい気持ちを持っ
 ていて、だから「ひそと」。足で踏み潰すのではなく「ひそと」だから手で細々と砕
 いている。火は聖性を象徴しているような気がします。(鹿取)
★私も手で潰していると思う。糞石には時間の堆積があります。永遠の時間を思いまし
 た。そして遠い火と両方の時間があるように思います。(A・K)
★この火は山火事かどうかわからない。浅間山の噴火かもしれないし。二つの違うもの
 を詠んでいるようで糞石と火は時間において繋がっている。(岡東)
★山火事でも噴火の火でもいいと思うのですが、どちらにしても聖性というか浄化を感
 じます。冒瀆しているような自分の行為に対して、許しって言ったら言いすぎだけ
 ど。(鹿取)
★こういう素材で歌を作るかと思いますね。摑み方が他の人と全く違いますね。
  (A・K)


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