かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 175

2024-01-06 13:27:39 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究22(2014年12月)
      【非常口】『寒気氾濫』(1997年)75頁~
      参加者:S・I、泉真帆、崎尾廣子、鈴木良明、
          曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:S・I   司会と記録:鹿取 未放


175 笑いあいなどしておりたれど噤むとき口のなかには闇がいっぱい

       (レポート)
 互いに哄笑しあっているのである。何故、何を、誰と笑っているのか、敢えて明示ぜず、強調されているのは噤むときの口のなかの闇である。「笑う」とはなにか?笑いは人間をはじめとする霊長類にのみ特徴的な動作であり、極めて知的な感情表現である。ニーチェは、笑いというのは「良心の呵責もなしに他人の不幸を喜ぶことだ」と言っている。このような笑いの残酷さ、後ろめたさの一面を、口のなかの闇と、暗喩しているのだろうか?物事の闇、負の部分を注視しているのは174番歌(裁判所のできあがりゆく床下にとじこむるべき闇がきている)と同じである。哄笑の主体を複数にしたのは秀逸であり、笑いの本質である同期性を念頭におき、笑いの特質を普遍化している。(S・I)


     (当日意見)
★噤むという一瞬の行為によって何かが一転することがある。そこを捕らえている。
   (慧子)
★ニーチェの笑いを出してきたのは深読みじゃないかなあ。笑いって単純なものですよ
 ねえ。口を噤んだときふっと自分に返るという。ニーチェのような笑いじゃんくて、
 笑い合うという形で繋がっているんだけど、口を噤むと独りになってしまうという、
 そこに共感しました。(鈴木)
★174番歌から闇で繋がっているんですよね。(鹿取)

コメント
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