かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 174

2024-01-05 10:04:12 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究22(2014年12月)
      【非常口】『寒気氾濫』(1997年)75頁~
      参加者:S・I、泉真帆、崎尾廣子、鈴木良明、
          曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:S・I   司会と記録:鹿取 未放


174 裁判所のできあがりゆく床下にとじこむるべき闇がきている

      (レポート)
 法治国家の威容を示すがごと、裁判所が出来上がりつつあるが、所詮、人が人を裁く場である。様々な人間模様が繰り広げられ、時には法の名のもとに、国家権力によって指揮権が発動され、あるいは冤罪だって生じるかもしれない。敗れた者たちの怨嗟の声や不条理な情念を、あらかじめ閉じこめ、葬り去るには、既に闇が覆う床下は恰好の場所だ。裁判の負の面を床下の闇と視覚に転換しているのは氏らしく、巧である。
  (S・I)  


      (当日意見)
★裁判所の床下というのは、一度閉じられると建物が壊れるまで覗かれることがない。
 そこに闇が閉じこめられているというのはよく分かる。裁判所は本来真実を明るみに
 出して人を裁くものなのに闇に葬ってしまうという面もありうるわけで、そういうと
 ころを捕らえているのが面白い。(鈴木)
★下の句に注目しました。裁判所が出来上がっていく進行形の状態で、葬り去るべき闇
 が来ているという、同時に引き込むような、闇と常にセットであるような、こういう
 歌い方があるのかと注目しました。(真帆)
★S・Iさんが、裁かれて敗れた者の怨嗟の声というところまで想像を働かせて解釈して
 いらして、すばらしいと思いました。ただ、終わりから2行目の「既に闇が覆う床
 下」というところは気になりました。建てかけの床下は確かにもう闇かもしれないけ
 れど、まだ閉じられてはいない。歌は「とじこむるべき闇がきている」だから、これ
 から裁かれて葬られるに違いない諸悪とかもろもろの情念とかが押し寄せてきている
 って読みました。(鹿取)

コメント
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