かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 27(アフリカ)

2018-12-21 18:57:30 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠3(2007年12月実施)
    【阿弗利加 1サハラ】『青い夜のことば』(1999年刊)P159~
      参加者:N・I、Y・S、崎尾廣子、T・S、高村典子、藤本満須子、
          T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:藤本満須子 司会とまとめ:鹿取未放


27 日本に帰ればたつた一日のサハラの記憶 深い沈黙

(まとめ)
 何も生まない死の砂の広がるサハラの風景は想像を絶するもので、それはひいては地球そのもの、生命そのものへの畏敬の念やおそれを作者に感じさせたことであろう。そしてそのサハラが人間や生き物と交わることで更に複雑な思いを作者に呼び起こした。だが、それは帰国すればたった一日の記憶として日に日に薄れてゆくことを嘆いている。それは死の砂の広がりの彼方から現れる偉大な太陽だったりランボーの生涯であったり、無名有名さまざまな人生であったり、使役されて苦しく生きる駱駝や山羊だったり、悠々自適のような糞ころがしの生態だったりするのだろう。また、市場経済に否応なく絡め取られている遊牧民、なかんずくいたいけな少年たちにも浸透しているその過酷さ、醜悪さに危惧も抱いたのだろう。しかしそれをどうすることもできない無力感。しかもそんな強烈な思いもやがて薄れ消えていく、そのことに対して「深い沈黙」をせざるをえないのだ。
 しかし、こうして一連の歌にできたことは、サハラで見て考えたことの一端を焼き付けるのに成功しているわけだ。自分一人の記憶ではなく読者にメッセージとして手渡している。現実の世界を何も変えることはできないかもしれないが、ささやかな短歌の力だろう。(鹿取)
 

(レポート)
 一字空け、「深い沈黙」とうたったところに、このサハラの旅を成し遂げた、経験した作者の深いふかい思いが伝わってくるようだ。それは最初の11番歌(不愛なる赤砂(せきしや)の地平ゆめにさへ恋しからねどアトラスを越ゆ)の歌にあるように、アトラスをついに越えたという感動と共鳴しているのだろう。(藤本)
 

コメント
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