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Mr.Dashのぶろぐ館

奈良・大阪・日本アルプスの山々が大好きな、Mr.Dashのブログです。

2018年12月10日(月) 丹波・黒井城跡(猪ノ口山)で、絶景と歴史のロマンを愉しむ!

2018年12月11日 | 山登りの記録
■メイン写真
五大山から黒井場跡を望遠レンズで迫る


■今回のコース
興禅寺→登山口→(急坂コース)→三段曲輪跡→太鼓の段→石踏の段跡→
黒井城跡(保月城跡・城山・猪ノ口山)→西ノ丸跡→兵主峠→千丈寺山→大野峠→
ヨコカワ峰→水源分岐→三日月山→五大山→(戻る)→水源分岐→浄水場→兵主神社前→
興禅寺


来年は亥年。ということで、それに先駆けて「猪」の名が着く山に登ってきた。
ついでに五大山まで縦走し、一気に5座をピークハントしてきた。
寒い日だったが、アップダウンを繰り返す尾根をすっ飛ばしたので、すっかり汗だくに。
下山は、急に空が鈍色に曇り、雨が降ってきたので、予定していたルートを少し
変更してサッサと里に下りた。



興禅寺の駐車場にクルマを停める。「なだらかコース」と「急坂コース」があるが、
迷わず急坂コースを選択。
黒井城も、明智光秀ゆかりの城。2020年の大河ドラマを前にし、のぼりがたくさん
立てられている。



急坂コースの途中にも、城の遺構があちこちに出てくる。これは三段曲輪跡。



「なだらかコース」と「急坂コース」が交わる石踏の段跡。
古い山門がぽつんと残る。門の下は刈り払われていて向山連山の眺めがよい。



東曲輪跡の石垣が出てきた。ここの石垣も、石をあまり加工せずに積む野面積み。



「天空の城」竹田城跡には及ばないが、あっちほど人ずれしていないのがいい。
ここもこの時期は雲海に浮かぶこともあるそうだ。




春日町の田圃が美しい。一番奥には笠形山まで見える。



本丸跡。別名である「保月城」の名を刻んだ石碑が立つ。
ここが猪ノ口山の山頂でもあり、三角点がある。
明智氏に明け渡すまでは、この城は荻野(赤井)氏の城で、中でも赤井直正は
「悪右衛門」と名乗り、竹田城を陥落させた猛者だったという。
360度の展望は、すばらしいの一語に尽きる。東に三岳や妙高山、南に向山連山、
西に遠く千ヶ峰、北に遥かに大江山・由良ヶ岳と、なかなかゴージャスだ。



これから歩く、千丈寺山からヨコカワ峰、五大山への尾根を望む。
意外にも結構、距離があるように見える。



本丸のすぐ西は、ヤセ尾根の急坂。天然の巨岩も点在する。
難攻不落の城だったことが実感できた。



最初の小ピークは西ノ丸跡。
城が大きくなったのは明智領になってからのことらしい。



道中唯一の鉄製階段。なんでここだけ?と思えるくらい唐突だった。
ここからすぐに兵主峠に着く。



登り返して千丈寺山に着く。標識は、文字がはがれかけていた。
展望があまりないのが残念だ。



少し進んだところに、北側を中心に眺めが開けた切り開きがある。
そこから見た千丈寺山は美しい三角形をしている。



大野峠。峠の両側とも急坂だ。



道中、タカノツメの落ち葉が発する甘い香りがあちこちに。
まだ黄葉が残る木も、わずかながら残っていた。



結構な急登だったが、ヨコカワ峰に到着。
大野峠からは標高差は130mほどなのに、なかなか骨が折れた。



鞍部となっている水源への分岐を過ぎると、またまた登りだ。
急登をしのぎ、いかつい岩が並ぶ尾根を経る。



あとはだらだらと登ると、この日4つ目のピーク、三日月山に着く。



ちょっと変わった三角点。地籍図根三角点があった。
国土地理院が設置した三角点ではおおざっぱすぎるため、より詳しい測量を
するために、地籍図根三角点を設置して補っていくというものだ。
自治体が地籍を厳密に調べ上げるために、こういった標点が必要になる。



ヒノキの葉が積もってフカフカした斜面を下りて、登り返すと、
この日のゴール、五大山に到着する。ここも、いい眺めだ。



海坊主のような三日月山が隣に。

五大山からさらに北に続く稜線も魅力的に見えた。
また、百毫寺に下る道も、垂直の岩がいっぱい見えて面白そう。
しかし、駐車地に戻る必要があるので、このへんにしておく。



水源分岐まで戻ったころ、空が急に曇ってきて、冷たい北風が強まり、
ついにはパラパラと雨が降ってきた。
急峻なヨコカワ峰を越え直すのがおっくうになって、尾根の南を巻く明瞭な道に
入った。この道は、読み通り、そのまま大野の集落へ向けて下りていく。
倒れてはいるが、道標もあった。



最後は大きな堰堤を右から越えると、浄水場があり、獣除けゲートを
開けて(かんぬきが堅くて重くて腕力が必要だが)、集落に出る。



池の中に祠がある。翼を休めているのはカワウだろうか。



兵主神社の前を通り過ぎる。小雨と寒いのとで、わざわざ立ち寄る気がしなかった。



興禅寺に戻ってきた。
寺というには、堀といい、石垣といい、堅固な造りだと思ったら、やはり
元の城主、赤井氏の平時の下館(しもやかた)として使われていたようだ。



雨はほどなく止んで、すぐに青空に戻った。
クルマを回収してから、JR黒井駅の近くから、黒井城跡を撮影してみた。
石踏の段跡や、山頂部の石垣がハッキリと見て取れた。


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