![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/51/47c528a1a2d7eb59a82145a83cc4f8a0.jpg)
神戸の北西、箕谷からさらに奥に入ったところにある丹生山系。
かねてより行ってみたかったが、あまりに地味すぎて機会を逸していた。
今回、福山から奈良に戻ってきたIS川さんが、このマイナーな
ハイキングに付き合ってくれた。
時折、小雪がちらつく、肌寒い一日となった。
コース:
丹生神社前バス停→延命地蔵分岐→丹生山(丹生神社)→帝釈山→国道428合流
→双坂池→稚児ヶ墓山→肘曲り→花折山→兵庫CC→柏尾谷→大滝口バス停
→箕谷駅
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/9e/3e2849a821d51c25535758997fae0ed7.jpg)
神鉄・箕谷駅で、神戸市営バスの衝原行きに乗る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/b8/5ff624ad7756c64473cc5f0e41e39705.jpg)
丹生神社前で下車し、石鳥居をくぐって北へ。
道標は1箇所を除き、ずっと充実している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/d6/3d61a8ce7d7af034f249c18fdcba0b67.jpg)
道の中央に鎮座する石仏に挨拶し、その次に左に出てくる車止めの坂を登る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/62/a0dc94b4ce047291148df7c83e109aa9.jpg)
雑木林の中、幅広の山道には、時折、町石が立てられており、かつて、それなりの
大きな寺の参道だったことがわかる。箱木千年家への分岐は直進。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/79/974ea621f5cf1c086d6226f408a9a21b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/05/f2aaee27dc2e8db2ed0203c5640bb823.jpg)
延命地蔵の分岐から、幅広の林道を外れ、石橋を叩かずに丁寧に渡る。
この先は急坂。もう一度、箱木千年家への分岐がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/41/93ee3cd30ee74eae33d72b134487c9f6.jpg)
竹藪と石垣が現れると、ほどなく丹生城跡に着く。
右手が広場になっており、大きな石碑と、ここの歴史を示した説明板がある。
昔の絵巻の写真が載せられており、明要寺というかなり大規模な寺があった様子がわかる。
神仏混交していたようで、丹塗りの鳥居がある。伽藍も三重の塔も丹塗り。
さすが水銀が採れた「丹生」山だけある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/06/1a94c74ebe07522b26c75b04a2ef96f0.jpg)
帝釈山への分岐は左の鳥居をくぐる。すぐ上が、丹生神社。
社務所の前には土俵があった。5月に子供たちの奉納相撲が催されるらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/6d/681fb99a5a69def95c8faa7c20b48d44.jpg)
階段を上がったところが丹生山の山頂。眺めはわずかしか得られない。
山頂には丹生神社の素朴な本殿が建っていた。
北側の淡河からは「たんじょう」、南側の集落からは「にう」と呼ばれて
いるそうな。
山頂を辞し、帝釈山への分岐へ戻る。この道を取り、シビレ山分岐、
南側の林道分岐、北縦走路への分岐を過ごし、丹生山系縦走路を忠実にトレースする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/39/e861f6b455a96ff11d8604b5e91c9683.jpg)
帝釈山の山頂は、三角点と、主のいない石の祠が残っている。
当然、帝釈天が祀られていたのだろう。
トラロープが張ってある急坂を下りるが、昨日の雨で粘土質の路面が
ぬかるんで非常に滑りやすかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/e5/094b49d7c6826dfce661a9367fb64c94.jpg)
再び、北縦走路への分岐を過ごすと、間もなく見事な株分かれをした木を発見。
なんの木かな? 主だった植物は、一目で同定できるようになりたい。
ところで、山道に入ってしばらくのところで、1台の自転車が抜いていったが、
そいつのかどうか分からないが、その後もずっと自転車の轍がついており、
登山道が傷ついていたのは、ちょっと残念。
細い幹が異常に詰まったツバキ林を抜け、小ピークを登り返しながら進む。
やや退屈な尾根歩きが続き、国道428号線に出る。
舗装道に出るのは興がそがれるが、しばらく国道歩きとなる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/8d/f53aa86c1c26be0eebd27d67103a6421.jpg)
やがて国道を離れ左の舗装林道をとる。ほどなく見えてくる双坂池は、
流れ込む水があまり綺麗ではないためか、鈍い翡翠色。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/84/94dc2d53dbb71b43842bfdba8294d593.jpg)
池畔を少し回り込むと、稚児ヶ墓山への登山口がある。
苔むした、岩のゴロゴロしている道の途中で昼食タイム。
誰にも会わない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/6c/9dec4ba632fe4ecfb0142d6f58cfdada.jpg)
だらだらと登って行けば、さしたる苦労もなく、稚児ヶ墓山のピークに着く。
三角点の埋まるピークそのものは、雑木に囲まれ地味そのもの。
ここから3分ほど先に進んだところが、稚児を弔った塚の伝説が
ある場所であり、ここからは南側の展望が開ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/6c/da64e09b94659bb5a89f6d8357b4e68f.jpg)
塚は質素なものだったが、ここには、なかなか悲しい伝説があるようだ。
1578年、織田信長の播磨平定の際に送られた羽柴秀吉が、別所氏を攻めた。
別所氏は、三木城を拠点にこの辺りを治めていたのだが、前述の明要寺は
別所氏の厚い加護のもとで栄えていたらしい。
明要寺は、籠城戦に追い込まれた三木城を水面下で支援していたので、
秀吉軍の狙われるところとなり、逃げる寺の稚児までも斬殺されたという。
のちに里人たちが、稚児をこの山の頂に葬った、というものらしい。
なお、これからたどる花折山は、この墓へのお供えの花を採った山だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/31/51e669298b38e1747fe3bc04680c7155.jpg)
南側に広がる眺めは、この日はあいにく少しガスっていたが、
淡路島と瀬戸大橋が見える。橋はほぼ一直線上に重なって見えるため、
吊り橋の優美なアーチラインは見えない角度である。
視線を右に転じると、つくはら湖の奥に、雄岡山、雌岡山が見えた。
さらに4つ目の山頂、丹生山を目指す。
途中で、「肘曲り」と書かれた標識があり、このへんをそう呼ぶのかと
思ったが、やがて尾根を90度左折し、次の分岐を右に90度折れて
沢筋に入って幅広の林道に突き当たったところが「肘曲り」であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/34/65cf31c06abce01b6be1dede1b632e14.jpg)
新旧の標識が並んで立っているが、各ランドマークまでの距離を書いた
数字が両方で異なっているのが笑える。
「肘曲り」分岐は左へ。しばらく進み、Y型分岐を右にとる。
かなり平和な里山歩きが続き、眠くなってくるほど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/11/b86d995f3cace3bbea48ce9ff6643599.jpg)
着いた花折山には、本日3つ目となる三角点があった。
踏んだ4ピークのうち3つが三角点峰とは。
ここも、なんとも地味な山頂であった。
先を進むと、ゴルフ場に出る。
舗装道を左に弓なりに回り込むあたりに、山道の分岐がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/cf/31ac87469decb80b7b673b7b51dfbc94.jpg)
一旦は気づいたが、ガイド本に書かれていた「標識」がないことから
舗装道を少し先まで進んでみたが、別の分岐はなく、ここに戻ってきた。
一気に坂を下っていくが、やがて両側が切れ落ちたヤセ尾根の開けた道となる。
そのまま道なりに、左側の柏尾谷へ下り立つが、この柏尾谷、なかなかの渓谷美だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/82/4bfc789c7cf0bc4ffb374786aed495b4.jpg)
赤いナメが非常に美しい。部分的には、4WD車なら走れそうと思わせる
ような幅もあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/ca/8bb8f0e1c301ef41a0293a8276fdfa98.jpg)
ところどころ滝もかかっており、飽きさせない。
この先は、沢沿いにキャンプ場の設備があった。
しかし、「柏尾谷自然学校」という、一般者は利用できない教育キャンプ場
だそうで、おっさんは使わせてもらえないようだ。残念。
キャンプ場の下部にも、柏尾谷には大きな滝がある。
林道からはかなり離れるのだが、それでも滝の様子を見て取れた。
柏尾谷を遡行した記録もWEBで幾つか見たが、キャンプ場の下部は
立ち入り禁止のようで、これまた残念。
林道を下っていくと、天津彦根神社を経由し、大滝口バス停に出る。
3分前に路線バスが出てしまっていたので、バス停3つ分、
箕谷駅まで歩くことにした。おかげで、最後まで充実した歩きとなった。
同行してくれたIS川さんは、奈良県内の1000m以上のピークをハントして
いて、最近はあまり人が入らないようなピークをつぶしていっているという。
それなりに発見があるものの、かなりマイナーな今日のハイキングにも
つきあってくれて感謝である。
いろいろ調べてみると、この近辺には、他にも訪れてみたいポイントが
幾つか見つかった。丹生山系、近々、少しコースを変えて楽しみたい。
かねてより行ってみたかったが、あまりに地味すぎて機会を逸していた。
今回、福山から奈良に戻ってきたIS川さんが、このマイナーな
ハイキングに付き合ってくれた。
時折、小雪がちらつく、肌寒い一日となった。
コース:
丹生神社前バス停→延命地蔵分岐→丹生山(丹生神社)→帝釈山→国道428合流
→双坂池→稚児ヶ墓山→肘曲り→花折山→兵庫CC→柏尾谷→大滝口バス停
→箕谷駅
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/9e/3e2849a821d51c25535758997fae0ed7.jpg)
神鉄・箕谷駅で、神戸市営バスの衝原行きに乗る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/b8/5ff624ad7756c64473cc5f0e41e39705.jpg)
丹生神社前で下車し、石鳥居をくぐって北へ。
道標は1箇所を除き、ずっと充実している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/d6/3d61a8ce7d7af034f249c18fdcba0b67.jpg)
道の中央に鎮座する石仏に挨拶し、その次に左に出てくる車止めの坂を登る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/62/a0dc94b4ce047291148df7c83e109aa9.jpg)
雑木林の中、幅広の山道には、時折、町石が立てられており、かつて、それなりの
大きな寺の参道だったことがわかる。箱木千年家への分岐は直進。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/79/974ea621f5cf1c086d6226f408a9a21b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/05/f2aaee27dc2e8db2ed0203c5640bb823.jpg)
延命地蔵の分岐から、幅広の林道を外れ、石橋を叩かずに丁寧に渡る。
この先は急坂。もう一度、箱木千年家への分岐がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/41/93ee3cd30ee74eae33d72b134487c9f6.jpg)
竹藪と石垣が現れると、ほどなく丹生城跡に着く。
右手が広場になっており、大きな石碑と、ここの歴史を示した説明板がある。
昔の絵巻の写真が載せられており、明要寺というかなり大規模な寺があった様子がわかる。
神仏混交していたようで、丹塗りの鳥居がある。伽藍も三重の塔も丹塗り。
さすが水銀が採れた「丹生」山だけある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/06/1a94c74ebe07522b26c75b04a2ef96f0.jpg)
帝釈山への分岐は左の鳥居をくぐる。すぐ上が、丹生神社。
社務所の前には土俵があった。5月に子供たちの奉納相撲が催されるらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/6d/681fb99a5a69def95c8faa7c20b48d44.jpg)
階段を上がったところが丹生山の山頂。眺めはわずかしか得られない。
山頂には丹生神社の素朴な本殿が建っていた。
北側の淡河からは「たんじょう」、南側の集落からは「にう」と呼ばれて
いるそうな。
山頂を辞し、帝釈山への分岐へ戻る。この道を取り、シビレ山分岐、
南側の林道分岐、北縦走路への分岐を過ごし、丹生山系縦走路を忠実にトレースする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/39/e861f6b455a96ff11d8604b5e91c9683.jpg)
帝釈山の山頂は、三角点と、主のいない石の祠が残っている。
当然、帝釈天が祀られていたのだろう。
トラロープが張ってある急坂を下りるが、昨日の雨で粘土質の路面が
ぬかるんで非常に滑りやすかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/e5/094b49d7c6826dfce661a9367fb64c94.jpg)
再び、北縦走路への分岐を過ごすと、間もなく見事な株分かれをした木を発見。
なんの木かな? 主だった植物は、一目で同定できるようになりたい。
ところで、山道に入ってしばらくのところで、1台の自転車が抜いていったが、
そいつのかどうか分からないが、その後もずっと自転車の轍がついており、
登山道が傷ついていたのは、ちょっと残念。
細い幹が異常に詰まったツバキ林を抜け、小ピークを登り返しながら進む。
やや退屈な尾根歩きが続き、国道428号線に出る。
舗装道に出るのは興がそがれるが、しばらく国道歩きとなる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/8d/f53aa86c1c26be0eebd27d67103a6421.jpg)
やがて国道を離れ左の舗装林道をとる。ほどなく見えてくる双坂池は、
流れ込む水があまり綺麗ではないためか、鈍い翡翠色。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/84/94dc2d53dbb71b43842bfdba8294d593.jpg)
池畔を少し回り込むと、稚児ヶ墓山への登山口がある。
苔むした、岩のゴロゴロしている道の途中で昼食タイム。
誰にも会わない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/6c/9dec4ba632fe4ecfb0142d6f58cfdada.jpg)
だらだらと登って行けば、さしたる苦労もなく、稚児ヶ墓山のピークに着く。
三角点の埋まるピークそのものは、雑木に囲まれ地味そのもの。
ここから3分ほど先に進んだところが、稚児を弔った塚の伝説が
ある場所であり、ここからは南側の展望が開ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/6c/da64e09b94659bb5a89f6d8357b4e68f.jpg)
塚は質素なものだったが、ここには、なかなか悲しい伝説があるようだ。
1578年、織田信長の播磨平定の際に送られた羽柴秀吉が、別所氏を攻めた。
別所氏は、三木城を拠点にこの辺りを治めていたのだが、前述の明要寺は
別所氏の厚い加護のもとで栄えていたらしい。
明要寺は、籠城戦に追い込まれた三木城を水面下で支援していたので、
秀吉軍の狙われるところとなり、逃げる寺の稚児までも斬殺されたという。
のちに里人たちが、稚児をこの山の頂に葬った、というものらしい。
なお、これからたどる花折山は、この墓へのお供えの花を採った山だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/31/51e669298b38e1747fe3bc04680c7155.jpg)
南側に広がる眺めは、この日はあいにく少しガスっていたが、
淡路島と瀬戸大橋が見える。橋はほぼ一直線上に重なって見えるため、
吊り橋の優美なアーチラインは見えない角度である。
視線を右に転じると、つくはら湖の奥に、雄岡山、雌岡山が見えた。
さらに4つ目の山頂、丹生山を目指す。
途中で、「肘曲り」と書かれた標識があり、このへんをそう呼ぶのかと
思ったが、やがて尾根を90度左折し、次の分岐を右に90度折れて
沢筋に入って幅広の林道に突き当たったところが「肘曲り」であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/34/65cf31c06abce01b6be1dede1b632e14.jpg)
新旧の標識が並んで立っているが、各ランドマークまでの距離を書いた
数字が両方で異なっているのが笑える。
「肘曲り」分岐は左へ。しばらく進み、Y型分岐を右にとる。
かなり平和な里山歩きが続き、眠くなってくるほど。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/11/b86d995f3cace3bbea48ce9ff6643599.jpg)
着いた花折山には、本日3つ目となる三角点があった。
踏んだ4ピークのうち3つが三角点峰とは。
ここも、なんとも地味な山頂であった。
先を進むと、ゴルフ場に出る。
舗装道を左に弓なりに回り込むあたりに、山道の分岐がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/cf/31ac87469decb80b7b673b7b51dfbc94.jpg)
一旦は気づいたが、ガイド本に書かれていた「標識」がないことから
舗装道を少し先まで進んでみたが、別の分岐はなく、ここに戻ってきた。
一気に坂を下っていくが、やがて両側が切れ落ちたヤセ尾根の開けた道となる。
そのまま道なりに、左側の柏尾谷へ下り立つが、この柏尾谷、なかなかの渓谷美だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/82/4bfc789c7cf0bc4ffb374786aed495b4.jpg)
赤いナメが非常に美しい。部分的には、4WD車なら走れそうと思わせる
ような幅もあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/ca/8bb8f0e1c301ef41a0293a8276fdfa98.jpg)
ところどころ滝もかかっており、飽きさせない。
この先は、沢沿いにキャンプ場の設備があった。
しかし、「柏尾谷自然学校」という、一般者は利用できない教育キャンプ場
だそうで、おっさんは使わせてもらえないようだ。残念。
キャンプ場の下部にも、柏尾谷には大きな滝がある。
林道からはかなり離れるのだが、それでも滝の様子を見て取れた。
柏尾谷を遡行した記録もWEBで幾つか見たが、キャンプ場の下部は
立ち入り禁止のようで、これまた残念。
林道を下っていくと、天津彦根神社を経由し、大滝口バス停に出る。
3分前に路線バスが出てしまっていたので、バス停3つ分、
箕谷駅まで歩くことにした。おかげで、最後まで充実した歩きとなった。
同行してくれたIS川さんは、奈良県内の1000m以上のピークをハントして
いて、最近はあまり人が入らないようなピークをつぶしていっているという。
それなりに発見があるものの、かなりマイナーな今日のハイキングにも
つきあってくれて感謝である。
いろいろ調べてみると、この近辺には、他にも訪れてみたいポイントが
幾つか見つかった。丹生山系、近々、少しコースを変えて楽しみたい。