日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

図形の本質と数学史

2018-09-08 22:12:50 | 日記
 基礎的と言えるものがまるで、解ってなかったなぁ・・。まあ、仕方はないんだが・・何を言ったところでそれを一つづつ潰して行くしかない訳だが。指数関数からの常用対数はなぜ重要なんだろうと疑問に覚えた記憶はある。


話されていたのは人間の自然に思うことだからだ。という風には言われていたが何の事かイマイチピンとこなかったが今なら解ること。それは区間状から格子状に描けるモノだったと言う訳だ。まあ、やっていなかったからな・・。愚かな選択をしたとも思えるが、あの時はアレが限界だったからな。


お金もなくやっとこさブラック企業で過ごし、その機会を貰えて、漸く辿り着いたその状況。それまでの経緯も心も頭も環境も滅茶苦茶だったものな。その上身体は虚弱体質だし。どうにもならないよな。


その弊害か今日もその失敗したときの悪夢なのかを見てしまったし。


漸く違和感から転じて、確信を得られる様になった事柄を父方の爺さんはもっとずっと前から解って、感じて居たんだろうか・・。私が認識できたのは数学の2つの心を読んだ後からの、線形性の理解を経て初めて感じて、違和感を消す事が出来た訳で、昔のカリキュラムは線形性は中学時代には体験させられているような。


長岡亮介が言うにはもっと感覚に近くなるのは図形の本質を理解し体験したときだと言うからどうなるのかな。私は本質を理解していない様だからどんな風に歪みが正されて行くのだろうか。


それが楽しみでもあるよな。こういうことに浸っている場合でもないのだが、数学の歴史を学ぶことが出来るのは不謹慎ながらも楽しみでもある(微笑) 國體と明治時代の記事を連想させるな。
コメント
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