日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

又、ジョジョが気付かせてくれることと繋がったな(微笑)

2015-01-17 12:19:43 | 日記
 最近漸く分かって来たような気がする。家に伝わる伝統は何だろうかという話。


きっと家訓はまた違うんだろうと思う。でも、根源的なものの共通点は憧れる父系の爺さんや父などの共通点は格好の良さを求める心であり精神であると思うコトを悟った。


自分に付いても惹かれた動機みたいなモノがあのジョジョで言えば、サルの出て来る回に表れている様にあのエテ公の回が特に表れている様に思う。自分の根本はこれだろうかと思う。理不尽さに対する時などの事。そう謂うモノへの態度などもあるのかもしれない。又そのその時の恰好。爺さんの写真を見ても普通見ないような格好のいい姿勢で映って居たりする。


爺さんはしっかり説明して理解して居る筈なのにそういう行動がとれないモノに対してはエラそうというかそういう態度だったと親戚のオジさんは語っていた。この事を語るエピソードどしてテキヤなどのモノは食べるなと語って居たことが多くの話であった。父もどちらかというと爺さんと同じそう謂う処がある。その例の一例としてEXILEのことが好きになれないむしろ嫌いだと語っていたこと。



私も初めは何も感じていなかった筈だった。けれど当時大学の誰かに、戒めの為に坊主頭にしていた時があったが、EXILEの誰だかに線を入れれば同じに成るね何て言われたことがある。この口調だと女性か? その人から言った言葉は恐らく褒め言葉か何かだったんだろうが、私としては大変不愉快に感じる出来事であった。


自分が何故、不愉快に感じているのか当時理解できなかった。


只、「同じにされたくない」。という感覚や感情がフツフツと湧いて来るのだけは感じた事柄だった。


それを何年もというより時より考えてみるのだが答えが出ない事柄だった。


それがフッとした来がけで話す機会があった。それは父とだが。



その話はなぜか好きに成れない嫌いなんだ。と言う様な話をした後に父も前述の様に同意したことだった。



何故かね?と私が尋ねるともなく口に出した時に父が私が長年詰まって居たことについて腑に落ちることを語った瞬間だった。



それは「汚らしいじゃん」と。



ハッとした気持ちになった。そうか汚らしいから嫌いだったのかと、何だか形容詞で納得できるなんて自分でも思ってもいない事だった。その時は何だが笑ってしまっていた。(笑)



こんな言葉を並べているのが可笑しいが事実なのだから仕方がない。恐らくそれが尊大とも謂えるのかどうかは分からないがそうなのだとしたらそうなのだろう。何だかスマートさがないという点でも父と同意で同感と感じてしまったことだった。爺さんが生きていたら同じことを言うに違いないし、大好きだった祖母が生きていたら、キット驚くような言葉で的を得た表現をしてくれる事だろうと思う。的を射て的を得る。弓道をやっていた祖母なら恰好良く決めてくれるに違いない。


ジョジョJOJOで言えばリサリサのワイヤードのベックを相手に語るシーンの様に(微笑)





コメント
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