日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

癌、起こるならさっさと起きろ。

2014-05-08 00:39:28 | 日記
メラトニンとビタミンDか・・。


こんな話を聞いている時深夜働いていた時を思い出す。休みが最悪な時で月に4日しかも、その休みというのが休みの前日は深夜遅くつまり、その休みの日の朝方まで引っ張られ朝方まで仕事をする。そして、その休みの次の日は早勤務で6時からであるのでバスの時間を入れると、4時半に出なければ、間に合わない。バスの駐車場が40分位に設定されているからである。コレでは寝られる筈もなく、生きていられないので当然年休という形で休みを入れて何とか凌げ続けられた。

学費を稼ぐためにと思ったから、続けられた。よく頑張った。寝られるべくも無い。今で謂う所のブラックってやつだったのだろうか。



全てが断たれそれしか道が無かった。高校の担任ではない進路の先生から、それでいいのかと言われたが、自分が良いわけ無いだろう。それを話そうとすると聞く気もない。じゃあ何故聞くんだ。
まあ、仕事だからだろうが(苦々)


周りは進学でも、私は資金も相談できる人も居ない。父は決まってこういう時、無責任な親戚か他人かの様に、どうするんだ、どうするんだと問い質すだけである。後に大学で知ったが、父親とはこういう時本人の立場に立って道を幾つか示すのが父親らしい。示された道はその先何も響いて来ないモノだった。それは妹に関心が向いている。或いは向けたいという感じ。そこで妹の話をするのである。また、妹の相談もして来る。どう成ってるんだと当時孤独を募らせた。




こういう時、昔は祖母が時間がある時に話を聞いてくれた。。



私の気持ちを整理させながら、又考えさせる様に。


だが後半は祖母も余り話を聞いてくれなく成ったのは覚えている。


それは伯父夫婦に引取られ形見の狭い思いと、身体を壊してからだった。



今思えば父は弟の心性を示している様にも思える。




だから長兄の伯父さんに不思議な感覚共鳴の様なものを感じたりした。それ故かな。




祖母にあの時、私が入院して退院後に話しを聞いて欲しかったんだな・・。



こうして観ると大人を信用出来なくなっていたんだな。。




きっと、親友が近くに居れば相談や語らいなんかもしたんだろうな・・・。




今程、通信が便利じゃ無かったもんな。電話を一度した位で、真意が伝わらなかったりもしたものな。。



また、頭が混乱てきた・・
コメント
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