日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

十二国記から東北大震災と大東亜戦争へ。

2013-08-26 12:59:24 | 日記
十二国記の作品の斡由を語るとき、何故か菊川怜を思い出す。そんなニオイがする。もちろん深く彼女を知っているわけでは無いので実際の所は解らないのだが。

そして又、戦前の日本の上層部にも通じる姿があったんじゃないかと思える。良くできた怜いんよと。これが物語るように。


そして同時に豊臣秀吉のことに思考が飛ぶ。この作品の40話、乗月という回の話で月けいという人の月の話から~断り続けるが受けるまで。


これを受けて、明智光秀でなく、羽柴秀吉が光秀と協力して織田信長を討ったんだろうと思えてくる。こういうことは歴史ではよくある事だろうと思うし。


斡由という人物の話の因習の様にこれが先の大戦の教訓だろう。教訓が生かされていれば原爆投下や2011年3月11日の出来事は無かっただろう。


そういう意味で、アメリカの機密文書公開制度は大したものだ。


どういう経緯で成り立ち実現したものなのだろうか。


調べてみるのも面白いかも知れない。
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八重の桜から

2013-08-26 00:17:41 | 日記
大河八重の桜を見ていると眼がある存在があったらという仮りの状態が想像できる。きっと家族に知識人が居れば導き手になったということだ。


そして今回英語の、悲しむ人は幸いなり、その人は慰められるだろう。主は慈しみ深く、常に悲しむ人々と共にあります。と言う台詞。

八重が逆ではないかと問う部分。


これがまさに象徴的な心理学的な誘いをしているところだと思う。有名な心理学の本の小此木啓吾の本の中にも心の病を経験した人は幸いである。と言う言葉があり、その後の言葉にも納得させられるが<教えること>と<教える方法>とを最近知ったこととも重なる。海外ではこれの学派が広がっているらしい。わたし的に言えば矢張りかというところではあるが。


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ここで、またまた祖母の話と袴姿にブーツの姿というものが同時に浮かんでしまうのである。(微笑)
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