5連休も、休んでしまうとあっという間ですね~。
明日から、現実に戻されます。
休んでリフレッシュしても、職場環境がぶっちゃけた話、最悪に限りなく近く「悪い」ので、すぐにストレスが蓄まってしまうんだろうなぁ。
休めるなら、もうしばらく休みたい心境です…。
あ~あ…。
明日から、現実に戻されます。
休んでリフレッシュしても、職場環境がぶっちゃけた話、最悪に限りなく近く「悪い」ので、すぐにストレスが蓄まってしまうんだろうなぁ。
休めるなら、もうしばらく休みたい心境です…。
あ~あ…。
コメント、誠にありがとうございます。
恐らく小生よりも先輩のお方でしょうね…。
さて、第一応援歌『秩父の嶺』の件ですが、いつから応援歌として定着したかは、正直「わかりません」というのがお答えです。
『秩父の嶺』は作詞・作曲者が「不明」ですから、恐らく殆どのOBの先輩方もご存知ではないかもしれません。
ただ、小生が現役当時も、広島の尾道商業高校が甲子園に出場した際に、『秩父の嶺』にそっくりな曲を吹奏楽で鳴らしており、その時から似た曲は、実はほぼ全国的に伝播しているのではないか?…という憶測はありました。
ご指摘の通り、曲自体は『天は晴れたり』なるもののルーツである『ワシントン』が、『秩父の嶺』においてもルーツの可能性は否定できません。ただ、確証がないのも事実です。
しかし、埼玉県立春日部高校の第一応援歌として、ほぼ全校生徒が諳んじる事ができるという点では「威力」としては凄まじいものがあり、春日部高校の「象徴」的な応援歌と申し上げても過言ではないでしょう。
母校の後輩達のほぼ全員に近い人数が『秩父の嶺』を諳んじる事ができるというのは、応援指導部のOBとしても誇らしく思いますし、いつかは甲子園で高らかに歌い、似た曲を応援歌として所有する他校の度肝を抜きたいとも思いますね。
残念ながらお答えにならないコメントで恐縮ですが、頂戴したコメントに対して、先ずはお礼まで。
諸事情があり、『応援団に捧げた青春』シリーズが、小生自身が高校1年生の夏休みに入ったところで、数ヶ月もペンディングとなっていますが、実は残りの2年半ほどが「波乱万丈」ですので、再開して読者の皆様を「ビックリ」させられれば…とぼんやり思っています。
再開の日まで、もう暫く猶予下さい。
さて、今年は日輪、臙脂、高校野球北埼玉大会(5試合中3試合)にかけつけ、応援指導部の活躍を観てきました。日輪と臙脂については約30年ぶりです。
で、以前から気になっていたのですが、「秩父の嶺」のメロディーが、全くそのままではないまでも、他の伝統校で応援歌として存在しているようです。インターネットで調べたところ、元は慶應義塾応援歌の「天は晴れたり」、その原曲は明治35年の文部省唱歌「ワシントン」で、岩波新書の唱歌集で調べたところ、秩父の嶺のメロディーは、ワシントンの一番の部分と同じでした。ちっとした違いはワシントンが重いテンポ、秩父の嶺が軽やかなテンポだということです。ついでに調べていくと、長岡高校応援歌物語、福岡高校応援団のサイトから、天は晴れたりを全国の学校で、歌詞を替えて歌い継いでいるということが判明しました。とくに福岡高校(岩手県)のサイトでは、ワシントンのメロディーを聴くことができます。さらに調べていくと、天は晴れたりをもとにしている応援歌はほとんど、メロディーは天は晴れたりのままではないかと推察されます。基本的なメロディーは受け継いでいるとしても、秩父の嶺は軽快なテンポで、歌詞も天は晴れたりからがらりとセンスよく変えたという点である意味春高オリジナルなのかも知れないと思う次第です。また、現役、卒業生が全員歌えて、また、この応援歌を愛しているという点では、天は晴れたりを元にする応援歌一族の中で、横綱格なのでしょう。そこで、Danchoさん、秩父の嶺が春高でいつ頃、どのような経緯でできたか等、ご存知でしたら、教えてください。