バンクーバーオリンピックも、早いもので後半戦に突入。
スピードスケート男子500mの長島 圭一郎選手の銀メダル、加藤 条治選手の銅メダルも、本人は「もっと色が良い」メダルを取りたかった思いはあるかもしれないけれど、立派なものだし、フィギュアスケート男子の高橋 大輔選手の「この種目、日本人男子初のメダル獲得」となった銅メダルも、立派。
高橋選手は、私の見方では「普通に滑れば」絶対にメダルは取れると確信していた。
そんな私の様な日本国民が多い中でのプレッシャーと、自分自身との闘いに勝って手にしたメダルは、その色以上の意味を持つと思っている。
一度「地獄」を見た者は、「失う物」がないから、勝負できたという見方もできるだろう。
私個人としては、このオリンピックで一番注目しているのは、カーリング。
ルールをある程度覚えると、その競技内容がすこぶる面白い。
肉体的にも精神的にも辛く、しかも制限時間内に頭脳を上手に働かせる必要がある点でも、面白い種目だと思っている。
「氷上のチェス」と言われるのも十分納得できる。
強豪チーム相手に接戦に持ち込んだり、2月20日のイギリス戦は、とにかく「激闘」で、実に面白かった。あの試合運びなら、期待できると個人的には感じている。
いずれにしても、後半戦も、日本選手には、色はどうあれ(“銅あれ”という駄洒落ではなく、真面目に)、メダルをできるだけ多く獲得して欲しいと願うばかりである。
さて、本題。
風屋さんも仰っているし、その内容に概ね同感しているので、別に取り上げるまでもないのだが、それでも敢えて取り上げます、自戒を多分に込めて。
そう。
スノーボード・ハーフパイプ男子の国母 和宏選手の事。
小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明 「裾出し腰パン」を「皿仕上げ」でおいしくいただきましょう (日経ビジネスオンライン) - goo ニュース
オリンピックの選手団公式正装を着崩していたことや、公式記者会見でのその件に対する記者の質問に対してとった不遜な態度と、「こくぼ」姓では圧倒的に「小久保」が多い中、稀な漢字表記故にインパクトが強く、国母選手本人にとっては不本意ながら、一躍脚光を浴びる事になってしまった。
今やすっかり「時の人」である。
本件に関しては、後輩のクマが、自身のブログで肯定的に捉えている記事をエントリーしているが、私は少し違う見方をしている。
別に、服装の着こなしがどうの…とかは、ここでは正直どうでもよい。
国母選手が、数多くある国際大会で、優秀な成績をあげている事は、周知の通り。「アスリート」としては一流だと思う。
しかも、その競技会場で、試合会場に来場したファンに対し、骨髄バンクの登録を呼びかけているほど、実は「優しい」という一面も持っている。
なのに、何故あれだけの「攻撃」を、この大会や試合前に受けなければならなかったのか…。
まず一つは、国母選手は恐らく、オリンピックを「国際大会の一つ」にすぎないと思っていたのだろうが、実は、オリンピックとは、国際大会でも「4年に一度」しか開催されない、極めて「稀」な試合であるがために、実は、全世界的に注目度が大きいということを「自覚」していなかったであろう点が、その材料になってしまった事だ。
国母選手も、大人であり、その自覚さえあれば、公式ブレザーの着こなし位はわきまえられるだろう。もし、皆が思っているほど、子供っぽいなら、彼を指導しているコーチ陣が注意していれば、結果は変わったかもしれない。
朝日新聞に掲載された、スポーツライターの玉木 正之氏のコメントにある様に、「しかって態度が改まれば、それで済む問題」である。そう、大した問題ではないのだ。
そんな「簡単な事」を、取材する側が、鬼の首を取ったかのように騒ぎ、まるで犯罪者のごとく報じるのは、いかがなものか…と。
いやぁ~オリンピックの「競技の」取材という大変な仕事があるのに、マスコミは随分暇なんだね…。正直呆れた。
もう一つが、その着こなし程度で大騒ぎにするマスコミはどうであれ、その服装や言動が、国母選手にとっては、いわゆる「オレ流」であって、そんなことぐらいで騒ぐのなら、上のリンク先の記事の様に…
「そんなことでごちゃごちゃ言うなら、オリンピックの日本代表選手という名誉ある立場なんて、俺には価値がない事だから、そんな名誉なんて豚にくれてやるよ。じゃぁな。」
位の事が言え、「強制送還」されても構わないし、そうなたっとしても、どうってことはないよ…という「覚悟」があったかどうか…という事。
もし、そこまでの「覚悟」があった上での立ち振る舞いならば、それはそれで「あっぱれ」である。本人の「揺らぐことのない」信念に基づいた行動なのだから、周りが何も言うことはないし、ここまでの騒ぎには、恐らくなっていなかったと思う。
しかし、その点に関しては、後日服装の乱れに対し、あっさり「陳謝」していることや、その会見で橋本 聖子 日本選手団団長から、「改めて処分が検討されるだろう」という発言に対し、国母選手は、まるで魂でも抜かれた様な表情を浮かべていたところから見ると、そこまでの「覚悟」は、残念ながらなかったと言わざるを得ない。
クマが自身のブログで…
メダルだとか世界8位に悔しいとか、嬉しかったとかではなく、
「自分のスタイルを貫けたこと」に誇りを持っている!
という一言に、私は一貫性を感じ、非常に共感を受けました。
と語っているが、私にはどうしても、国母選手が試合が終わった後のインタビューで、「自分のスタイルを貫けた」と発言したのは、自身に対して、正直じゃない様に見えてならない。
それだけの「覚悟」がないから、自分のとった行動に対し「陳謝」という行動をさせたのだと思う。
「覚悟」があったら、とことん自身の信念を貫き通して欲しかった気がする。
以上を踏まえて考えると、色々な意味で、本件は「無駄」なことだと、個人的には思う。
それを取り上げる私も私だが…。
さて、ここからが自戒の部分。
つまり、「覚悟する」ということは、いかに自分自身や、自分自身の取り巻く環境を知った上で、色々なリスクも全て飲み込んで、決断して行動できるか…ということ。それ程大変な「仕事」であるということ。
反面教師にしているつもりは全くないが、国母選手の一連の態度から、改めてそれを学べた。
私自身のこれまでの人生で、「覚悟を決める」様な生き方ができていたかどうか…実は不安があるから、これからの未来の人生を生きる上では、自戒を込めたいと思うのである。
「覚悟する」ということ。
改めてその「大変さ」と「尊さ」を感じずにはいられない。
スピードスケート男子500mの長島 圭一郎選手の銀メダル、加藤 条治選手の銅メダルも、本人は「もっと色が良い」メダルを取りたかった思いはあるかもしれないけれど、立派なものだし、フィギュアスケート男子の高橋 大輔選手の「この種目、日本人男子初のメダル獲得」となった銅メダルも、立派。
高橋選手は、私の見方では「普通に滑れば」絶対にメダルは取れると確信していた。
そんな私の様な日本国民が多い中でのプレッシャーと、自分自身との闘いに勝って手にしたメダルは、その色以上の意味を持つと思っている。
一度「地獄」を見た者は、「失う物」がないから、勝負できたという見方もできるだろう。
私個人としては、このオリンピックで一番注目しているのは、カーリング。
ルールをある程度覚えると、その競技内容がすこぶる面白い。
肉体的にも精神的にも辛く、しかも制限時間内に頭脳を上手に働かせる必要がある点でも、面白い種目だと思っている。
「氷上のチェス」と言われるのも十分納得できる。
強豪チーム相手に接戦に持ち込んだり、2月20日のイギリス戦は、とにかく「激闘」で、実に面白かった。あの試合運びなら、期待できると個人的には感じている。
いずれにしても、後半戦も、日本選手には、色はどうあれ(“銅あれ”という駄洒落ではなく、真面目に)、メダルをできるだけ多く獲得して欲しいと願うばかりである。
さて、本題。
風屋さんも仰っているし、その内容に概ね同感しているので、別に取り上げるまでもないのだが、それでも敢えて取り上げます、自戒を多分に込めて。
そう。
スノーボード・ハーフパイプ男子の国母 和宏選手の事。
小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明 「裾出し腰パン」を「皿仕上げ」でおいしくいただきましょう (日経ビジネスオンライン) - goo ニュース
オリンピックの選手団公式正装を着崩していたことや、公式記者会見でのその件に対する記者の質問に対してとった不遜な態度と、「こくぼ」姓では圧倒的に「小久保」が多い中、稀な漢字表記故にインパクトが強く、国母選手本人にとっては不本意ながら、一躍脚光を浴びる事になってしまった。
今やすっかり「時の人」である。
本件に関しては、後輩のクマが、自身のブログで肯定的に捉えている記事をエントリーしているが、私は少し違う見方をしている。
別に、服装の着こなしがどうの…とかは、ここでは正直どうでもよい。
国母選手が、数多くある国際大会で、優秀な成績をあげている事は、周知の通り。「アスリート」としては一流だと思う。
しかも、その競技会場で、試合会場に来場したファンに対し、骨髄バンクの登録を呼びかけているほど、実は「優しい」という一面も持っている。
なのに、何故あれだけの「攻撃」を、この大会や試合前に受けなければならなかったのか…。
まず一つは、国母選手は恐らく、オリンピックを「国際大会の一つ」にすぎないと思っていたのだろうが、実は、オリンピックとは、国際大会でも「4年に一度」しか開催されない、極めて「稀」な試合であるがために、実は、全世界的に注目度が大きいということを「自覚」していなかったであろう点が、その材料になってしまった事だ。
国母選手も、大人であり、その自覚さえあれば、公式ブレザーの着こなし位はわきまえられるだろう。もし、皆が思っているほど、子供っぽいなら、彼を指導しているコーチ陣が注意していれば、結果は変わったかもしれない。
朝日新聞に掲載された、スポーツライターの玉木 正之氏のコメントにある様に、「しかって態度が改まれば、それで済む問題」である。そう、大した問題ではないのだ。
そんな「簡単な事」を、取材する側が、鬼の首を取ったかのように騒ぎ、まるで犯罪者のごとく報じるのは、いかがなものか…と。
いやぁ~オリンピックの「競技の」取材という大変な仕事があるのに、マスコミは随分暇なんだね…。正直呆れた。
もう一つが、その着こなし程度で大騒ぎにするマスコミはどうであれ、その服装や言動が、国母選手にとっては、いわゆる「オレ流」であって、そんなことぐらいで騒ぐのなら、上のリンク先の記事の様に…
「そんなことでごちゃごちゃ言うなら、オリンピックの日本代表選手という名誉ある立場なんて、俺には価値がない事だから、そんな名誉なんて豚にくれてやるよ。じゃぁな。」
位の事が言え、「強制送還」されても構わないし、そうなたっとしても、どうってことはないよ…という「覚悟」があったかどうか…という事。
もし、そこまでの「覚悟」があった上での立ち振る舞いならば、それはそれで「あっぱれ」である。本人の「揺らぐことのない」信念に基づいた行動なのだから、周りが何も言うことはないし、ここまでの騒ぎには、恐らくなっていなかったと思う。
しかし、その点に関しては、後日服装の乱れに対し、あっさり「陳謝」していることや、その会見で橋本 聖子 日本選手団団長から、「改めて処分が検討されるだろう」という発言に対し、国母選手は、まるで魂でも抜かれた様な表情を浮かべていたところから見ると、そこまでの「覚悟」は、残念ながらなかったと言わざるを得ない。
クマが自身のブログで…
メダルだとか世界8位に悔しいとか、嬉しかったとかではなく、
「自分のスタイルを貫けたこと」に誇りを持っている!
という一言に、私は一貫性を感じ、非常に共感を受けました。
と語っているが、私にはどうしても、国母選手が試合が終わった後のインタビューで、「自分のスタイルを貫けた」と発言したのは、自身に対して、正直じゃない様に見えてならない。
それだけの「覚悟」がないから、自分のとった行動に対し「陳謝」という行動をさせたのだと思う。
「覚悟」があったら、とことん自身の信念を貫き通して欲しかった気がする。
以上を踏まえて考えると、色々な意味で、本件は「無駄」なことだと、個人的には思う。
それを取り上げる私も私だが…。
さて、ここからが自戒の部分。
つまり、「覚悟する」ということは、いかに自分自身や、自分自身の取り巻く環境を知った上で、色々なリスクも全て飲み込んで、決断して行動できるか…ということ。それ程大変な「仕事」であるということ。
反面教師にしているつもりは全くないが、国母選手の一連の態度から、改めてそれを学べた。
私自身のこれまでの人生で、「覚悟を決める」様な生き方ができていたかどうか…実は不安があるから、これからの未来の人生を生きる上では、自戒を込めたいと思うのである。
「覚悟する」ということ。
改めてその「大変さ」と「尊さ」を感じずにはいられない。
すごく遅れてしまった私のブログの記事に対して、迅速なコメントありがとうございます。
オッと思ったら、バンバン、トラックバックしてくださって結構です。歓迎です。
私も、他の方に対してバンバントラックバックしています。まあ、私の場合は、同感の場合も、そうでない場合も、「私の考えを聞いてくれ」というような傲慢さがありますが。
>まず一つは、国母選手は恐らく、オリンピックを「国際大会の一つ」にすぎないと思っていたのだろうが、実は、オリンピックとは、国際大会でも「4年に一度」しか開催されない、極めて「稀」な試合であるがために、実は、全世界的に注目度が大きいということを「自覚」していなかったであろう
そうですね。五輪は違うんですよね、注目度もそうですが、観る人が。
彼は、スノーボード・ハーフパイプという競技で、ドンドン技術をアップさせていき、国内から世界へ舞台を広げ、高めていったわけです。そして、その延長線上の頂点に五輪があると考えていたのでしょう。
しかし、実は違うのです。つまり、ワールドカップや世界選手権は、その競技のプレーヤーやファンが注目するのですが、五輪はファンはもちろん、スポーツに五輪に関心がある人がすべて注目するのです。もちろん、ハーフパイプを見たこともない人も。
さらに、世間(マスコミ)は五輪出場選手を国の代表として期待するのです。(期待度は世間よりマスコミの方が高い)
国母選手にすれば、大会で最高のパフォーマンスを発揮すればいいと思っていたわけですが、大きな誤算でした。
世間が反応し、さらに、マスコミや選手団が騒ぎを拡大してしまった。そして、あの会見…と、これ以上書くと、Danchoさんのブログを占領してしまいますね。詳しくは私のブログで。(あ、宣伝するつもりはないですよ)
おおむね同感、あるいは、なるほどと思うことばかりです。
ただ、
>国母選手が試合が終わった後のインタビューで、「自分のスタイルを貫けた」と発言したのは、自身に対して、正直じゃない様に見えてならない
この部分は、私は少し違う解釈をしています。
実は、中継では競技後すぐインタビューに答えたように思えますが、うまく決められなかった悔しさが先行したのか、彼はインタビューエリアを素通りして拒否しようとしたのです。
それを選手団(協会?)の広報にたしなめられて、インタビューに応じたのです。相変わらず未熟です。
まあ、それはともかく、「自分のスタイルを貫けた」というのは、彼が最後に決めようとした技は、まだ習得が完全でなく、成功率は半分を大きく切っていたらしいです。
失敗を覚悟で、勝負を懸けた。あの技を決めないと、メダルには届かないということもありますが、五輪であの技を決めるためにやってきた、だから失敗してもその技に挑まなければ意味がない。その思いを貫いた。
たぶん、そういう思いから、「スタイルを貫いた」という言葉が出たのではないでしょうか。少なくとも、私はそう思いたいです。一連の彼の言動は未熟だと思いますが。
長々とすいませんでした。
熱いコメント、ありがとうございます。
> 実は、中継では競技後すぐインタビューに答えたように思えますが、うまく決められなかった悔しさが先行したのか、彼はインタビューエリアを素通りして拒否しようとしたのです。
> それを選手団(協会?)の広報にたしなめられて、インタビューに応じたのです。相変わらず未熟です。
そうだったのですか。いやぁ~不勉強ですね(冷汗)。取材拒否をたしなめられてのコメントであれば、理解できる気がしますね。
>まあ、それはともかく、「自分のスタイルを貫けた」というのは、彼が最後に決めようとした技は、まだ習得が完全でなく、成功率は半分を大きく切っていたらしいです。
> 失敗を覚悟で、勝負を懸けた。あの技を決めないと、メダルには届かないということもありますが、五輪であの技を決めるためにやってきた、だから失敗してもその技に挑まなければ意味がない。その思いを貫いた。
この英さんの考察、勉強になります。
仰られてみて、そっかぁ…そういう見方もできるんだ…って、思いましたので。
確かに、その見解から自分なりに再考察すると、合点がいきますね。
いずれにしても…
> そうですね。五輪は違うんですよね、注目度もそうですが、観る人が。
というところを、国母選手自身が踏まえていなかったのが「落とし穴」だったと感じますね。
オリンピックって、単なる「競技」とは別次元のところにも「影響」あるし、「平和の祭典」という意味合いもあるから、数ある大会の中でも、希有なんですよね。そこがポイントだったのに…。
英さんも、まだまだオリンピックのネタ、尽きないのでしょうか?。
そちらにお邪魔しても、どのオリンピックのネタも力作で、凄いなぁ~と、思っているものですから。
「まだまだ続く」なら、本当に楽しみです。
自分のところでは、好き勝手に書いても良いと思うので、英さんの「放電」…楽しみにしています。
先ずは、熱いコメントを頂戴した事に対し、心より御礼まで。