Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

祝・『gooの木』20,000本達成/『ダムに沈む村』から滲み出る、『緑のgoo』キャンペーンの意義

2007-12-06 00:47:47 | 雑感
『緑のgoo』…本当に素晴らしい企画ですね。

パーツ(IEのツールバーとして貼り付けるタイプも含めます)から検索をかけると、そこで発生した収益の15%が、NPO法人へ寄付されるというものです。
直接的ではないにしても、環境保全に協力することは、これで誰にでもできます。

小生がこのキャンペーンの存在を知ったのは、9月の初めごろ、とらいでんとさんのブログにお邪魔させて頂いた時でした。
あまりに素晴らしい企画でしたので、早速小生も参加することにしたわけです。

その当時は、このキャンペーンが始まって間もなかったのか、『緑のgooの木』の数は、僅か1,500本程度だったと記憶しています。
それが、あっという間にこの企画の参加ブログの数も増え、それに伴って木の数も加速度的に増えています。実に嬉しいことですね

10,000本達成が10月25日ごろ(nanaponさんも、その喜びを記事にしています)で、今日12月6日に、遂に20,000本達成しました


これが、20,000本達成した瞬間』の画像です

10,000本達成から僅か13日間でさらに10,000本上乗せですから、その勢いたるや驚愕モノです
と同時に、多くの人が、環境問題に関心があり、敏感になっていることがこれで容易に理解できます。

この木の増え方を喜ぶ傍らで、この『緑のgoo』の企画の意義を考えさせられます。

そんな時、大分前になりますが、10月7日に、TBS系の『世界ウルルン滞在記"ルネサンス"特別編「未来への記憶」』をたまたま視聴して、打ちのめされました…。

タイムリーではなくなってしまいましたが、環境問題を考えるきっかけには大いになるので、「打ちのめされた内容」を紹介したいと思います。


この日は番組も特集を組んでいて、3人のゲストの方が世界各国を訪れて、その文化に触れるという内容。

そのゲストのうちの御一人だった、女優の小西 美帆 さんが、トルコの、間もなくダム建設のために水没してしまう村を訪れたのですが、その様子を見ていて、正直切なくなり、「打ちのめされ」ました

小西さんは、ウィキペディアの記事でも紹介されていますが、プロフィール上は「岐阜県本巣市」出身となっていますが、それは市町村合併後のこと。
元々は、「揖斐郡徳山村」のご出身で、小西さんの祖母は、かなり有名なお方です。
その徳山村も、今年2007年までに「徳山ダム」の完成により、完全水没されました。

つまり、小西さんの故郷は現時点でダムに沈み、訪れた村は、奇しくも将来ダムに沈むというシチュエーションにあるわけです。
もうそれだけで切ないですよね

このトルコの村を訪れた小西さんは、「村一番で料理が上手なお母さん」がいる、村長さんのお宅に泊めてもらい、そこで、様々な農作業を手伝います。

そして、ある日のこと…。

小西さん自身の故郷がダムに沈んでしまったということを、これからダムに沈む村に住む多くの人に、その現実と、寂しさと、虚しさを知ってもらうために、徳山村が沈んでいく様子を「映画」として上演することを村長さんに相談し、村長さんの呼びかけで集まった、ほとんど全員の村民に、その様子を「上映」します。

その時の様子や心境を、ご自身のブログの10月8日の記事を全文引用して、紹介します。

*************************************

ダムの問題はとてもデリケートだと思ってます。
廃村になった村人もそれは重々承知の上です。
だって、「誰かの役に立つから」
ダム建設を了承するわけです。
だから、決してネガティブオンリーではないし、
もちろん人生は続いていくわけで、
人間、臨機応変に対応していけるのです。

そういうことを踏まえた上で、
今回のこの旅、どうしたもんかなぁ…と
たいしたアイディアも浮かばず
ただ楽しくトルコの村の生活をしてたわけです。

ちょうど中日あたりで、「あ!ビデオ持ってきてるやん!」
と、上映会を提案してみたんですが、、、

私は今まで、ダムについての取材で
「私は実際に住んでたわけじゃないから、
どんな気持ちか答えられる立場にないので…
祖父母は悲しがってるのかなと。しかしそれさえも、
私には量りかねないので…」
とまぁ、こんな曖昧な答えしか出来なかったんです。
でも、これが精一杯の私の村人への敬意でもあったわけです。
そして廃村が決まった7歳の時から、どんな場合でも、
(映画「水になった村」も何度もみていますが)
ダムについて、泣いたことはありません。断言。
これが私の思う私の立場だったわけです。
言ってみれば、みなさんと極めて近い位置にいたわけです。

さて、話はトルコへ戻って、、
いざ上映となると、初めて私は'当事者'の立場になったのでした。

そこで、なんとこれまた初めて、
自分がこれほどまでに傷つき悲しんでいることに
気づいてしまったのです。はい。
7歳の頃から「泣いてはいけない」と勝手に思って
もっともっと悲しんでいるだろう大人たちの前で
ポーカーフェイスでおちゃらけてきていた私の
いろんな想いが・・・決壊しました。(言葉のチョイス悪い?)

祖父が「徳山に行きたくない」と言っていた
その裏側にあるものと似た、
私にも私に対して隠された感情があったのだな。。

そして私は遠く日本にいる家族を想いました。
強く強く想いました。
初めて、私も'大人たち'と同じ立場で、悲しみを受け入れました。
テレビだとか仕事だとか、
私たち家族にとっても、トルコの村人にとっても、
軽く扱う問題ではないのです。
だから、家族に申し訳が立たないようなことはできない。
強い強い責任感と勇気を持つのに、
(上演に至るまで)時間もかかったのであります。

そして上演後の長男の涙は、
私のその時の'初の涙(about ダム)'とリンクして、
不思議と言葉は必要なく、理解できたような気がしたのです。
それでも、自分が間違ってはいないか?
怖がらせただけなのではないか?と
まだまだ不安もありました。
ただ言えるのは私は7年後、また同じように悲しみます。
彼らと一緒に。
そしたらまたあんなビックリするくらい大号泣しちまうんだろうか。。
7年後って言ったらオイラ37歳だぜ。。
…いやあ、それはいかん!許されぬ!
いやはや何ともお恥ずかしい(見苦しい)姿をお見せして申し訳ない。
でも一番驚いたのは他でもないワタクシでありました。


前回アフリカに行って、
「子どもに教育を!でも…ここ豊かだよな~」
なんて思って何が正しいのか、私には皆目分かりませんでした。

私はアナログが好きですが、ハイテクにも憧れます。
田舎は好きですが、都会で挑戦していくことはもっと好きです。
大家族は理想ですが、一人で自由に動いてることを誰より満喫してます。
こんな私です。

今回、私は自分が両方欲しいと思っていることを
はっきり受け入れることができました。
そして、「その両方を持って、新しい未来を切り拓くってどうよ!?」
って思いついたんですが、
いかがなもんでしょう??

人間はいろんなものを創造していける。
いろんなもん作って便利になってきてんだし、
そのエネルギーを'人'から’地球全般'へ使ったらどうだろか??

進化を止めるのも欲を止めるのも難しそうだから、
敢えて、「温故知新で行きましょう」
軽い?
いいや、わりとオイラ真剣だぜ。

長くなりました。失礼しました。
書いてる内容も分からなくなってきました。
なぜかって??
・・・それが最初に言った'諸事情'である。
今度ゆっくり話すからよ~
待ってけろ。

明日からまたロケで地方に旅立ちます。
見かけたら声をかけて下さい。
何も出ませんが。

それでは、みなさんの家族が今日も幸せでありますように・・・

see you soon,

*************************************

小西さん自身の故郷がダムに沈むことが決まったのが、7歳の時。
そこから、小西さんの心の葛藤が既に始まっていて、今回のトルコへの旅で、半ば強制的に封印していた「当事者意識」が突如フィードバックされ、それこそ「堰を切った」かのように、番組中にも放送されていましたが、大泣きしてしまったんでしょうね…。

この小西さんご自身が綴ったブログの記事の行間を読むだけで、多くは語る必要はないですよね…。

小西さんの気持ち(&村長さんの長男の気持ち)が、切なく小生の心にも響き、番組を視聴していて、激しく打ちのめされました…。
その感覚…タイムリーではないにしても、鮮明です。

そんな小西さん…この「上映会」が終わって、間もなく訪問地を後にする頃、日本から持参したレンズ付きフィルムを村の全世帯に配り、撮影の方法を丁寧に村民に教えながらこう話していました。

「どんな些細なことでも、どんな景色でもいいから、必ず家族全員でこのカメラでこの村を撮影して、村長さんに手渡し、村長さん経由で私のところに送って欲しい。そうしたら、必ず私が写真集にして、皆に送り返すから…。」

そのトルコのダムに間もなく沈む風景を、村の人が感じたままを撮影してもらい、「写真集」として残す…素晴らしいアイデアですね。
(ちなみに、小西さんの故郷の徳山村がダムに沈む前の写真集も、実際に出版されています。)

番組では一部、その村民が撮影した写真が紹介されましたが、どれも感性に溢れ、写真ですが、「生活の営み」があたかも動画のように見えるほど素晴らしいものでした。


『ダムに沈み行く村』の現実を考える時、それは小西さんが7歳当時に思ったように、「必要なもの」だから建設するのかもしれない…。
けれど、ダムを建設することは、環境の一部を「人工的」にするわけですから、広義では環境にダメージを与えることにはなります。

それを思うとき、番組を視聴していた小生は、この『緑のgoo』のキャンペーンの存在意義の大きさ…とても痛感しました。
と同時に、このキャンペーンに参加して良かったと、心から思いましたね

だからこそ、『緑のgoo』の木がたくさん育って欲しいし、可能なら「キャンペーン」で終わらせることではなく、例えば10万本で一旦カウントをリセットして、その単位でNPO法人へ検索で発生した収益を寄付をして、半永久的に継続していただきたいと思う次第です


(『緑のgoo』の存在意義という側面では、小西さんがご出演なさった番組に、もう御一人、ゲストとして共演なさった方(男性です)も、環境破壊と密接な問題でブラジルを訪れています。本エントリーの「続編」として記事にしたいと思います。どうぞお楽しみに。)

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