Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

味のある『お付き合い』

2007-08-28 19:45:02 | 明川 哲也 さん
小生のブログの読者なら、もうすっかりおなじみとなった毎月1回の、好評(本当に)の、このシリーズ

そうです。明川 哲也 さんの登場です

4週間に一度、朝日新聞(住まいが山口なので、北九州版?)の生活面の『相談室』の回答者として登場されますが…もちろん今回もやります

3回前の『『ゆるゆる教』のすすめ』のような、素晴しい「明川ワールド」を、今回も読者の皆さんに堪能していただけるでしょうか

お任せ下さい
8月17日に登場なさった今回も、期待を裏切っていません

今回は、ユーモラスは最後の最後に「スパイス」程度…いや、相談内容は単純ですが、回答はちょっといつもの明川さんにしてはシリアスなので、「隠し味」と表現した方が正しいかもしれませんが…実に和まされる感じで、説得力は相変わらずある回答を、相談者にしています

では早速、惜しみなく紹介したいと思います


紹介するのは、熊本県にお住まいの、72歳の主婦の方の相談に対する回答です。

相談事は、お向かいの奥さんが最近、毎日のように「しょうゆを貸して」「砂糖を貸して」「みそを貸して」と借りにくるので困っている。あとできちんと返してくれるが、私の家に本当になくて断った時は、隣の奥さんに借りに行っていたのでびっくり。こんなことが続くようなら、ちょっと煩わしと悩む日々。どう対処するべきか…という内容。

昔ならではの、ご近所付き合いの一環で、良くある光景だったように思います。
別段問題ないように思うのですが、しょっちゅう「借りに来る」のが煩わしい…。
確かにそうですけれど、だからといって「借りっぱなし」というわけではないみたいですから、その意味では迷惑はかかっていないのですし、問題はないような気がしますよね。
なのに、悩みは深い…。

こんな他愛のなさそうな悩みの相談ですが、明川さんは、難なく以下のように、絶妙な回答をしています

以下、記事を全文引用して紹介しましょう


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 煩わしいのなら、砂糖もみそもしょうゆもドーンと新品を差し上げ、
その奥さんをにこやかに拒絶する方法があります。
でも、それでいいんでしょうか。

この奥さんの根底には寂しさがあるような気がします。
年齢的からくる寂しさ。知り合いが減っていく寂しさ。
ズリ下げズボンの若者たちを見ても、宇宙人としか思えないことの寂しさ。

 だから強烈に人恋しくなってしまう。
孤独になると、人と人との距離感がもっと近かった昭和三十年代のように、
ついついお隣さんに声をかけてしまう。そう、あの頃。みんな貧しかったわ。
貧しかったから、しょうゆやみそを貸し合った。
電話のない家には走って用件を伝えにいった。
だけど、この国には未来があった。
いつか暮らしが上向いてくるという予感があった。
二度と戦争はいたしません。
そう約束したんだから、裸電球の下でも家族みんなで笑い合うことができた。
会話があった。私もぴちぴちだったし…。
なんて、その時代への郷愁が込み上げているのかもしれません。
だとすれば、煩わしさは拒絶しつつも、受け入れてあげてはいかがですか。

 しょうゆ瓶を丸々差し出し、「奥さん、使い切ってよ」と釘を刺しながら、
クレイジーキャッツのレコードも貸してあげる。
これは昭和を生き抜いてこられた方だけにできる、味のある付き合い方ですね。

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なるほど…

現代は、携帯電話もあるし、大型スーパーマーケットやショッピングモールが、ある意味「歩いてでも」行けるようになっています。
コンビニエンスストアなんて、まるで目と鼻の先で、喧嘩をするような位置で「ご対面」なさっていることすらあります。
便利すぎるくらいです。

だって、Amazon.comで買った品物だって受け取れるわけだし、iPodまで売っていたりするんですよ…。

「驚愕の利便性」ですよ

たとえ自然に囲まれて、いかにも「文明の波」から程遠そうな場所にいても、そんなご家庭には、軽トラックくらいは、柱が朽ちて、いかにも屋根がつぶれそうなトタン屋根の車庫には必ずあるのを山口では良く見かけるので、出かけることは、身体によっぽどの不自由がない限りは、そんなに困難ではなさそうです。

でも、その現代の「功罪」としては、あまりの便利さに、隣近所の「お付き合い」が希薄になってしまって、時に、目や耳を覆いたくなるような悲惨な事件が起こったりすることですね

その点、明川さんが例示した昭和三十年代(小生がこの世に生を受けた昭和四十年代もかな…)は、裸電球しか下がっていなければ、何とか寂しさを紛らわすように、「語り合い」はあった気がします。

古い「掘っ立て小屋」のような集会所で子供会などをするときなんて、6学年揃っても、そんな感じでした。
だから、たとえ「いじめ」まがいのことがあっても、現代のような陰湿なものではなかったように思いますね。

つまり、現代と違って、当時は「血が通っていた」ような「お付き合い」ができていたような気がするのです。

別の例を出しましょう。といっても、とっても短く。

この相談内容に対する答え…明川さんだけではなく、実はnanaponさんが、『元気のおすそ分け』と、『支えること、支えあうこと』という記事で語られていること…ここにも集約されているような気が、小生にはします。

その点を、明川さんは明川さんのことばで、具体例まで出して、お心遣いたっぷりに、しかも最後には、昭和三十年代を代表するような風刺的コミックバンドの「クレイジーキャッツ」という「隠し味」まで織り交ぜて、きちんと相談者はもちろん、小生達読者までをも「諭す」回答をなさっている…

素晴らしい回答内容ですよね
(と、いうことは…nanaponさんも…ということになりますね。)

どこまで、その明川さんの「世界」は、「深く」て「広く」て「温かい」のでしょうか

このペースですと、次回の登場は9月14日か21日が有力…でしょうね

また来月末位に、読者の皆さんに紹介したいですし、小生自身も明川さんのご登場を心待ちにしています

この次も、またまた大きな期待…寄せちゃいますよ。明川さん

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