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Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

応援団に捧げた青春(15)/厳しい練習中に起こった『事件』

2007-08-27 20:33:40 | 応援団シリーズ化記事
第14話のKT先輩のエピソードについてエントリーして以来、ちょっと間が開きました。申し訳ありません。

本シリーズ記事を楽しみになさっている読者の皆さん…再開です!

9月8日から東京六大学秋季リーグ戦も始まりますし、ペースアップを心がけて頑張ります

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『第25回 臙脂の集い』に向けた練習も、その当日が近づくにつれ、加速度的に厳しさが増してゆきました。

決して「一次関数」的ではなかったと思います。「正の二次関数」的だったかもしれませんね。

当日が近づくにつれ、OBとなられた先輩方も、小生達後輩のご指導のために、主に現役大学生で、まだ埼玉県内にお住まいの方や、卒業してすぐのOB1年目の先輩方を中心に、連日訪れるようになっていきました。
これが、当日から逆算すると、2週間前くらいだと記憶しています。

より一層、妥協は許されない状況となり、逃げ出したくても逃げられない…もし逃げるとすれば、それは2つの方法…すなわち

①練習をとにかく一生懸命「がむしゃら」にやって、精根尽き果てて失神してしまう
②もう、応援指導部から身を引く

しかない様な、そんな状況でした。

こうした特別な行事がない限りは、土曜日は軽く練習して、夕方4時ごろには帰宅でき、日曜日は完全に休日になるのですが…もう、問屋がそうは卸しません

この時期になると、土曜日は当然「平日と同じ扱い」での練習になりますし、日曜日は弁当持参で1日練習ということに当然なって行きます

特に、日曜日ですと、社会人になられたOBの先輩方もお見えになることがあり、まだまだ慣れないこと尽くしの、小生達1年生にとっては、OBの先輩方がお見えになるだけで「チキン」状態でした。
(少なくとも、小生は、そんな心境でした…。)

3年生幹部も、OBの先輩がお見えになれば、OBの先輩の「持ちテク」を直々にご指導を「お願い」する状況になって行きます。

この『第25回』の時は、いつも温厚なMY先輩が、その強靭かつ柔軟な身体能力を有していたことから、「三大テク」の一つの『勝利の拍手』を持ちテクにされていましたが、1学年上のOB1年目の先輩(先日、小生のこのブログにお出で下さった、大坂 虎達 先輩と同級生に当たるお方です)が連日お見えになり、全体練習が終わった後も熱心に(でも、決してその姿を、下級生部員に見られない場所で)ご指導なさっていたことを、鮮明に覚えています。

ちなみに、そのMY先輩の『勝利の拍手』をご指導なさった先輩は、小生達から近い代では、「最も美しい」と評された『勝利の拍手』を披露なさったことで非常に名高く、自らを追い抜いて欲しいとの「愛情」の裏返しで、MY先輩に大変厳しくご指導なさっておられたのです。
小生も、MY先輩の『勝利の拍手』を可憐に舞う後姿…惚れていました。
それは、MY先輩をご指導なさった1学年先輩のご指導の賜物なのです。

さて、そんな練習の最中です。恐らく5月27日ごろの平日の練習の時だったと思います。

実はこの日、小生は体調の不良から、練習を欠席する旨を先輩に申し出て、休養に当てていました。したがって、これからお話しする「事件」は、実際には見ていません。ですが、衝撃でした。

先にお話したように、この時期は、平日であってもOBの先輩のどなたかお一人は、必ず練習のご指導にお見えになる状況でした。
連日のようにお見えになっていた、小生達より数年先輩が、この日もお見えになっていたようです。
このお方…全学年の後輩に対し、「過ぎる」が付く位に厳しく、練習はほぼその先輩のペースで進んだと言っても過言ではない状況でした。

練習の場所は、体育館入り口階段のコンクリートが、ちょうど「メイン台」のようになっていたので、それを取り囲むように、下級生達が「メイン台」に上がる先輩を凝視する格好で、「実践体型」と呼ばれる配置に着く形で進められます。

その時に、以下にお話しする、大変残念な「大事件」が起こってしまったそうです。

練習をご覧になっていたその先輩が、「全体に気合が足りない」と思ったらしく、小生と同期の1年生(実は、Hです)の背中を、魔が差したように蹴り上げてしまたのです。

背中からですから、当然、蹴られたHは無防備
「受け身」さえ取れないのですから、衝撃がまともに全身を襲い、そのまま痙攣を起こして倒れ、救急車を呼ばないと適切な処置が取れないほどの「重症」を負ってしまったのです。

熱意余っての指導が、負傷者を…しかも、救急車を手配を余儀なくされたものになってしまったのです。

当然、団長のSJ先輩と、顧問のM先生の「監督不行き届き」の責任を咎められても仕方ない状況にまで発展しました。

翌日、体調が回復し、練習に復帰してこのことを知った小生のショックも大きかったです。

なぜなら、同期の中でも『応援指導部員』としてのポテンシャルの高さを、遺憾なく発揮していたのも、Hだったからです
そのHが、入院を余儀なくされるほどの重症…当然、『臙脂の集い』の舞台に立てなくなった無念を思うと、居たたまれない心境になりました

なお、この「大事件」が起こった後でも、あくまで、毎日練習できる環境だけは整え、全ての「火の粉」をかぶり、矢面に立って小生達部員全員を守ってくださったのは、他ならぬ顧問のM先生でした。

M先生の「熱血漢」ぶりは、改めて記事をエントリーしたいと思っていますが、小生達『応援指導部員』を、そして『応援指導部』を愛して止まなかったからこそ、矢面に立って守ってくださったと思います。深謝ですね

本当に、翌日からも、「何もなかったかの」様に、『臙脂の集い』当日まで、厳しかったけど練習に打ち込めたのですから…
そのご苦労たるや、知る由もないのですが、恐らく想像を絶するものがあったことでしょう

残念な形でHがこの『第25回 臙脂の集い』の舞台からリタイヤせざるを得なくなりましたが、同期として、Hの分まで精一杯練習して、Hとこのステージで引退なさる3年生幹部のためにも、絶対にこの『臙脂の集い』を成功させよう…。

1年生同士のモチベーションが、これをきっかけに高まりました。

より一層、練習の厳しさに拍車がかかり、いよいよ『春高祭』まで1週間を切りました。


次回は、この1週間の出来事をお話し、その次の第17話で、いよいよ『第25回 臙脂の集い』の当日の「感動」をお届けしたいと思います。

どうぞお楽しみに。

(次回に続く。)
Comments (3)
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