先日、探したいた書籍を古本で見つけて購入しました。
発売当時の価格の倍の値段で。
こういう貴重な本は、見つけたときに買わないとずっと買えないので思い切りました。
本の名前は「上州のお宮とお寺〜神社編」近藤義雄、丸山知良著
(上毛新聞社、1978年発行)
題名通り群馬県のめぼしい神社の紹介本です。
目次を見ると、参拝したことのある神社とない神社が半々くらい。
神社の名前って、地方により同じものが複数あることが多いですよね。
なぜなんだろう?
それから、有名な神社の名前と同じ名前もよく見かけます。
なぜなんだろう?
私は大きな御神木がある神社をメインに参拝する趣味がありますが、山里の神社の中には神社名がはっきりしない「山神社」という名前にたどり着くこともあります。
そんな、いろいろな神社名がある理由を、この本の前書きがわかりやすく説明してくれているので紹介します。
現在では大抵の神社に特定の祭神の名が定められているが、古くは大部分の神が山の神、川の神、井戸の神、竈の神などと呼ばれ、特定の祭神はほとんどなかった。そして多くの神は我々を守護してくれるもので、例えば田植えの頃になればサオリと称して山から神が降臨して田畑を守り、収穫が終わるとサノボリと称して神はお帰りになると信じられてきた。
しかし、やがて人々の住む近くに社が建てられ、神は身近に常におわしますようになった。
このような地の神に対し、人々の交流がさかんになると他国の神も入ってきた。各地の有力な神社は、御師と称する神人団をもって侵攻の拡大を図り、講社をつくって代参者を招き、ついには村人は他国の神を村に勧請してお宮をつくるようになった。熊野神社などはその代表的な例といえよう。
他国の神が祀られるようになったもう一つの要因は、有力な豪族が村に入ってきたときである。豪族は一族の氏神を新しい土地に来ても祀るようになり、村人もその神をともに崇拝するようになっていった。そのよい例が八幡神社である。八幡神は源氏の氏神として尊崇されていたので、新田氏などが地方に勢力を伸ばしてくると、各地に八幡神が祀られるようになり、ときには地の神と合わせて祀られたりして定着化していった。
なるほど、なるほど・・・。