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雨の日にはJAZZを聴きながら

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Michel Petrucciani 『 Both Worlds 』

2007年02月12日 19時10分18秒 | JAZZ
普段はほとんどテレビというものを見ないのですが,昨日の夜,テレビをつけたら「さんまのからくりテレビ」という番組をやっていました。「美少女バンド」とか言って,瑠璃ちゃんというとっても可愛い小学生の女の子がギターを弾いているバンドのコーナーが放映されていました。なんでも今回はドラマーのオーディションをやるという設定だったのですが,そこに「4歳の天才ドラマー」との噂の男の子が登場していたんです。栃木県那須塩原郡からやってきたその4歳の男の子は物怖じもせず堂々と8ビートを叩き周囲を驚かせていました。

瑠璃ちゃんのギターの腕前も大したもの(7フレットでのEm7なんか押さえていたよ~,すげ~!)だったけど,ハイハットをのオープン,クローズを巧みにコントロールしてビートを作り出す那須塩原郡の4歳児にも腰が抜けそうになりました。このまま行けば将来は神保彰か石原裕次郎,間違いなし。

Michel Petrucciani (ミッシェル・ペトルチアーニ)も4歳の時に,テレビで流れていたデューク・エリントンの演奏を聴いて「僕,この音楽がやりたい!」と言ったといいます。やっぱり天才は違いますね。音楽脳力とは教育の産物ではなく,遺伝子の成せる技なんだと思いますね。

ということで,今日はペトちゃんの『 Both Worlds 』(1997 dreyfus )を引っ張り出してきました。90年代のペト作品群の中では『シャンゼリゼ劇場のミッシェル・ペトルチアーニ』(前項あり)と並んで僕の愛聴盤です。念願のスティーブ・ガットとアンソニー・ジャクソンとのトリオを結成し,ツアーの計画が進行する中,フラヴィオ・ボルトロ(tp),ステファノ・ディ・バティスタ(ss&as),それに何故かボブ・ブルックマイヤーを加えた sextet で1997年8月に録音されました。その3ヶ月後にトリオだけで来日しています。

フラヴィオ・ボルトロとステファノ・ディ・バティスタは今でこそ日本で人気がありますが,当時はほとんど日本では無名。1997年にビデオ・アーツが本作を国内発売したおかげでこの2人は一気に知名度をアップさせることになった記念すべき作品です。また同年,バティスタはlabel bleu から自己のリーダー作『 Volare 』(前項あり)でボルトロと競演していますし,1999年には今度はボルトロの仏Blue Noteからのリーダー作『 Road Runner 』でバティスタを招いたりと,何かとこの2人は仲が良く,音楽的にも相性が良いように思われます。

全曲ペトの作曲で,アレンジはこれも全てボブ・ブルックマイヤーが担当しています。そのため,俺が俺がのソロ合戦ハード・バップではなく,ウエスト・コースト風の洒落たアンサンブル重視の作風に仕上がっています。ボルトロもバティスタもソロをとるだけでなく,ペトにオブリガードをつけたり,アンサンブルしたりと,作品全体の一構成員として機能しており,かなりブルックマイヤー色の強いアルバムです。でもブルックマイヤーは上手いです。カーティス・フラーが年老いて全然吹けなくなっていったのに対して,ブルックマイヤーは全く衰えを知りません。


ところで,以前に当ブログでペトちゃんの病気,死因についての記事を書いていますので,暇なら覗いてくださいね。
ペトルチアーニは何故肺炎で死ななければならなかったのか(1)
ペトルチアーニは何故肺炎で死ななければならなかったのか(2)

この記事の中でも触れたのですが,『 Both Worlds 』のジャケットに写るペトの姿を見ると,単に低身長というだけではなく,かなり上半身,つまりは胸郭が大きい事に気づかれると思います。ペトの骨形成不全症(OI)の特徴として「 樽状胸郭 」,または「ビール樽胸郭 」というのがあります。健常人の胸郭は「 前後径<横径 」ですが,OI ではその逆で「 前後径>横径 」と変形してしまうわけです。このことが呼吸機能の低下(換気不良)を招き,呼吸器感染症のリスクを増大させてしまうのです。ペトは単なる大人の相似形としてのミニチュアではなかったのですね。

こんな元気な演奏を聴かせてくれていたのに,その録音の1年4ヶ月後に帰らぬ人となってしまったのでした。


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