日々の記録と楽しい思い出

日々の楽しかったことや旅行の思い出を写真で紹介したいと思います。

伊藤若冲ゆかりの石峰寺を訪れる

2023年09月08日 | 歴史散歩

毎日暑い日が続いていますが、伏見にある石峰寺へ行ってきました。

伊藤若冲の命日に当たる9月10日、石峰寺は毎年若冲忌を執り行い、当寺所蔵の若冲作品の展示を行っています。9月4日~10日まで展示されています。

若冲の掛軸を鑑賞出来ました。美術館への貸出はしてないし撮影も出来ません。

石峰寺は、宝永年間(1704~1711)に黄檗宗大本山萬福寺第6世の千呆性侒(せんがいしょうあん)が建立した禅道場です。

錦市場で生を受けた江戸時代の人気絵師伊藤若冲は、創作に際し禅の境地の影響を受けており、天明の大火(1788)を逃れて当寺に隠棲してその生涯を終えた。

境内には現在も伊藤若冲の墓地があり誰でも参拝ができます。

石峰寺には伊藤若冲が下絵を書いて石工に彫刻させた五百羅漢が残っています。

当初は千体以上もの羅漢が存在したと伝わるが、風化などにより約その半数のみが現存している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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歴史ある町並み、奈良県橿原市今井町を散策

2018年12月16日 | 歴史散歩

 

寒暖差のある日が続いていますが、12月8日は寒い日でした。

歴史散策の仲間の皆さんと8人で奈良県橿原市今井町を訪れました。

重要伝統的建造物群保存地区の今井町は、かって「大和の金は今井に七分」といわれるほど繁栄した町、

現在も五百軒もの町家が連なります。

戦国時代に織田信長と戦ったまち今井町、称念寺を中心に寺内町として栄えた町。

東西600m、南北310m、周囲には環濠土居を築いた戸数1100軒、人口約4000数百人を擁する財力豊かな町でした。

赤い蘇武橋を渡ると歴史ある町並みを散策できます。

今回はボランティア・ガイドさんと2時間散策して、ていねいな説明で歴史や建物が理解できました。

生活している町並みがこれだけ残っているのは素晴らしいです。

また訪れたい町です。

 

 

蘇武橋のエノキ

景観重要樹木に指定、樹齢420年 樹高15m、樹周約5m、枝張り約20m、地域のランドマーク。

 

蘇武井(そぶい)

 良質の水がこんこんと湧き出きて、今井の里の千軒の家々がこの水を毎日汲んでも、日照りが続いても涸れることがなかった。

今井まちなみ交流センター「華甍(はないらか) 」

今井町エリアの南東に位置しており、今井町見学の拠点となっている。左右対称の美しい明治建築です。
明治36年(1903)に社会教育施設として建設された建物で、奈良県指定文化財の旧高市郡教育博物館でもあります。
昭和4年より、今井町役場としても長い間使用された経歴があります。

白壁のきれいな町並み 

寺内町として栄えた今井町の中心的存在の称念寺の山門 (称念寺は今修理中です)

称念寺 の太鼓楼

 

今西家住宅(重要文化財)見学事前予約

今井町の西端にあり、惣年寄りの筆頭をつとめていた家です。慶安3年(1650)に再建された民家ですが城郭のような構造で別名「八つ棟造り」と呼ばれている豪壮な建物です。菱形3段に重ねた当家の旗印を付けている。

 

外観は白漆喰塗籠(しろしっくいぬりこめ)

今西家大棟西妻鬼瓦(慶安3年銘) 

 

 

最古の帳台構え お裁きの場である「お白州(おしらす)」 

 

 

お白州の場としての空気間を保つために、3本ずつの梁を縦横に組み上げ、野性味豊かな豪快な空間が作り出されている(3本の梁は色が違う) 

 

 

豊田家住宅

旧は材木商「西の木屋」牧村家の所有で、幕末には大名貸しを行い藩の蔵元等をつとめていた豪商です。
建物は寛文2年(1662)に建設されたもので、今西家住宅と並び今井町における上層町家の好例です。
 

 

拭き掃除ですり減った柵

馬をつなぐ金具 

河合家住宅

江戸時代初期ごろ、上品寺村から移住し、古くより「上品寺屋」の屋号で酒造業を営んでいます。
18世紀中頃に建てられた早い時期の二階建て町家で二階に座敷等が設けられており、豪商の片鱗がうかがえる建物です。

錣(しころ)葺きの屋根 

兜の鎧のように途中で流れを変えて二段にした屋根の葺き方

昼食は「粋庵」でいただき、「珈琲さとう」でぜんざいとコーヒーでゆっくりしました。

 

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歴史散歩“細川ガラシャ”の住んだ城

2018年04月28日 | 歴史散歩

今日はいい天気でした。阪急西天王山駅から西へ歩いて、中山修一記念館・恵解山古墳・勝龍寺城跡を訪れました。

中山修一記念館は「幻の都」とされていた「長岡京」の解明に向けて教員をしながら調査・研究をして実在を証明した中山修一さんの記念館です。

長岡京とは、今から1200年前の延暦3年(784)年11月11日、桓武天皇の命によって奈良の平城京から遷された都。わずか10年間の都であったが、東西4.3km、南北5.3kmと広大なもので、宮域や貴族の邸宅、碁盤目に整備された道路などが発見されている。

恵解山古墳(いげのやまこふん)は古墳時代中期に築造された乙訓地域で最大の前方後円墳です。平成26年に公園としてオープンしました。

勝龍寺城跡は、戦国の武将細川忠興とその妻ガラシャが、3年間を過ごしたとされる勝龍寺城、戦国時代に度々焼かれたが、近年城は復元され、城内は資料館となっている。

桜は終わり、ツツジも終わりかけていましたが青葉を楽しめました。

中山修一記念館 

 

 

 

 

欄間のうさぎが可愛い 

書院の障子窓 

 

恵解山古墳

 

蓋 形(きぬがさがた)埴輪

 

勝龍寺城

 

 

 

 

 

 

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法然院と住蓮山安楽寺のサツキを訪れる

2017年06月03日 | 歴史散歩

 

6月3日は、歴史散歩の仲間の方達と「安楽寺に悲運の女御、松虫・鈴虫と鎮魂のサツキを訪れる」のテーマで散策しました。

コースは銀閣寺道→哲学の道→法然院→安楽寺→大豊神社→若王子神社

哲学の道の少し山手に法然院と墓地があり、すぐ南に安楽寺はあります。

安楽寺は通常非公開のお寺ですがさくら・つつじ・さつき・紅葉の時期に合わせ、一般公開しています。

7月25日の中風まじない鹿ケ谷かぼちゃ供養は有名

安楽寺の悲しい由来

 鎌倉時代初期、法然上人の弟子住蓮・安楽の二人が念仏道場「鹿ケ谷草庵」を建て人々に念仏をすすめた。当時後鳥羽上皇の女官として仕えていた19歳の松虫姫と17歳の鈴虫姫は、両上人から教えを受け出家したことで上皇の怒りをかい、両僧は死罪、法然は流罪となった。両姫は瀬戸内海の生口島で余生を送った。流罪地から帰京した法然上人が両上人の菩提を弔うため草庵を復興するよう命じ「住蓮山安楽寺」と名付けた。松虫と鈴虫の木像や石塔が悲劇を伝える。

安楽寺の茅葺の山門

 

本堂 

 

仏足石 とは釈迦の足音を石に刻み信仰の対象としたもの

 

住蓮上人と安楽 上人のお墓

さつきがきれいな庭園

橋の向こうにカフェ椛 (momiji)があります、お寺の公開日にオープンします

庭を眺めてゆっくりとお茶出来ます 

哲学の道 

 法然院

 哲学の道の山手にある浄土宗系の寺院。簡素な茅葺で数奇屋造りの山門に向かう石段からの眺めは秀逸

 

菩提樹

 仏教三大聖木(無憂樹、菩提樹、沙羅双樹)の一つで、お釈迦様がこの木の下で座禅を組み、悟りを開いたとされています

 

ハート形の葉は裏に細かい毛があって白っぽく見えます 

多宝塔  

阿育王(アショーカ王)塔、

法然上人のお墓  

他にも、谷崎潤一郎 ・河上肇・福田平八郎・福井謙一・田宮二郎など著名な学者、文人、画家など著名人の墓があります

大豊神社 (おおとよじんじゃ)

 平安時代初期に宇多天皇の病気平癒を願って創建された歴史のある神社、かわいい狛ねずみがあります
  左のねずみは 雌で万物の根源である水玉を抱えています、無病息災のご利益
  右のねずみは雄で学問を象徴する巻物を持っています、学業成就のご利益

参道には沢山のお花が咲いています 

安楽寺は紅葉の時期にもう一度訪れたいと思っています。

 

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