月の岩戸

世界はキラキラおもちゃ箱・別館
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ばらの”み” 10

2013-10-12 03:45:18 | 月夜の考古学

「やあ、よくきたね」
 言いながら、サンタはゆっくりと環たちに近づいてきた。環はどきりとして、また顔をあげた。近くで見ると、サンタはとても背が高くて、おとうさんとよく似た、タバコや汗の匂いの混じった、不思議なにおいがした。
「君がヒカルくんかな?」 
 サンタがひざを曲げて顔を近づけてきたので、おかあさんのセーターにしがみついていた光が、まぶしそうな顔をした。サンタは目を細めると、光の頭をなでて、ようし、とてもいい子だね、と言った。
「そして君が、カナメちゃん、君がタマキちゃんだね」
 サンタは順ぐりに子どもたちにほほ笑みかけた。要は大きな太い指でほおをなでられた時、顔を真っ赤にして、さっと環の後ろに隠れた。環は要の体がぶるぶると震えているのを感じた。
 サンタは、また優雅な所作で両手を広げると、みんなにソファーに座るようにすすめた。おかあさんは、まるであこがれの映画俳優にでもあったようにほおを染めてお礼を言うと、まずは要を先に座らせ、サンタのいる位置や、部屋の様子を、簡単に耳元でささやいた。おかあさんがソファーに座ると、環と光も後に続いた。
 腰をおろすと、環はまたぶしつけにサンタを観察した。やっぱり、目は黒いし、肌の色だって白くないし、どう見たって外国人には見えない。でも鼻は日本人には珍しいくらいにりっぱで、両側のほっぺはほんのりと赤くて、つやつやしていて、笑うとおだんごみたいにまるくなる。どうやら、長くて白いヒゲや眉毛も、半分は本物みたいだ。
 よく見ると、二重の目はとても優しくて、ヒゲにかくれたくちびるが、穏やかに笑っている。肩幅や胸幅がとても厚くて、腕も太くて、動作に無駄がなく、どっしりと落ち着いている。この人が部屋の中にいるだけで、なんだか大きな力で守られて、ほっと安心するような、そんな感じの人だった。
 サンタは環の視線に気がついて、にっこりと目を細めて笑いかけた。環はおどおどと目をそらした。また、胸がどきどきしはじめて、顔が熱くなった。
 やがて、おかあさんが、思い出したようにおじぎをして、言った。
「今日は、わざわざお時間をとっていただいて、ありがとうございました」
「いやいや、わたしも、とても楽しみにしていたんです。うれしくってね。今朝はいつもより一時間も早く起きてしまいました」
 サンタは目を皿のようにしながら自分を見つめている光に、そっとほほえみかけた。光は急に恥ずかしくなった様子で、うつむいて上着のすそをくしゃくしゃともんだ。
「実は、この子たちも、とても楽しみに……」
「あ、あの……」
 おかあさんがサンタに何かを言おうと口を開きかけると、突然それをさえぎるように光が顔をあげ、少し興奮した声で言った。
「お、おじさんは、本当に、本当の、サンタさんなの?」
「おや、いきなり核心をついてきたね」
光はひざの上の手を硬くにぎりしめ、せっぱつまった瞳でサンタを見つめていた。サンタは、そんな光の真剣な視線にほほ笑みで答え、すいと軽やかにソファーから立ち上がり、腰の後ろで手を組んで、光に向かってウインクした。
「いいかい、ヒカルくん。これからいうことは、とても大事な秘密だ。ヒカルくんも、心してきかなくてはいけないよ」
「ココロシテ?」
「まじめにきかなくちゃいけないってことだよ」
 横からおかあさんが言った。すると光は、はっと表情をかえ、背筋をのばして姿勢を正した。サンタは小さく咳ばらいをすると、西洋人がするようなおおげさな動作で胸に手をあてて、しばしの間、何かの決意をするように目をつむっていた。環たちは、吸いこまれるようにその表情を見つめ、サンタの言葉を待った。やがて、サンタはそっと目を開いた。その時、環の隣でうつむいていた要が、はっと顔をあげた。空調の加減か、涼しい風が一息、部屋の中を横切った。
 環は、一瞬、サンタの目の色が、急に深まったような気がした。それは真っ暗なテレビの画面に、にわかにぷつぷつと光が現れはじめて、何か意味のある映像を結ぼうとしている、そんな感じだった。サンタはじっとこっちを見つめている。環はきょとんと首をかしげた。
(なんだろう? へんなかんじ……)
 突然、あわだつように、鳥肌がたった。環は何かに胸がつまり、息苦しくなって、こすれるような息をこまかく吐いた。光が、あえぐような声をあげたのが、一枚かべを挟んだ向こうのことのように聞こえた。目をそらしたいと思った。でも、とらわれたように、サンタの顔から、目を離せない。要も何かを感じたのか、環のひじを、ぎゅっと握ってきた。
 サンタの背後にあった風景の版画が、急にぐんと大きくなって、迫ってくるような気がした。環は悲鳴を飲み込んだ。目に見えない嵐のようなものに、体中をがくがく揺すられているような気がした。そして気がついた時、いつの間にか、サンタの顔が、豹変していた。仮面をはいだのか、それとも何かべつのものがとりついたのか……。とにかく、さっきまでの、家の中の暖炉のような、暖かい人の顔じゃない。こわかった。吹雪の山に住んでいる、得体の知れない妖怪のようなもの、それは、恐ろしく冷酷で、慈愛などかけらもない、人間とはかけはなれたもの……。環は思わずひざの上に身を伏せた。全身が小刻みに震えていた。そして、肩で息をしながら、環は頭のすみで、息がもれるように、思ってはいけないことを、思った。
(こんなの、ずるい。大人が、子どもの前で、本気になっちゃいけないのに……)
 環は、ぎりぎりと奥歯をかみしめた。さっき自分が思ったことを、かみつぶしてしまいたかった。負けない。負けたくない。顔をあげるんだ。こんな大人のずるい手に、ひっかかっちゃだめ……。
 やがて、環の混乱した頭の中を、一筋の風のように、サンタの静かな声が通った。それは、まるで、空から聞こえる声のようにも、聞こえた。
「……君たちだけに、教えてあげよう。いいかい、これは軽々しく人に言ってはいけない。わたしを信じてくれる人だけに、真実をつげるのだよ。……そう、わたしは、ほんとうに、ほんものの、サンタクロースだ……」
 こめかみで何かがぱちんと弾けて、環は目をあげた。いつしか、夢のように、さっきまでの幻影が消えていた。目の前のサンタは、元の人のよさそうな普通のおじいさんにもどっていた。光が、口をあんぐりとあけていた。要は、顔を上げて宙を見上げながら、思わず手をサンタの声のする方に伸ばしていた。
 サンタは要の手をとり、やわらかくにぎり返した。そしてもう一度ソファーに座ると、今度は少しおどけた調子になって、言った。
「正確に言えば、サンタクロース七千八百二十一万とんで五百五十二号だ」
「な、ななせん……?」
 光がけげんな顔で返した。
「サンタは一人ではないんだよ。もちろん、サンタの中のサンタ、サンタの大親分という人はただ一人だけど、世界中にサンタの分身は、たくさんいるんだ。世界中の子どもたちにプレゼントを配るには、サンタクロースが一人では、とても無理だからね。わたしは、そんなサンタの分身のうちの、一人なんだよ」
 その時、環はぱっと緊張が解けて、ソファーが背中にどんとぶつかった。
(……なんだ、そうか!)
 分身だってことにすれば、空を飛べないの、とか、トナカイはどこ、とか、いろいろつっこまれても、ごまかすことができる。……ばっかみたい! ちゃんと逃げ道を考えてるじゃない!
 そう思うと、さっきまでこのサンタのかもしだす不思議な雰囲気に酔って、何となく本気にしてしまっていたことが、環はくやしくなってきた。隣を見ると、要と光はどうやらサンタの話を本気にしてるみたいで、特に要は見えない目に涙さえにじませて、サンタの声のする方をじっと見つめていた。環はちょっとからかってみたくなって、言った。
「でも、わたしのクラスでは、サンタを信じてるなんて言うと友達にバカにされます」
 するとサンタは、少し悲しそうに瞳を細めて、環を見た。
「そうだね。今の世の中、わたしを信じてる人は、とても少ないのかもしれない。子どもたちの中にさえ、大人びた口をきいて、サンタなんて、大人が子どもに言うことをきかせるために作った、うそだなんて言う子も、いるんだからね」
「ぼく、ぼくは信じてるよ!」
 光があわてた声をだした。サンタはうれしそうに光を見てほほ笑み、また環の方を見た。
「……でもね、タマキちゃん。わたしの存在を信じない人は、そりゃあ世界中にいっぱいいる。けれど、わたしの名前を知らない人は、めったにいないのだよ。これはどうしてかな?」
「それは……」
 環は言葉につまった。サンタはひざの上においた手をぎゅっとにぎりしめると、悲しみと喜びを、同時に胸の中でじっと味わっているような、複雑な笑顔をして、しばし目を閉じた。やがてサンタは、小さく息をはいて、言った。
「……サンタはね、たいてい、冬にやってくる。寒い寒い、季節の冬だけじゃない。悲しいことやつらいこと、さみしいことがあった、人の心の冬にも」
 光は、目をしっかりと見開いて、サンタの話に耳を傾けている。環は苦々しく思った。そんなもっともらしいウソで子どもをだますなんて……。後で光が真実を知ったら、どう責任とってくれるのよ。
「……人が、つらい時や苦しい時、自分ではどうにもできなくなってしまった、冬の極まる時に、助けにきてくれる優しい人……、それがサンタの正体なんだ。昔の人々は、寒さ厳しい冬、食べ物もなくなり、もう春は来ないかもしれないと、絶望の起こる日々の慰めに、少しでも恵みをもってきてくれる優しい人が、どこからかやってくるのを願ったのだろうね。でも、それは、弱い人間の甘えでも妄想でもないんだよ。つらい時に、だれかの差し伸べてくれるやさしい手を求めるのは、人間として、ごく当たり前の自然な気持ちなんだ。だって人間は、まるっきりひとりで生きていけるようには、はなから作られていないんだから。……そう、だからこそ、サンタはやって来るんだよ。愛する人間たちのためにね」
「そんな、都合のいい人、いるわけないですよ」
 なんだかいらいらしてきて、とうとう環が言った。
「だって、世の中なんて、自分のことばかり考えてる人だらけなんだもの!」
 和希やタニシコンビたちの顔が、次々と環の頭に浮かんできた。憎しみや怒りがおさえようもなく肩をふるわせた。サンタは、そんな環を見ると、ぽっと何かが灯るように笑った。すると環は、なんだか急に、みっともないことをしたような気分になって、おどおどと目をそらした。
「そうだねえ、タマキちゃんの言うことももっともだ。世の中は確かに優しい人ばかりじゃないからね。今の世界、人は自分ひとりの力だけで強くならなければ生きていけないと、みんなそう思っている。傷つくのを恐れて、強い自分だけを表面に押し出して、そしてだれも知らない独りぼっちの部屋で、泣いている。よわい自分が悲しくて、さみしくて……」
 環は、急に頭に血が上るのを感じて、思わずサンタの方をにらんだ。触れてほしくないことに触れられたような気がした。だれも知らないはずの、環の秘密の領域……。サンタは笑顔を変えず、環に向かって語り続けた。
「タマキちゃん、君の言うこともよくわかるよ。君は、普通よりちょっと賢い子だから、この世界のことについて、すごくたくさんのことに気づいている。だからきっと、今わたしが言ってることも、すごくばかばかしく聞こえるだろう」
 環はブ然としていたが、サンタが自分のことを賢いと言ってくれたのを、内心ちょっとうれしく思っていた。
「だけどね、人が、生きていると、いつか必ず、ひとりでは乗り越えられない山にぶつかるときがくる。どんなに強がっても、つっぱっても、ひとりでは生きられないことを思い知るときがくる。……そんな時、どうしようもなく、だれかに助けてほしいと、人が祈りたくなる気持ちを、冷たく突き放したりしてはいけないんだよ」
 環は口をとがらせて、反論したそうに上目使いにサンタをにらんだ。けれどどう言ったらいいのか、言葉が何も浮かんで来ない。サンタはただにこやかに環を見つめている。
「……君はまだ、わからないかも知れないけれど、君を見てると、わたしはとても幸せな気持ちになる。だって、おとうさんやおかあさんが、どんなに幸せな気持ちで君たちを愛するか、しみじみとわかるから。きっとおとうさんやおかあさんは、君がつらい思いをする時、何とかして君を助けたいと思うだろう。そう、君にだって、大好きな人や、大切な人がいないかな? もしその人が、悲しい思いをしていたら、君はどう思う。知らんぷりして、放っておくかい?」
 環は、胸がきゅっとして、あわててうつむいた。顔がさっと熱くなるのが、自分でもわかった。そんな環の様子を見て、サンタはほほ笑み、深くうなずいて、言った。
「……ああ、君の心の中が、見えるようだよ。いい子だね。本当にいい子だ。タマキちゃん、サンタは、いるんだよ。この世に君のような子どもがいて、大人がいて、男の子や女の子がいて、いろんな人がいて……。愛する者のために祈る人が、ひとりでもいる限り……サンタは本当にいるんだ」
 目の前の人は、きっぱりと、言った。環は、くちびるをぎりりとかみしめた。おなかの中で、わけのわからないものが、ぐるぐるうずまいていた。涙が出そうになるけれど、怒ったらいいのか、泣いたらいいのか、よくわからない。メトロノームのように、心の中がぐらぐらとゆれていた。その動きに降りまわされながら、環の頭の中で一瞬、「だまされるな!」という声が、響いた。
 大人は、ずるい。そうやって、難しいことを並べたてて、いつでも子どもをだまそうとするんだ。だけどわたしは、もうだまされない。
 環は短いため息をはいた。そして、そのまま押し黙った。サンタは、目の前の少女の心が、再びかたく閉じられていくのを見て、少しさびしそうな瞳をした。
 沈黙があった。おかあさんは、しばしサンタと環の顔を、代わる代わるに見ていたが、やがて場をとりなすように、言った。
「さあ、カナメは、カナメはサンタさんに聞きたいことはないの?」
 おかあさんにうながされて、要はもじもじとし始めた。要のラジカセは、この部屋に入って来た時から、ずっと回りっぱなしだ。
「やあ、いいラジカセだね。カナメちゃんは、名前を集めてるんだってね」
 サンタの声に、要はびくっと肩を震わせた。見る見るうちに要の耳が真っ赤になった。
「それは、とてもいいことだ。……そうだ、一つ、秘密を教えてあげよう。わたしたちは、ふだん何げなく見たり使ったりしているけれど、そのことに気づいている人は、本当に少ない。そんな秘密だ」
「ひ、ひみつ?」
 要はようやく口を開いた。サンタはまるで手品の種をあかすように、声をひそめて言った。
「音、音についての秘密だ。音というものは、それぞれ色の違う、小さな珠のようなものだ。その、一つ一つの中には、どれにも小さな光が、やどっているものなんだよ。……そう、昔ある詩人が、こんな言葉を言ったことがある。『この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えている』、と……。カナメちゃんは、たぶん、一つ一つの小さな音の中に、静かな火が燃えているのに、気づいてるんだね」
「気づいてる? でも要、何もわからないよ。名前だって、ただ、きれいだから……」
「そうだね……。名前、いっぱい集めるといい。きっと、いつか、名前が、カナメちゃんに何かを教えてくれるよ」
 サンタはやさしく言った。要は、うつむいて、しばし考えこむように首を曲げていた。
「さ、もう聞くことはない?」
 やがて、たっぷりと沈黙が過ぎたあと、おかあさんが言った。だれも返事をしないので、おかあさんが、そろそろ失礼しようかと言うと、要が突然顔をあげた。そして、あたふたと手を宙に踊らせながら、「ま、待って!」と言った。
「何だね?」
 サンタが言うと、要は、手で顔をおおって、ひとしきりもじもじと体をゆすった。やがて要の指の間から、消え入りそうな声がもれた。
「だっこ……」
「え?」
「だ、だっこ、してください」
 要は、声をしぼりだして、思い切って言った。するとそれを聞いたサンタの顔が、ぱっと明るくなった。
「おお! おお、いいとも。さあ、おいで!」
 サンタはすっくと立ち上がると、両手で要を軽々と持ち上げた。そして、まるで大事な大事な宝物のように、要を、胸の中に深く抱き沈めた。
「ずるい! ぼくも、ぼくも!」
 光も、サンタに飛びついた。サンタは二人の子どもにほおずりしながら、「いい子だ、ほんとうにいい子だ」と繰り返した。要は、サンタの顔にさわりたくて、その暖かい声のする方におそるおそる手をのばした。そして指先に、小さな涙がからみついたのに、気がついた。
 要は、なんだか胸がいっぱいになって、サンタの胸の中に力いっぱい顔をうずめた。なつかしい匂いが、要をつつんだ。
 そして環は、そんな二人の様子を、後ろでただ呆然と、見守っていた。

    (つづく)



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