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ハノイに行ってきました

2023年05月30日 | その他

 主人の出張に同行することが急に決まり、ハノイに行ってきました 現地で3泊、そしてナイトフライトで戻る、というバタバタの旅程でした。
 この話があった時、私としてはめずらしく難色を示しました・・・というのも・・・
 私が子どもの頃、テレビのニュースでは毎日毎日、ヴェトナム戦争の悲惨な映像が流れていました そう、物心づいてからずーっとです。
 もともと、この戦争は長いフランスの統治下からヴェトナムが独立したところから始まります。しかし、当時は共産主義の北ヴェトナムと、資本主義の南ヴェトナムとに分かれていて、それを統一しようとしたヴェトナム人の戦争でした。でも、私の残っている記憶では、すでに資本主義国家のアメリカが介入し、アメリカとヴェトナムの戦争と思えるような状況になっていたのでした。
 青々と茂るバナナの木の森、その周辺の町や村にアメリカ軍のヘリコプターから落とされるナパーム弾。すると、一気に周辺が火に包まれるのです。逃げ惑う人々。全身にやけどを負った子ども達の泣き叫ぶ様子・・・それらが、まるで戦争映画のシーンのように、「ニュース」で流れます 子ども心にとても不思議に思ったものです。「どうして、このニュース映像は流せるのだろうか?この映像を撮っている人達は、まさに戦場のど真ん中にいる訳で、それはどういう意味なのだろうか?」と。
 20年間続いたこの戦争は、1975年4月30日、現在のホーチミン(当時のサイゴン)が陥落したことで終わりを迎えます。私は高校2年生でした。サイゴン陥落の様子がニュースで流れているのを見ながら、私はテレビの前で号泣しました・・・やっとヴェトナムに平和が訪れる そう思うと、感極まったのでした。
 それが、私の「ヴェトナム」でした。
すでに、その時から50年。10年ほど前でしょうか、娘が大学の先輩と一緒にホーチミンに旅行に行き、昔のことがまるで嘘のように発展した町の様子を写真で見せてくれた時、本当に本当にうれしかった そんなこともあり、もちろん、ヴェトナムがすごい勢いで発展していることは知ってはいらものの、幼い頃の記憶は、まさに「トラウマ」になっていて・・・

 今回の訪問地はハノイ。もともと北ヴェトナムだったことで、敢えて中部や南部に比べるとすれば、被害は少なかったかもしれません・・・そんなことを何度も自分に言い聞かせ、重い腰をあげたのでした。
 現在のヴェトナムは共産党一党支配の社会主義の国です。しかし、1986年、国が打ち出した「ドイモイ政策(直訳すると、新しいものに置き換える)」という、社会主義と資本主義の「良いとこ取り」的な政策により、国が大きく経済的にも大きく発展。短い期間ではありましたが、人々に勢いが感じられ、音を立てて国が動いているような、そんな気がしたものです

 やっと、私の中の「ヴェトナム戦争」が終わりました。
幼い頃、「目と頭と心」に焼き付いた記憶・・・
 私は今回、ふっとこんなことを思ったのです。
あの当時から、もっともっと「ヴェトナム戦争とは何なのか?」を、子どもの私にもわかりやすく説明してくれていれば・・・きっと、もう少しは異なった記憶が残ったのではないか?そんなふうに思いました。
 もちろん、ヴェトナム戦争は非常にややこしく、小学校低学年の私に説明をするのは難しかったでしょう。しかし、当時は、ただただ映像から「悲惨さ」ばかりが先行して幼い私の目に焼き付き、「何も考えること」が出来なかったな・・・と振りかえっています。
 そうです、単純に悲惨な映像だけが残り、考える材料、考えるチャンスがなかったから、記憶には「悲惨な映像」だけが残ってしまったのでしょうね

 悲惨だから、残酷だから、難しいから・・・と蓋をしてしまうのではなく、それぞれの年齢に合った知識を与えてあげることは大事だ、と思います まさに私の例のように、辛い記憶だけが残ってしまうのは、あまりに残念ですからね
 


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