緊急事態宣言が延長されることになりました
ある程度は想像していたこと、ではありませんか?私は、そうです
すでに1年を経過したこの患難の中、もろもろが「中止」「延期」「閉鎖」ばかりで、そういう状況に気持ちがどんどん疲弊してきていますね 最初の頃は「そりゃあそうよね」と思えたことが、今では「まだやるの?」「いったいいつまで続くの?」「もう限界」等々、少しずつ不平や不満が湧いてきたり、不平不満とまではいかなくとも、「もっと別のやり方があるんじゃないの?(私はわかんないけど・・・)」のような、すんなりと納得の思いになれない気分がふつふつと・・・かもしれません。
朝、昼、夕方、とテレビをつけても、情報番組では司会者もコメンテーターも、総じて「なんだかおかしいですよねえ」とか「もっと良い方法でないと・・・」とか「これじゃあ、納得はいかないですね」等々、マイナスの意見ばかりが渦巻いています。
私は、この「患難そのもの」にではなく、そういう「マイナスの意見の洪水」を耳にすることに疲れてきています。
人々に美味しいものを常に提供してくださっていたお店。そういうお店を、陰で支えていた職種の方々等々、本当の意味で「苦しい」思いをされている方々が大勢、大勢おいでになります 今まで真っ当に生きてきたそういう人達が、長期の休業を余儀なくされ、今後仕事を続けること、従業員や家族を養うことなどにも苦慮されている・・・そういう方々の不平や不満は本当によく理解できますし、何とかそういう方々を救済する良い策を講じて欲しいものだ、とは考えます
でも、そういう本当の意味での「切実な問題」とまではいかないような、あくまでも不平的、不満的な思いは、持ってはいけないのでは?と感じるのです。負の連鎖とでも言うのでしょうか・・・マイナスは新たなマイナスを呼び、それが繰り返されると、一層、どんどん負が増幅増大していく
そういう状況を自ら作り出し、その中に浸かってしまうのはとっても残念ですし、不幸だと思えてなりません・・・
東京や神奈川だけ、関東だけ、本州だけ、日本だけで起こってることではありません。アジアだけでもない。地球上のすべての国々が、このコロナ禍にあります。
私達よりも、もっともっとひどい状況の中にある人達だって、本当にたくさんたくさんいますよね。
いや、私達の中にだって、信じられない状況の中で過ごしている医療関係者の方々だっておられます。
もうかなり時間は経過しましたが・・・マナーズの卒業生の、ご両親揃って医療関係者というご家庭に、久しぶりにメールをしたことがありました。この患難が始まって以降、ずっとそのご家族のことが気になっていて、何とかエールを送りたいという思いからでしたが、メールをすること自体が「お気楽な行為」に思えてしまい、長い間考えた末、言葉を選び選びメールをしました。そして、もちろん返信は不要です、と書き添えて しばらくすると、お父様からお返事が来ました。すぐに返信できなかったことを詫びてくださり、その後はご家族の状況、パパやママの状況をお知らせくださいました。
テレビの報道番組やニュースで観る医療現場も、決して「ドラマ」のように観ていたわけではありません。けれど、よくよく存じ上げているお父様が、医師として毎日を過ごしているその生活の様子は、私の想像を絶するもの。そして、そのご両親と共に暮らすまだまだ幼い子ども達の生活も、少なくとも「私の暮らし」とはかけ離れた、信じがたい暮らしでした。
お父様がメールの最後に、さらりと書かれていたこと。「子ども達も長い間、一度も外食をしていません」
私はこの一文を読んだ時、後ろから殴られたような気分になりました
人との接触や消毒や諸々、都や政府の決められたことを守り、注意をしながらも、私はその時点ですでに、個食や夫婦食とは言え、何度も何度も外食をしていましたし、教室からの帰り、日吉のマックやミスタードーナツは、楽しそうな親子がいつもたくさんいます。
このご時世です。
確かに、不便も理不尽もたくさんあります。でも、不便や理不尽を重々承知で、苦渋の選択で決められたことなのでしょう。良かれと思って決めたことが、結果的にうまくいかなかったり、全員には受け入れてもらえないこと、なのでしょう。それでも、悪意を持って決められたことなど一つもない・・・
私は、一日でも早く、既往症のある働き盛りの人達にワクチン接種の順番がやってくるようにと祈って過ごしていますが、まだ高齢者も終わっていない状況ですものね 静かに待つしかありません。
「自分の身の回りの、小さなことに「ふっ」と表情が緩み、ささやかな喜びを感じる」
「ああ、こんなステキなことが私に起こった。ありがたいな、と感謝する」
こんな心のセンサーを、今こそ磨きあげる時ではないか、と私は考えています。そういう人が一人増え、二人増え・・・そうなればいいなあ、と思います。