66歳を迎えてから10日間が過ぎました。
66歳・・・私が子どもの頃は、66歳と聞くと、即「おばあさんだなあ」と感じたものです。
私も夫も、比較的年齢よりは若く見られるほうではありますが、私自身は「歳をとること」を全く嫌っているわけではありません。何と言っても、私の持論は「私は死ぬ時が、一番自分が成長して、素敵になっている時だと思う」ですからね。
まあでも、最近は「身体的な老化」を常々感じます。ひどくはならなくても、すぐに風邪かな?と思う症状を招くいたり、風邪を引いてしまうと、しっかりお薬を服用しても治りにくい、等々。見た目はどうであろうと、私の臓器も四肢も、66年間一日も休まず、私のために動いてくれているわけですものね、当然のことでしょう。一層、これからはいたわってあげることにします
昨年末に日吉のお部屋のオーナーさんに鍵をお返しして、ちょうど1ケ月が過ぎました。1階玄関横の看板は、あのまま上に新しいものを貼り、お使いになるとのこと。
ちなみに、あの3階のスペースは、オーナーさんのお知り合いのヨガ教室になるそうです。
さて。
今日はあらためて、みなさまへのお礼の思いを込めて、もう少し、私の思い、教室のお話を書かせてください。とーっても長くなることをお許しください
でも、一つお願いです お読みになるのが途中でお嫌になっても、すぐにブログを閉じてしまわずに、どうぞどうぞ飽きたところからはスクロールをして、「留学を思い立たれたら」「ジュエリー・マナーズについて」や「ライフ・マナーズについて」という最後のほうの項目には、是非とも目を通していただけるとうれしいです
ある意味、私がマナーズに身を置いたこの30年間の中で「私が手に入れたもの」「私のたどりついた思い」であり、みなさまにも便利に使っていただけたり、シェアしたりできるもの、だからなのです。どうぞよろしくお願いいたします
それで、まずはお教室について。
幼児教室マナーズは、1994年の3月、綱島駅から徒歩7,8分のところにあるワンルームマンションからスタートしました。当初は、私を含めて4人で始めました。
他3人の方々は、いずれもご自分のお子様を私立の小学校に通わせているママ達。彼女達は「何も投資は出来ないけれど、南坊さんが教材を作ってくださって、こんな風に教えようと思う、って指示してくれたら、自分の都合の良い日を見つけてお手伝いに来るわよ」と助っ人を申し出てくださいました。私自身、すべて自分一人でやっていく、ということに自信も持てませんでしたので、彼女達の言葉は大いなる安心となりました
でも、保護者会があったり、お子様やご自分達のお稽古事があったりで、なかなか3人の方々のご都合とクラスの開講の日は合いませんでした そのうちに生徒の保護者さん達から「ちょっと申し上げにくいんですが…〇〇先生ではなくて、南坊先生に担当していただく…なんていうのは、無理でしょうか?」という私にとってはありがたい
リクエストも出てきたりで、クラスの運営そのものよりも「中の人間関係」に非常に気骨が折れました
それに、1994年のスタート当初はインターネットもなく、生徒募集は少ない口コミ。思うように広まってはいきません。これではどうにもならない!と一念発起して、私は手書きの生徒募集のチラシを書いて、それをコピー。
夜、綱島や日吉のマンションにポスティングする、ということもやってみました(こんな経験から、私は今もポストに入っているチラシをポイっとは捨てず、必ず一度は目を通し、それから捨てるようにしています、笑)…が、こんなことだけではすぐに生徒は集まりません。困り果てました
ただ、「自分で考え、自分で決め、自分で行動できる子どもを育てたい」「お受験という言葉に踊らされることなく、受験を成長のチャンスにして欲しい
」という強い思いだけは青い炎のように燃えていてね。
当時の私は30代半ば。若かったし、何よりも未熟だったのですよね。なので「親子共に疲弊する、詰込み式と思える大手のお教室のやり方」に対して、非常に攻撃的な、挑戦的な勢いで物事を考えていたものです
生徒募集が上手くいかないことに頭を痛め、助っ人さんママ達からの報酬の要求に焦りの思いでいっぱいいっぱいになると、「〇芽会」や「ジャッ〇」や「どんちゃ〇」のお教室の前で「檄文的なチラシを配り、生徒募集にしようか」なんてことまで考えたものです。ほんと、そんな馬鹿なことをしないで良かったあ、と今思い出しても冷や汗です
まあでも、思いばかりが先行しても、事態は改善されるわけもなく… 手弁当でせっせと教材づくりをする私と、他のメンバーとの温度差は大きくなるばかり。
とうとう「私、ボランティアはするつもりはないのよ」とはっきり言ってくださる助っ人さんママもいて…目が覚めました
幸い、当時から私の考えに賛同し、支え、応援してくださる生徒さん家庭もありましたので、あらためて覚悟を決めた私は、綱島のワンルームを解約。「私一人で、菊名の自宅でやっていくこと」を決心しました
その話をした時には、助っ人さん達は本当にホッとされていて…今、あらためて思い返しても、あの方達には夢だけを見させてしまって、申し訳ない思いをさせてしまったなあ、…と思います
まもなく、インターネットが各家庭に少しずつ普及していく時代になりました。とは言え、当時は、インターネットの回線と電話回線は同じだったので、インターネットを使うと、電話は使えない、なんて時代でね。
それに、パソコンの立ち上げに3分はゆうにかかる…というような時代でしたから…。想像も出来ないでしょう?今なんて、スマホさえあれば、海外にいてもタイムリーに人と人とがつながっていられるんですものね。
30年前は、インターネットで言えば石器時代のような時代だったわけです
でも、「インターネットはこれから、画期的なツールになるはず」と思った私は、たくさん本を買ってきて、自学でホームページの作り方を学習し、毎日、毎日、いろいろとコンテンツを書きました。そして、書き上げるたびに自作のホームページにアップしていきました
そのアップロードにも四苦八苦。当時、夫はジャカルタに単身赴任をしていたため、パソコンに明るい人は側におらず、自分でやるしかありません 本に書いてある通りにやっても、なぜかうまくいかない
子ども達が寝た後、夜中、泣きながらパソコンと格闘した日々…本当に泣き笑いするような良い思い出です
まだまだ大手の幼児教室でも、独自のホームページを持っていなかったような時代でしたので、手作り感満載の、私の自作のホームページではあっても「幼児教室マナーズという存在を紹介する」という意味では、私の想像をはるかに超え、著しく威力を発揮しました「ホームページを読みました
」と、一気にお問い合わせが増えたのです
この時期になると生徒さんも徐々に増えてきて、自宅のリビングで…は難しくなり、自宅マンションの集会室を借りることになりました。日頃から管理人さんと仲良しにしていたことが功を奏しました、笑。そこで7,8年、クラスを続けたでしょうかねえ…
さすがに、この頃になると自分の意識の中でも「幼児教室マナーズの南坊先生、まどか先生は、私の天職かもしれない」という新しい覚悟が生まれていました。
そして、集会室のような仮住まいではなく、菊名の駅前、電気屋さんの2階のスペースに移動。そこで10年。それから、日吉のお教室へ移り、10年…
こんな風に書いてしまうと、30年もあっという間、です。さあ、みなさんは「どの時期」に来てくださっていたのでしょうか。自宅のリビング?集会室?それとも菊名?日吉、でしょうか。
ここで、もう一つ、マナーズにとって大きな意味を持ったお話を。
じつは、最初の5年間は、クラスは「平日の午後」にしか設定していませんでした。そう、土曜日にはクラス設定をしていなかったのです
どうしてかって?はい、なぜならば、当時はまだ「仕事を持つママのご家庭が、小学校受験を考えることはレアなケース」だったからなのです
でもね、ここで忘れもしない出来事が起こります。幼児教室マナーズの大きな「転機」となる出来事
私の手作りホームページを見て問い合わせをしてきてくださったEさん。当時はまだ、Eメールもそれほど普及はしていなかったので、お問い合わせは「電話」でした
そのEさんはこんな風に話してくださいました。
「ホームページのコンテンツにはすべて目を通しました。どの項目にもウンウンと頷き、大変よく理解でき、先生のお考えに共感しました。前向きに入室を考えているけれど、私には仕事があるので、入室面談でお目にかかるのは、仕事を終えた夕方か、土曜日にお願いしたいのです。どうぞよろしくお願いします。」
私は、最初は「」の思いでしたが、それでも私の思いに賛同してくださり、熱心に話してくださるEさんにお目にかかりたい、と思いました。
そして、少しでもEさんのご負担を軽くするべく、新横浜駅近くのホテルのロビーを指定し、午後4時半にお目にかかりました。
現代は、何よりも個人情報が重んじられる時代です。学校でも生徒や先生の名簿などはないのが当たり前。
そんな今を生きるみなさんは驚かれるでしょうが、当時、入室面談は、平日の午前中に「私の自宅のリビング」で行っていたのです。私のお気に入りのお紅茶を一緒にいただきながら
Eさんは、私の書いたコンテンツを熟読してくださり、本当によく理解し、賛同してくださいました。とっても聡明で素敵なママでした。同時に、その当時の私からすると「あまりお目にかかったことのないタイプのママ」でした。そのママが発する空気感…いかにも「仕事をしている社会人女性」という方でした。
こんな風に当時のことを思い出しながら書いていると、何と私の世界も見識も狭かったことか 本当にお恥ずかしい限りです
そのEさん、面談の終盤、こう言われました。
「南坊先生、どうぞ土曜日にクラスを作ってください 今のように平日にしかクラスがなければ、私のような働くママの家庭ではマナーズに通わせることは出来ません。先生のお考えに賛同される働くママ達もたくさんいらっしゃると思います。どうぞ、そんな働くママの家庭のために、土曜日にクラスを作ってください
」
それを聞いた私は「やられたー…」という感覚でした。Eさんのお言葉は、「お願い」とか「要望」というよりも、何と言うのでしょうか…「直訴」「歎願」の響きがありました。
その時点では即答は控え、私はお返事を持ち帰りました。
キッチンに立っている時も、お風呂の中でも、お布団に入っても…考えました。なるほど、働くママか… 今まで、考えたこともないこと、でした
いかがですか?
このお話の内容に、否、「当時の私」に驚かれたでしょう?このEさんがおいでにならなければ、もしかしたら、その後何年間も、マナーズのクラスは平日にしかなかったかもしれません。そして、それまでの私の狭い狭い見識が、その後も長い間、旧態依然として残ったままで、マナーズはもっと早くになくなっていたかもしれませんね。
まさに、私の娘は「ワーキングマザー」です。5月1日生まれの孫は、年明け早々に1歳8カ月になりましたが、すでに保育園生活も9か月目に入っています。
ここ10年ほどは「働くママ達の味方です」を豪語していたまどか先生。年月が流れ、時代が変わった…とよく私はいろいろなところに書きますが、「一番変わったのは時代ではなく、私の意識。硬い私の頭」だったのかもしれません
幼児教室マナーズの、足かけ30年間の歴史。どんなに時代が流れても、毎年、私の思いに賛同し、信頼してくださり、しっかりとついてきてくださった保護者のみなさん。
そして、マナーズを巣立たれても、いつも私を支えてくださった卒業生家庭のみなさま方に恵まれたからこそ、今の私が存在しています これは、決して過言ではありません
高校を卒業した翌日から「引きこもり」になった息子がいた3年間も…
私の無理解を理由に娘がプチ家出をした時も…
息子が心臓の大手術で命が危ぶまれた時も、大動脈解離で突然入院した時も…
夫の食道ガンが発覚し、大変な陽子線治療と抗がん剤治療をしていた時も…
健康体だった母があっという間に亡くなった時も…
私が平常心を保ち、笑顔で毎日を過ごせたのは、私が「まどか先生」として存在していたから、です 在室生、卒業生、その保護者のみなさまからの応援と支えによって私はこの30年間、充実した一日一日を、笑顔で送ることが出来ました。すべてすべて、みなさまのおかげです
未熟な私を慕い、信頼してくださり、愛情をもって支えてくださったみなさまに、あらためて心より深く、深く感謝いたします 本当に本当にありがとうございました
この足かけ30年、私がどんな状況下でも、粛々とひたむきにやってこられたのは、みなさまとの時間、みなさまの応援、支えがあったからこそ。感謝の言葉が見つかりません。ひたすら感謝です
クラス終了から2ケ月近くが過ぎました。十分に休憩もいたしましたので、そろそろ「次のこと」を考える時、かもしれません。ホームページのコンテンツ然り… たくさん書きためたものがありますので、それをあらためて読みなおし、手を入れて、何らかの形に出来れば良いなあ、と考えております そんな「次」のことも、この「クラブマナーズ・ニュース」でお知らせをいたします。
当分の間、今まで通り、10日20日30日の月3回を続けます。ご興味を持っていただければ、また見てみてくださいね
どうぞ、みなさまお元気でお過ごしください