コロナ太りはピークを迎え、このままではあちこち、身体に不具合が出てきてしまう・・・と真面目に自分を戒める思いになりました
14年前、60歳になった時、記念として何かを始めようとトライアスロンのレースにエントリー。ちょうど、エントリーをした頃、今の私と同じくらいの体重でした。そこで、一念発起した私は、ありとあらゆる手を尽くし、1年半かけて20キロの減量に成功。アスリート体型を手に入れ、3レースに出場
そして、それから11年かけて、じっくりと、じわじわ、元の体重に戻ったというわけです、はっはっは。この年齢では、今の体重は笑い事ではありません。病気の予備軍になってしまいます
4年前に両方の膝を痛めたこともあり、今度は、何の志もありませんが、とにかく健康のために少しは体重を落とさなければ・・・
そんな思いで、日曜日、一念発起してウォーキングに出かけました
最初は、近くの公園の周回コースをぐるぐると回る予定でしたが、もう少し足を延ばし、国立競技場の周辺を見に行ってみよう、と思い、途中からはコースを変えて歩きました。
青山通りに出たとたん、朝7時半だというのに、おまわりさんがわんさか、でね。絵画館前のイチョウ並木は車両通行止めになっていて、通りは警察車両の駐車スペースになっていました。日曜日は、群馬県警と広島県警。今日の朝は、栃木県警と福岡県警のおまわりさん達が警らの担当になっていたらしく・・・ 走ったり、歩いたりしている人の数よりも、ずっと多い警察官が立っていたように思います。当然と言えば当然ですが、国立競技場は遠望するだけで、いつものようには近くには歩いていくことは出来ません。
私はこの数年間、国立競技場が出来ていくことをとても楽しみにして、眺めていたのです。そしてやっと完成。木をたくさん使った、素晴らしい競技場が出来上がった時、あらためて「ああ、ここで東京オリンピックが開催されるんだなあ・・・」と、ワクワクしたものです。
ところが、あれよあれよという間に、新型コロナウイルスが世界に広がりました
本来ならば、多くの人達に拍手と歓声で眺められるはずの国立競技場。今は、人が立ち寄ることも出来ず、ただただたくさんの警察官と警備の人達に守られ、静かに立っている・・・
1964年10月10日。小学校1年生の私は、日本選手団と同じ赤のジャケットと白のスカートを履いて、テレビの前で行進 見たこともない民族衣装に身を包んだアフリカの国々の選手が、旗手一人、関係者一人、という行進。とにかく、世界のあちこちから集まった選手達にテレビの前で拍手を送り、一生懸命に国の名前を覚えようともしました
「チェコスロバキアのチャスラフスカ」は、私にとっての「すごい国のすごい人」でした。スポーツ好きの両親でしたので、とにかく、いろいろな競技をテレビ観戦したものです。
そして、閉会式、暗くなった会場に映し出された「メキシコシティ―で会いましょう」の文字。「ああ、オリンピックは終わるんだ・・・」と、私はボロボロと涙を流して泣いたことを今でもよく覚えています。
確かに、問題は山積。本当にこんな状況の中でオリンピックをして良いのか?そんな疑問は、正直、誰もが持っていることなのではないか、と密かに感じています。
それでも、もう「する」ことになったのです。選手村には世界中から多くの選手達が集まってきています。今は、それが必須で大切な事とは言え、目先のことを、ある意味、近視眼的に必死に考えている私達ではありますが、間違いなく、今の私はそうであるように、この東京2020の一瞬一瞬の思い出を、50数年後に思い出し、感動をよみがえらせる・・・という幼い子ども達がたーくさんいます その子達のために、私達は日本人として、このオリンピックを成功に導かなくてはなりません。
テレビの前で観戦し、気持ちを盛り上げ、静かな青い炎を燃やして、無事を、成功を、ずっとずっと祈らなくては・・・
明日の朝も、孤独にひっそりと建っているように見える国立競技場を遠くから見て、エールを送るため、ウォーキングに行こうと思います