今夜、TVで放送された「カーペンターズ~スーパースターの栄光と孤独」に感動しました。
カーペンターズの音楽は初めて聴いた時からとても親しみやすく今でも大好きなアーティス
トですが、今夜の特集番組を観て今まで以上に好きになりました。
カーペンターズ1969年のデビュー曲がビートルズの『涙の乗車券』だった事、デビューの
手助けをしたのが大御所ハープ・アルバートだった事、カレン・カーペンターは当初ドラム
を叩きながら歌っていた事など...初めて知りました。
印象的だったのは兄リチャードが病気治療中だった1979年、単身ニューヨークへ渡りソロ
アルバムを制作しようとしている妹カレンに述べた言葉です。
「今は充分な力を発揮できるとは思えないので辞めた方がいいと思う。でもそれでも行く
のであれば頑張ってほしい。ただディスコだけは歌わないで欲しい」...
ここでリチャードがディスコの曲を懸念したのは、当時はディスコ・ミュージック全盛期
だったこともあり、当時の流行にあやかってディスコ調のアレンジになってしまうとカレ
ンの歌声=個性が活かせないと思ったからです。
結局、1年をかけて自費で制作したカレンのソロアルバムはカレンの生前には発売される
ことはありませんでした。そしてその後、カレンは32才という若さでこの世を去ります...
カーペンターズがデビューした1970年初頭はロック全盛期でした。
そんな中、ソフトな曲調のカーペンターズが今も多くの人から愛されているのは、流行に
左右されることなく、自分たちの信じた音楽を奏で続けたからなのかもしれません。
カーペンターズの音楽は初めて聴いた時からとても親しみやすく今でも大好きなアーティス
トですが、今夜の特集番組を観て今まで以上に好きになりました。
カーペンターズ1969年のデビュー曲がビートルズの『涙の乗車券』だった事、デビューの
手助けをしたのが大御所ハープ・アルバートだった事、カレン・カーペンターは当初ドラム
を叩きながら歌っていた事など...初めて知りました。
印象的だったのは兄リチャードが病気治療中だった1979年、単身ニューヨークへ渡りソロ
アルバムを制作しようとしている妹カレンに述べた言葉です。
「今は充分な力を発揮できるとは思えないので辞めた方がいいと思う。でもそれでも行く
のであれば頑張ってほしい。ただディスコだけは歌わないで欲しい」...
ここでリチャードがディスコの曲を懸念したのは、当時はディスコ・ミュージック全盛期
だったこともあり、当時の流行にあやかってディスコ調のアレンジになってしまうとカレ
ンの歌声=個性が活かせないと思ったからです。
結局、1年をかけて自費で制作したカレンのソロアルバムはカレンの生前には発売される
ことはありませんでした。そしてその後、カレンは32才という若さでこの世を去ります...
カーペンターズがデビューした1970年初頭はロック全盛期でした。
そんな中、ソフトな曲調のカーペンターズが今も多くの人から愛されているのは、流行に
左右されることなく、自分たちの信じた音楽を奏で続けたからなのかもしれません。
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