ペルソナ・グラータ(好ましい人物)。
人間関係の基本にはそれがある。
誰だってアグレマン(承認)を与えない人間とはつきあわない。
それはわかっている。
だから今つきあっている人たちは、みんな俺にアグレマンを与えているのね。
それはわかった。
そして彼らは、俺との長いつきあいを求めて、関係を濃密にしようとしているのね。
猿の世界でいれば、猿の群れにいるのに、その順位制と縄張りがもたらす自分の役割がいやだから、自ら好んではぐれざるの役割を演じているのね。
人間関係の基本にはそれがある。
誰だってアグレマン(承認)を与えない人間とはつきあわない。
それはわかっている。
だから今つきあっている人たちは、みんな俺にアグレマンを与えているのね。
それはわかった。
そして彼らは、俺との長いつきあいを求めて、関係を濃密にしようとしているのね。
猿の世界でいれば、猿の群れにいるのに、その順位制と縄張りがもたらす自分の役割がいやだから、自ら好んではぐれざるの役割を演じているのね。
なんかそれが飲み込めた。
俺は意地悪なのかなあ?
えさを与えないと、人は俺とはつきあってくれないと思っているのかなあ?
だとしたら、俺は何?
愛情の交換ではなくて、えさで愛を買っているわけ?
神は愛。
そして人は神の生ける宮であることを、俺はバイブルを読んで知っている。
そしたら俺は、親しき聖神の御交わりではなく、えさ、それも空手形で、彼らの好意を買い求めていたのか。
それって、神の奇跡を金で買おうとした、ギリシャだかローマだかの魔術師シモンと同じじゃないか!
んじゃ、相手に自分のつきあえる限界を言ってみよう。
繰り返し、繰り返し、ハローさんは俺にアドヴァイスしてくれるから。
関係が壊れたっていい。
裏でえんま顔をしながら、表面上えびす顔をして、無理なわがままを聞き届けたくはないから。
俺は言葉遊びはもうやめた。
親しき聖神の御交わり。
そんなつきあいを俺はクリスチャンの友人、ヅッキーさんから始めよう。
親しき聖神の御交わり。
そんなつきあいを俺はクリスチャンの友人、ヅッキーさんから始めよう。
あいつなら必ずわかってくれるはずだから。