目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀の独り言です。

相手に自分のつきあえる限界を言ってみよう。

2020-07-15 22:15:52 | いけてつ独り言
ペルソナ・グラータ(好ましい人物)。
人間関係の基本にはそれがある。

誰だってアグレマン(承認)を与えない人間とはつきあわない。
それはわかっている。

だから今つきあっている人たちは、みんな俺にアグレマンを与えているのね。
それはわかった。

そして彼らは、俺との長いつきあいを求めて、関係を濃密にしようとしているのね。

猿の世界でいれば、猿の群れにいるのに、その順位制と縄張りがもたらす自分の役割がいやだから、自ら好んではぐれざるの役割を演じているのね。

なんかそれが飲み込めた。

俺は意地悪なのかなあ?
えさを与えないと、人は俺とはつきあってくれないと思っているのかなあ?

だとしたら、俺は何?
愛情の交換ではなくて、えさで愛を買っているわけ?

神は愛。
そして人は神の生ける宮であることを、俺はバイブルを読んで知っている。
そしたら俺は、親しき聖神の御交わりではなく、えさ、それも空手形で、彼らの好意を買い求めていたのか。

それって、神の奇跡を金で買おうとした、ギリシャだかローマだかの魔術師シモンと同じじゃないか!

んじゃ、相手に自分のつきあえる限界を言ってみよう。
繰り返し、繰り返し、ハローさんは俺にアドヴァイスしてくれるから。

関係が壊れたっていい。
裏でえんま顔をしながら、表面上えびす顔をして、無理なわがままを聞き届けたくはないから。

俺は言葉遊びはもうやめた。

親しき聖神の御交わり。
そんなつきあいを俺はクリスチャンの友人、ヅッキーさんから始めよう。
あいつなら必ずわかってくれるはずだから。


今日は東京盆。-私を思い出してください。-

2020-07-15 17:36:59 | いけてつ独り言
実はこの記事をかく前に、昔飼っていた鳥たちのことを書いていた。
それをアップしようしたら、パソコンの付喪神が待ったをかけた。
きっと私に不利益があると、パソコンが判断したのであろう。
私のパソコンはいつもそういう味な真似をして、私を守る。

さて、今日は東京のお盆様の中日。
昔、となり町ある床屋の奥さんが、私の髪を調髪しながら、東京のしきたりを教えてくれたのだ。

さて、最近妙なことがよく起きる。
私が三十代はじめの頃メール交換をしていた懐かしいメル友さんをエゴサーチした。
そして、検索結果を見たら、びっくりした。
私の父が高齢者医療で定評のある病院に入院していた時に、いろいろ相談していた父の病気に関する論文や、病院やご家族の橋渡しをするような仕事をされていたのだ。

お互いの多忙により、今ではメールのやり取りをすることはなくなったが、私のことをきちんと覚えていて、それを仕事で友情表現をしていたのだ。
そして僕を診てくれた女医さんも、仕事で患者に対する愛情を表現する先生だった。

ソンディテストで、こういう職業をされている方の愛情は、個人愛ではなく人類愛だというが、僕の友情や、お礼の気持ちに直接答えてくれることはなかったが、職業で昇華して、愛し返してくれていたのだ。

嬉しい。

こんな時期である。
医療に従事している彼女たちの無事を祈り、仏壇に供養の品を捧げて、ご先祖様や亡父を供養したことは言うまでもない。
もちろん、看護師をしているいとこのために特に祈ったことも、言うまでもないことだ。