葛井寺 再訪 藤井寺市藤井寺1-16-21
百済からの渡来者、葛井連(ふじいのむらじ)の氏寺として創建されます。
その後、平城天皇妃の藤継子やその子阿保親王、在原業平などの葛井氏系による整備により、東西両塔(三重塔)をそなえる七堂伽藍を有する大寺院になります。室町時代明応2年(1493)の兵火で伽藍諸堂が消失、永正7年(1510年)8月8日の大地震により焼け残った本堂も倒壊しました。解説版より
南大門
外陣
内陣
観音堂と出世地蔵
観音堂内
大師堂
千手千眼観世音菩薩像 手が1041本 ニッポンの国宝仏像50 より
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