高さ150mのアクロポリスへのぼる坂道。オリーブと一面の緑でとても気持ちいい。
もっと石だらけの荒れたところだと思っていた。聖なる丘は緑でいっぱいだった。
そうだ神話ではアテネの守護神の座をめぐってアテナとポセイドンが争って、
オリーブの木をもたらしたアテナが勝利したから、オリーブは聖なる木ってことなのか。
だんだんアテネの街が見えてくる。ほんとに来たんだアテネに。
テレビや写真で見るのと同じだけど違う。歩いた分だけ想像と違ってくる。
特に高い建物もない白い町並みは、上から見る景色をより広大にみせる。
アテネの町並みはのちほど展望台からゆっくり眺めることにして、もう少し歩こう。
ヘロド・アクティス音楽堂。むか~しアテネの大富豪が建設したもの。
161年にアテネ市に寄付されたらしいこの音楽堂は5000人を収容でき、
現在もアテネフェスティバルのメイン会場として演劇やクラシックコンサートが開催される。
ピロピレア(聖域への入り口)までたどりつきました。いよいよ聖域へ入ります。
青空とドーリス式円柱。ギリシアだな。間違いなく。
少し風が強かった。パルテノン神殿の前。
今日は青空がのぞいているけど、昨日まで大雨で洪水まであったらしい。
「権力はわずかな人間が握るのではなく、民衆全員のものである」と説いた
ペリクレスによりアクリポリス全体の再建が開始され完成したのが紀元前432年。
紀元後426年にビザンティン帝国の支配によりキリスト教の聖堂になり、
15世紀にはオスマン・トルコによってモスクに改修され、
あげくの果てにヴェネツィア軍がエーゲ海の覇権をトルコと争っていたときに
神殿を火薬庫として使っていたトルコ陣営にヴェネツィア軍の砲弾が命中。
1687年9月26日、たった一発の砲弾で廃墟となった。
聖なる神殿の運命は実に過酷であった。
どこからか大きな雲が流れてきて、聖域の光が刻一刻と変わっていく。
計算されつくした神殿は、どんな光の中でも存在感を損なわずにいる。
エレクティオン神殿。パルテノンよりも柔らかい印象をうける。
複製だけどカリアテッド(女神柱)が美しい。
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