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法華寺 on 2015-6-7

2016年08月05日 04時50分58秒 | 奈良情報
2015年6月7日、光明皇后の1255回忌ということもあり光明皇后所縁の法華寺
に出かけていました記憶も薄くなっていますが思い出し写真紹介します。

法華寺の基本情報
住所:奈良市法華寺町882 TEL:0742-33-2261
宗派:光明宗 御本尊:十一面観音
創建:天平17年(745年) 開基:光明皇后

公式HP:http://www.hokkeji-nara.jp/
名前の由来:
「東大寺」が総国分寺「金光明四天王護国之寺」と呼ばれたのに対し、「法華寺」は
総国分尼寺「法華滅罪之寺」と呼ばれ略して法華寺と呼ばれる。





上の写真は南大門から観た本堂と南大門の遠景


上の写真は本堂の絵が描かれた名勝庭園と華楽園の入場券


上の写真は境内の案内図


上の写真は年間行事が書かれたもの(法華寺リーフレットより)


上の写真は東門(通称は赤門)


上の写真は法華寺町の案内リーフレット


上の写真は横笛堂
“滝口入道との恋に破れてこの寺に入り、髪をおろして仏道修行に明け暮れた
  雑司・横笛が住まった古跡と伝えています。” 
横笛堂は今は境内にありますが、以前は道を挟んで南側にあってそこから
移設されました。以前建っていた場所には、現在、横笛地蔵菩薩を祀る
地蔵堂が建っています。


上の写真は横笛堂に隣接して建つ稲荷神社。


上の写真は薬師堂。薬師堂の本尊は薬師如来です。


上の写真は重文の浴室(からぶろ)の説明板

肝心の建物の写真を撮っていませんでした。代わりに浴室の付属設備と
近くの祠の写真を添付します(下の2枚の写真)



光明皇后についてWikipediaより引用紹介します。

光明皇后(こうみょうこうごう、大宝元年(701年) -
天平宝字4年6月7日(760年7月27日))は、奈良時代の人物。聖武天皇の皇后。
藤原不比等と県犬養三千代(橘三千代)の娘であり、聖武天皇の母である
藤原宮子は異母姉(つまり聖武天皇は同年齢ながら甥にあたる)。
名は安宿媛(あすかべひめ)。光明子(こうみょうし)、
藤三娘(とうさんじょう)ともいう。 なお、「光明皇后」というのは諡号や
追号の類ではなく通称で、正式な尊号は天平応真仁正皇太后という。
また、皇族以外からの皇后の先例とされた。





上の写真は光月亭と光月亭の説明パネル。
昭和46年(1971)、奈良県月ヶ瀬村の民家を移築。 
18世紀の建造物と推定されています。


上の写真は護摩堂。



上の写真は中門の遠景と客殿、東書院への通路




上の3枚の写真は華楽園の花


上の写真は会津八一(あいずやいち)の歌碑

藤原の 大き后をうつしみに あひみるごとく あかきくちびる
と書かれています。

上の写真は 山部赤人(やまのべのあかひと)の歌碑

いにしえの古き堤は年深み池の渚に水草生ひにけり」と
書かれています。


上の写真は天皇・皇后陛下の行幸記念植樹の松

上の写真は皇太子殿下の植樹の松






上の写真は名勝庭園。
仙洞御所(せんとうごしょ)より石や庭樹や杜若等が移された庭


建物柱の礎石


境内にひっそりと佇む石仏。


境内のカナメ。


上の写真は16葉の菊の御紋が施された丸軒瓦


上の写真は法華寺周辺の地図


上の写真は天王宮法華寺神社
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