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志村けんさんがNHK朝ドラ「エール」に4回目の出演 on 2020-5-15

2020年05月16日 03時34分23秒 | Weblog

新型コロナウイルス感染症で亡くなられた志村けんさんがNHK朝ドラ「エール」
4回目の出演をされていましたので写真紹介します。(5月15日に放送)
1回目~3回目の出演に関する記事にリンクしておきます。
 志村けんさんがNHK朝ドラ「エール」に出演 on 2020-5-1

 志村けんさんがNHK朝ドラ「エール」に2回目の出演 on 2020-5-6

  志村けんさんがNHK朝ドラ「エール」に3回目の出演 on   2020-5-14


ドラマ初出演の志村さんは昨年12月から亡くなる約3週間前の3月6日まで
撮影に参加されていたそうです。志村けんさんが演じた人物のモデルは山田耕作

上の6枚の写真は小山田耕三役の志村けんさんと古山裕一役の窪田正孝

裕一(窪田正孝)の契約が小山田(志村けん)からの推薦で決まったことを知った

裕一は、ある日サロンで偶然見かけた小山田に意を決して話しかけるが、あらためて

自分がまだ曲を出せていない現実に直面する。早く結果を出さないと小山田の顔に

泥をぬることになると、とりつかれたように仕事に没頭する裕一。

一方、音(二階堂ふみ)は音楽学校の記念公演「椿姫」の主役選考会にチャレンジ

当日放映の最後の場面では早稲田大学?の応援団が裕一・音夫妻の家に乗り込む

場面で終了します。(下の2枚の写真)

 

ここからは古関祐而・金子夫妻のファクト物語で帝国音楽学校で

金子と同じ声楽を学んでいた伊藤久男(出身地は福島県本宮町)の従妹の早大応援団員

伊藤戌(しげる)の強力なバックアップで早稲田大学の応援歌「紺碧の空」の作曲

をすることになる。昭和6年(1931)古関祐而22歳の時の実話である。

尚、「紺碧の空」の作詞者は公募で早稲田高等師範部3年の住治男である。

そのころ伊藤久男は古関祐而・金子夫妻の新居を構えていた代田の住人であった

ことで古関家にしばしば遊びに来ていた。

伊藤戌が持ち込んだ応援歌の作曲について古関祐而は過去に経験が無く、どんな

メロディが歌詞と合うのか試行錯誤が続いた。そのうち、気をもんだ早稲田の

応援団幹部が連日のように新婚家庭に押しかけてきた。伸ばし放題に髭を伸ばした

バンカラが7~8名連れだってやってくるのだ。金子もさぞ驚いたことであろう。

この頃、早慶戦のライバル、慶応大学でも新進作曲家の橋本国彦の「ブルー・

レッド・アンド・ブルー」で迎撃態勢をとったのでこの年の早慶戦は新応援歌

のお披露目合戦となった。

早慶戦の結果は早稲田の伊達投手が3日連投で慶應打線の前に立ちふさがり、

早稲田が勝利をおさめた。

早稲田の大勝利により、若者達は球場だけでなく夜の巷にまで繰り出されていった。

そうしたことから「紺碧の空」は古関祐而の最初のヒット曲となった。

古関祐而が得意としたスポーツソングの第一歩であり我々がよく知っている阪神

タイガースの応援歌「六甲おろし」、読売ジャイアンツの「闘魂こめて」などの

プロ野球の応援歌や高校野球甲子園大会の歌「栄冠は君に輝く」、そして1964年の

東京オリンピックの行進曲「オリンピック・マーチ」へとつながっていく。

 

最後に「紺碧の空」Youtube動画を共有させてもらい筆を置きます

紺碧の空 早稲田祭2018

 

【HD】早稲田大学応援部 結婚披露宴ステージ余興「紺碧の空」「コンバットマーチ」ほか


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