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終戦から79年に寄せて

2024年08月15日 05時30分45秒 | Weblog
2024年8月15日、昭和天皇より玉音放送により終戦され79年の年月がたちました。
NHKなどTVでも太平洋戦争に関する番組が多く放映されています。
本ブログではポツダム宣言受諾から玉音放送までの経緯
テーマとして書いていきます。
昨年は次のような表題で下記ブログを書いています。


読売新聞(2014-9-9)の26面に8月14日以前出来事も含めた主な出来事を
まとめられていますのでそのまま引用添付します。(上の写真)
 
1945年7月17日~8月2日   ポツダム会議
ドイツ降伏後、ベルリン郊外ポツダムにおいて、英国、米国、ソ連の3カ国の首脳が集まり、
第二次世界大戦の戦後処理について話し合われた
日本を降伏させるために米国はソビエトに対して日本に開戦するように求め内諾を得て
いたが原爆の実験成功によりその必要は無くなっていた。

上の写真はポツダムでの三巨頭(右よりスターリン、トルーマン、チャーチル)
1945年7月26日
ハリー・トルーマン米大統領が、日本に最後通告を出した。「ポツダム宣言」

「無条件降伏」をしなければ、「迅速かつ完全なる壊滅」が日本を待ち受けているという、

「日本への降伏要求の最終宣言」が出された。

上の写真は7月26日に発表された「ポツダム宣言」の要旨

出典:2021年9月11日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」昭和20年原爆投下・ソ連軍の対日参戦

1945年7月28日

上の写真は鈴木貫太郎首相はポツダム宣言を黙殺すると記者発表

出典:2021年9月11日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」昭和20年原爆投下・ソ連軍の対日参戦

この記者会見で外国向けにignore it entirelyとして発表されたがAP、ロイターなどの

海外メディアはrejectとして報道された。歴史にもしという言葉は無いが広島、長崎

への非人道的な原爆の使用はなかった可能性もあった。

上の写真はソ連とアメリカの思惑を整理した表です。

出典:2021年9月11日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」昭和20年原爆投下・ソ連軍の対日参戦

1945年8月6日 エノラ・ゲイはテニアン島の基地を8月6日の2時45分に出発し
     8時15分、広島市にウラニウム型原子爆弾リトルボーイが投下された。
     エノラ・ゲイは同日15時にテニアン島に帰着しました。
広島原爆投下の動画
Hiroshima Bombing Story | Tour around the Atomic Hypocenter ★ ONLY in JAPAN
1945年8月9日 
       2時45分ファットマンを搭載したB29爆撃機ボックスカー他6機が
       テニアン島を出発。
       第1目標の小倉市上空が八幡空襲で生じた靄による視界不良であったため、
       第2目標である長崎市にプルトニウム型原子爆弾ファットマンが投下された。
       午前11時2分、米軍のB29爆撃機「ボックスカー」がプルトニウム原爆「ファットマン」を投下し、長崎市松山町の500m上空で爆発した。約7万4千人の市民が死亡、約7万5千人が重軽傷を負った。
上の写真はB-29「ボックスカー」とプルトニウム型原爆「ファットマン」
出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ
上の写真は広島原爆と長崎原爆の被害状況
出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ
長崎への原爆投下と御前会議の動画
Atomic bombing of Nagasaki - BBC
原爆は3発目も準備されており、もし早期のポツダム宣言受諾が無ければ原爆の悲劇が
神戸やその他、候補の都市に投下されたかも知れない。
関連のブログにリンクしておきます。
ソ連軍の侵攻が始まる8月9日未明

  下記項目は昭和天皇実録よりピックアップ

 ・9時37分 御文庫で参謀総長、梅津美治郎よりソ連参戦の戦況報告を受ける
 ・9時55分 木戸幸一内大臣を呼び速やかに戦局収拾をするために首相と懇談するように指示
 ・11時2分 長崎に原爆投下
 ・17時35分 満州でソ連軍が攻撃開始したことを受け梅津美治郎参謀総長が戦局説明

戦争を終結させるために不可侵条約を結んでいたソビエトに仲介を頼むことを交渉
していたが、結果としてはソビエトは日本へ参戦してきた。
4月にソ連は「日ソ中立条約の破棄」を通告してきており、ソ連としては参戦の
正当性を主張している。宣戦布告は8月8日。
ポツダム宣言受諾をめぐり再興戦争指導者会議が行われたが意見が分かれ対立
結論出ず。鈴木貫太郎首相、東郷茂徳外相、米内光政・海軍大臣の3人は天皇の地位を
保障する「国体護持」のみが受諾の条件。対して阿南惟幾・陸軍大臣、梅津美治郎・
参謀総長(陸軍大将)、豊田副武・軍令部総長(海軍大将)の3人は国体護持の他に
日本による戦争責任者の裁判実施、占領の範囲と期間の限定などを受諾の条件に付加。
出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ
意見が3対3で分かれた。
結論が出なかったため鈴木貫太郎首相は「ご聖断を仰ぐ」ために御前会議に移行
出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ

 

上の写真は1945年8月9日午後11時50分から行われた御前会議の様子を絵にしたものです。
作者:白川一郎  野田市 鈴木貫太郎記念館 蔵
上の2枚の写真は東郷外相などの意見奏上と阿南陸相などの意見奏上要旨
出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ

1945年8月10日 

 ・御前2時過ぎ 最高戦争指導会議(御前会議)(終戦の検討)で1回目のご聖断

   昭和天皇はポツダム宣言の受諾の判断を初めて下した

 産経新聞の1面見出しで 「ご聖断」ソ連参戦で決意 侵攻報告の18分後 終戦指示

上の写真は昭和天皇の御聖断の内容とその後のアクション

出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ

関連ブログ:

上の写真は御聖断にたいして保坂正康さんの解説

出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ

上の写真は開催された場所、皇居御文庫附属室です。
まず口火を切ったのは東郷外務大臣で今こそ日本はポツダム宣言を受諾すべきだと
発言しました(上の写真)
次に阿南陸軍大臣が「東郷外務大臣の意見に賛成できない」と発言しました(上の写真)
会議では意見が3対3に分かれました(上の写真)
鈴木貫太郎首相は自らの意見を表明しないままに天皇のご聖断を仰いだのです(上の写真)
上の2枚の写真は昭和天皇の御聖断「東郷大臣と全く同じ考えです」と仰せになりました
その瞬間みんな泣き始めました(上の写真)
 上に添付の8枚の写真の出典は2021年8月7日、0:35からNHK総合テレビで放送されたNHKスペシャル選「証言と映像でつづる原爆投下・全記録」この放送は2020年に放送された番組の再放送です。
10日未明の御聖断(ポツダム宣言受諾)は中立国のスイスとスウェーデンを通じて
米国政府他連合国側に伝えられました。国体護持が保障されているとの前提で受諾する
旨の注釈をつけての伝達であった。
 トルーマンは全閣僚を集め、これ以上の原爆投下を中止する指令を出す
1945年8月12日
 ポツダム宣言を受け入れる意思を表明した日本に対する、連合国の米英中ソ4国からの
 回答を、サンフランシスコ放送が流し始めた。 
 日本政府の関心は1点。連合国側に要請した「国体の護持」、つまり天皇制の維持が
 認められるかどうかだった。回答(バーンズ回答)ではこの点について明示なし。
 上述文は下記サイトからの引用です。
上の写真はバーンズ米国国務長官
出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ
上の2枚の写真はバーンズ回答の文書
出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ
1945年8月13日
最高戦争指導者会議でバーンズ米国国務長官の回答について会議を行う 
出席者は鈴木貫太郎首相、東郷茂徳外相、阿南惟幾・陸軍大臣、米内光政・海軍大臣、梅津美治郎・参謀総長(陸軍大将)、豊田副武・軍令部総長(海軍大将)の6人他。
バーンズ回答「From the moment on surrender the authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander of the Allied Powers who will take such steps as he deems proper to effectuate the surrender terms.」で
 天皇の地位は連合国最高司令官の制限のもとに置かれるというのが本来の訳であるが
 陸海軍の本土決戦派はこれを奴隷のような屈辱的な意味に解釈し8月13日8時に
 梅津参謀総長と豊田軍令部総長が天皇のもとに参内して講和に反対、本土決戦でと
 申し入れたが天皇は不快感を抱いていたとのこと。この時、同時に鈴木首相も同時に
 バーンズ回答の解釈を天皇に伝え国体の護持されており、なるだけ早くポツダム宣言を
 受諾すべきであると奏上した。
上の写真はバーンズ回答のsubject toの解釈の違いを整理したパネル
出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ
陸軍強硬派(本土決戦派)のクーデター計画。
出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ
1945年8月14日
 
上の2枚の写真は2回目の御聖断(無条件降伏)の御前会議の様子
出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ
上の写真は二度目のご聖断の内容(無条件降伏決定)
出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ
上の写真は玉音放送の準備が始まった時の解説パネル
出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ
下記サイトで終戦詔書の内容を確認できます。
上の写真は徹底抗戦を訴える中堅将校の動きを解説したパネル
出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ
上の写真はポツダム宣言受諾の通告に関する動き
出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ
上の2枚の写真は玉音放送録音に使用された機器と録音の様子
出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ
玉音盤の保管場所
出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ
 この日のこと(8月15日未明も含めて)は映画「日本の一番長い日」で詳しく描写されています。
関連サイト:
1945年8月15日 
上の2枚の写真は8月15日未明 クーデター決起の様子
出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ
上の写真は8月15日午前1時30分近衛師団が出動宮城を閉鎖
出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ
上の写真はクーデターの動き
出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ
玉音盤を発見できず玉音放送を阻止することはできなかった
午前5時30分、阿南陸相が割腹自決
上の写真は阿南陸相の遺書
出典:2021年9月18日放送、BSTBS「関口宏のもう一度近現代史」ポツダム宣言・無条件降伏決定へ
正午、昭和天皇の終戦放送(玉音放送)
 
玉音放送のYoutube動画をGooで共有させていただきました。
宮内庁:玉音放送の原盤を初公表 音声も公開  

関連サイト:



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