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奈良市下高畑町 柳堂地蔵尊 on 2017-6-6

2017年07月21日 03時50分45秒 | 奈良情報
2017年6月6日、頭塔から新薬師寺に向かって歩いている時に表題の柳堂地蔵尊を
偶然見つけましたので写真紹介します。

所在地は奈良市下高畑町


上の写真は柳堂地蔵尊の建屋


上の写真は現地の説明板
下記のように書かれています。


柳堂地蔵尊由来

当地蔵尊は当初荒池付近にあった興福寺の別院である龍華樹院に
祀られていた。龍華樹院が中世に廃絶後、下高畑町の北側、現在は
道路となっているあたりに沙門道音房が薬師小堂を再興したことから
道音房薬師。
また東へ通らない奥の行あたりにあった故、億薬師堂と呼ばれた堂の
一角にあった柳の堂に移され、柳堂地蔵尊と称せられていたと言う。
時期は不明であるが奥薬師堂火災の際地蔵尊は救い出され、その後
長らく民家の奥座敷で祀られていたが、明治42年に下高畑町内有志
の手により一間三間のお堂が建立され、その後。現在地に昭和42年
(1967)規模を縮小して移され、以来柳堂地蔵尊として下高畑町の
人々の手で大切に守られてきたもので、現在に至るも毎年7月24日
の地蔵盆には町内揚げて地蔵尊をお祀りしている。

地蔵菩薩半跏坐像は木造檜材割矧造
鎌倉時代13世紀の作
着衣形式は鎌倉風ながら、肉どり、細部の彫風に前代の
風を留めるものである。

平成28年(2016)7月24日
下高畑町自治会



上の写真は頭塔から新薬師寺に向かう道(下高畑町)


地蔵尊に関する話題ということで、頭塔の入口があるホテルウェルネス飛鳥路にあった
椿地蔵尊についても写真を添付しておきます。


上の写真は椿地蔵尊(高畑町)


上の写真は椿地蔵尊の現地説明板

説明より、奈良地方では7月24日頃に地蔵盆が行われることも判ります。

日本における地蔵尊(地蔵菩薩)信仰は上の説明版にきさいされているように平安中期
から鎌倉時代に盛んになっています。

日本における地蔵尊信仰についてWikipediaの解説を引用紹介します。

日本においては、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、
必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの
救済を欣求するようになった。
姿は出家僧の姿が多く、地獄・餓鬼・修羅など六道をめぐりながら、人々の苦難を身代わりと
なり受け救う、代受苦の菩薩とされた。
際立って子供の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もあり、
また小僧姿も多い。賽の河原で、獄卒に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、中世より
仏教歌謡「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や水子の供養において
地蔵信仰を集めた。関西では地蔵盆は子供の祭りとして扱われる。
また道祖神(岐の神)と習合した為、日本全国の路傍で石像が数多く祀られた。



上の写真はホテルウェルネス飛鳥路の入口の看板


今回、地蔵尊(地蔵菩薩)自身の写真がないので過去に撮ったものを添付しておきます。


上の写真は神戸再度山、大龍寺の山門の右手の墓の入口にある六地蔵です。(神戸市中央区)


上の写真は舞子延命地蔵(神戸市垂水区)


上の写真は西垂水高尾子安地蔵(神戸市垂水区)


上の写真は高野山女人堂前のお竹地蔵(和歌山県高野町)


上の写真は西光寺(神戸六地蔵 6番霊場)のシンボル、万霊供養大地蔵尊(神戸市西区)


上の写真は六波羅蜜寺のお地蔵様(京都市)


上の写真は長福寺(神戸市兵庫区)の行暮(ゆきくれ)地蔵


上の写真は踊り松地蔵(神戸市東灘区)


上の写真は駒一地蔵尊と徳本上人六字妙号石(神戸市長田区)


上の写真は須磨寺塔頭 桜寿院の前の石造地蔵尊のデッサン(神戸市須磨区)


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